僕たちイキリシアン 001 序

「女性描写が、あまりにも「男の願望」剥き出しで、いかにも独りよがりに見えます。」

「プロとしてーーー」

「女性作家の書いた小説などをもう少し読んで、「独り立ちした」女性キャラクターが描けるようになると」

2022年2月上旬、ある男性フェミニストがTwitter上にアップされた漫画に対して上記のような批難をし、作者と議論になった。
(議論というか、作者は「参考になります」程度のことを繰り返してあまり相手にしていなかったように見えたが)
結局その作家は女性(つまり「独り立ちした」女性)だった事を考えると滑稽だが、まぁ、フェミニズムの事はいい。
だが、その際に「私の方が上手に描ける」などと吹聴し、実際にやった事はといえばネットで拾ったカツサンドの写真(しかも著作権フリーではない)を加工アプリで線画風にしてアップロードしたのだ。
すぐに元の写真と加工に使ったアプリは特定され、そこで引き下がればいいものを「加工は『描く』のうちに入る」だの「私の画力は関係ない」だの。
最後には「私の本当の絵が見たければ50万円払え」と請求した。

この展開を見たあなたが正常な感覚の持ち主であれば、実に恥ずかしいと感じたはずだ。
これは創作クラスタ特有の現象だろうか?
いや、そんな事はない。
武クラも同様にこういった『名人様』が降臨するのだ。
本書ではそういった名人様を『イキリシアン』と呼称する。
「イキリ」とは「粋がる」という言葉の変形で、これの意味は「自分をかっこいいと思って得意げになること、虚勢を張って調子に乗ること」だ。
経験も知識も実力も無いことの裏返しである。
これにエイリアンっぽさを加えたのが『イキリシアン』である。
(実際、彼らのこねる浮世離れした理屈はまるで宇宙人のようである)

イキリシアンがイキリシアンである理由は議論の方法を知らない事が原因だ。
相手にマウントをとる事を議論であると勘違いしているのである。
では議論とは何か?
それは互いの論を競うことであり、互いの人格を責め合う事ではないのである。
最初から相手を見下して無礼な言葉づかいをするのは論外なのだ。
それは『喧嘩を売る』と言うのが正解であって、間違っても『議論』ではない。
そして、相手が自分の論の問題点を指摘したからといって、自分の人格を攻撃されなどと勘違いはしないことである。
間違いは人格とは無関係に誰でもするものだから、間違っていると思えば改めれば良いだけなのだ。
無輪、改めたからといって自分の人格は悪いなどと考える必要もない。
間違いを素直に認められず、その結果成長することもない。
その態度がイキリシアンを生むのだ。
実に恥ずかしい事である。

『僕たちイキリシアン』シリーズではそんなイキリシアンの生態を少しだけ紹介しよう。
剣術をやると「自由攻防が無いから弱い」と言われ、剣道をすると「真剣は使えない」と言われる。
居合をすれば「ダンス」と揶揄され、それら全てをしても「二兎追う者は一兎をも得ず」などとドヤ顔で言われる。
そんな世界を少しだけ覗いてみよう。。
読者を少し…いやかなり不快にさせてしまうかもしれないので、あらかじめご了承いただきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?