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ロココが好きな理由
芸術、美術についてはあまり知らないのだが、西洋美術のロココについては強烈に好きである。
ロココはそれまでの古典主義の荘厳さと違って、女性的であり、享楽的であり、繊細であり、軽快であり、優美である。
古典主義からの脱却、抑圧からの解放、何より自由を感じる。
私の人生観が「自由」であるため、共鳴する部分があるのだろうか。
ロココは、文芸や思想に秀でておりサロンを開き18世紀ヨーロッパに影響を与えていたポンパドール夫人が先駆的役割を果たした。
彼女の文芸や思想からくる、自由、繊細といった様式美の中に平民から侯爵夫人まで登り詰めたポンパドールの胆力がどことなくあり凄みがある。
また、ロココ時代は華やかさもあるが儚さもある。これがまたいい。
なぜなら、ロココの終焉はフランス革命であり、軽快で優美なロココは、革命という動乱に散っていった。
そこに華やかさの影に隠れた儚さを感じるからだ。
そして、古典主義〜ロココ〜新古典主義と回帰していくのも面白い。
結局は古典主義に回帰していく様子が儚さがある。
ロココ時代の代表的な人物にはポンパドール夫人に加えてマリー・アントワネットがいる。
マリー・アントワネットなんて真善美が揃っている。
フランス王妃、名家ハプスブルク家の威厳を保ちつつ、最後は断頭台の露に消えるという儚さ。
死に方まで芸術的である。
古典主義からの脱却、自由さを求めたロココは、同じく自由を求めた民衆たちによって打ち砕かれていった、華やかさの中に儚なさもある、全くよくできたドラマである。
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ここからは私のめちゃくちゃ雑な妄想であるが、もし、ロココが流行っていなければ、マリー・アントワネットは赤字夫人等の誹謗中傷にそれほど晒されていなかったのでは?
ロココは優美さを追求するため、繊細な装飾を施すからだ。
装飾を控える古典主義とは、真逆である。
これが、チャラチャラしたようなイメージを少なからず強めたのではないか、と。
もし、古典主義が続き、荘厳な王妃を振る舞えていたらどうであっただろうか。(最も、当時の国際情勢、フランスの財政状態が大きな要因だが。)
まぁ彼女性格的にそれは無理だったと思うが。
また、面白いのがロココから新古典主義へと回帰させる火付け役となったのがマリーアントワネットの旦那のルイ16世というところ。
マリー・アントワネットの人生には言葉では形容しがたい、そうなるしかなかったんだろうな・・・という運命的なものを多く感じられる。
そして、フランス王妃といえど歴史や時代の潮流の力の前では一個人に過ぎないのだ。