#3 やりたいことだと思っていたものは人生の課題としての何かだということに気がついた。これが書くことの効果だ|書く習慣1ヶ月チャレンジ
Day3, 今1番やりたいこと
この問いも前回までの〈夢〉や〈目標〉に通じる部分ではありますが、現状でこれに答えようとするとやはりなんだか浅い答えにしかならないことに気が付きました。
どれもこれもなんとなく気持ちが向いているというだけで、明確な理由も優先順位も見いだせていないからです。深く考えられていない、自分の軸がない、言葉にできるほど考えられていない、といったことが理由でしょうか。
自分探し、と言ってしまえばなんともチープだけれど、事実わたしが求めているのは〈自分〉(がどんな人間かということ)だと思うのです。
やりたいことを通して自分を見つめるのか、自分を見つめることでやりたいことが見えてくるのか。
そもそも〈やりたいこと〉なんて漠然とした曖昧な”何か”、探すものが分かっていないのに見つけることができるのか…そんな言葉遊びのようなことを考えてはあきらめて、というなんとなくの繰り返しのように思います。
そこで、改めて考えてみたのですが、「やりたいことはあるけどやれていない」という状況っておかしくないか?という結論に至りました。
というのも、シンプルに考えて「やりたいことならやってるはず」だよな、と思ったからです。
今日だって私が何をしていたかといえば、本を読んだりプラモを作ったりネットショッピングをしたり…つまり他のいろいろなことより優先してやっていることがあるんですよね。やれって言われたからじゃなく、自発的にやっていること。それってやりたいからやってるわけで。
じゃあ私が頭で考えているやりたいことってなんだろう?と思ったとき、「自分の経験をブログなり本にするなりして伝えたい」とか「(職業としての)ライターをやってみたいけど自分には無理かも」とか、「ハンドメイド作品を売りたい」とか。純粋にやりたいだけでなく、「何者かになるために選び得るなかでのやりたい」なのでは?と気が付きました。
本当にやりたい(純粋にやりたい)ことは既にやっていることで、渡しの場合は読書やプラモなどの一人趣味に没頭していたい。
だけどきっと心のどこかで「それではあまりにも生産性がない」と思ってしまっているんだと思います。独りよがりというか、社会に貢献できていないという後ろめたさのようなものです。
また、「障害福祉について学びたい=自分を含めた色々な人の役に立てる知識を身につけたい」「お金の勉強をしたい=自分や家族の生活の不安」というように、要は問題(理由)があってそれを解決したいためのやりたいことだったのです。それは私にとって必要に迫られたやりたいだから、いま、やれていない(なかなか行動できない)んだなぁということが分かりました。
なのでこのテーマに答えるとしたら、
純粋にやりたいことは趣味として既に現れている、読書やプラモ作り、ハンドメイド、一人で没頭できる何かです。
それともうひとつ、いわば人生の課題としてのやりたいことがあるのだということ。それが何なのかはっきりとした答えは出せていませんが、どのように考えたら良いのか、今まで漠然とモヤモヤしていたものが少しクリアになったように思います。
今回もまたまたテーマに沿った文章を書けているかというと不安が残りますが、このテーマに向き合い考えたことでひとつスッキリしました。
書くことの効果ってつまりこういうことなのかもしれないという実感があり、無理やり書いてみるというのは案外効果があるのだと分かりました。
まとまったきれいな文章を書くには思考を書き出して整理してまとめて、という過程を経て丁寧に書かれるものかもしれませんが、これはその過程の一部のようなものです。私はこれを続けたいと思います。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
最近は3~4日に一度更新というペースですが、一応毎日開いてはいるんですよね。後で編集できるから中途半端でも更新してよいという最初のルールを完全に無視してしまっています。無駄な完璧主義を克服したいと思って作ったルールなのに・・・そして出来たものが完璧かといえば全然そうでないという事実。ちょっぴりガッカリ。
でも、焦らず落ち込まず、また次回の更新で!
それでは。(^_^)/~
【追記】
最後に思いついたので書いておこうと思います。
noteのアイキャッチ画像が簡単につくれるということなので、私もぜひチャレンジしたいです。
目先の1番のやりたいことに加えました!(笑)