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100の質問で10万文字(2/10更新)

はじめに

以下の記事を拝読し、私も挑戦したいと思った次第です。

100個の質問に答えることで10万文字書く、ということだそうです。100個の質問は上記記事と同じく、以下のサイトに掲載されているものを使用します。

質問に1つ答えるごとに本記事を更新します。それでは、よろしくお願いします。

100の質問で10万文字: 回答

1. 名前(2/7更新)

白練(しろねり)と申します。白練は色の名前で、アイコンがその色です。白練は練絹の色だそうです。蚕の繭から生糸を作り、その生糸を練ると白く光沢のある練糸となり、その練糸で作られた布が練絹。

SNSでアカウントを作るとき、名前は必ず色の名前にしています。名前にできそうな色名はあるか、その色が好きか、どのようにしてつけられた色名なのかと調べる時間が好きです。いつもは青系や赤系の色名を借ります。白系の名前をつけたのはnoteだけです。ここだけは他のSNSから独立していたかったのです。

ここは思いの丈を残しておくために作りました。私が使っている他のSNSでは表現しきれない細かい情動を、気が済むまで文章に起こすためです。影がさす感情まですべて残しておきたいと思っています。

しかしながら、書き起こしたものは本当に恥ずかしい。書いては消し、書いては消し、なかったことにした言葉の方が多くあります。中学生のころから何ひとつ変わっていないように見える思考を他人に見られることが怖い。それなら公開しなければいい、日記帳でもテキストエディタでも書いて、それだけにしておけばいい、そう、そのとおりです。でもそうしないのは、私が字書きだからです。私は私の文章が好きです。そうするともう、書いたら公開するしかありません。怖さを飲み込み、歯を食いしばって公開した文章の輝きといったら!

そう、そうでしたね。書いているうちに思い出してきました。そのためにここを「白練」と名付けたのでした。最近は書いては消してばかりで、自分の惨めさばかりに目が行き、身動きが取れなくなっていました。書かずにうじうじしているから、先に進めないのです。絹のようにとはとても言えませんが、どうかこの先が美しくあることを信じて。

2. 性別(2/8更新)

女です。

鉄鋼関係の仕事をしているため、各鉄鋼メーカの製鉄工場に入って作業することがあります。工場入りするとき、必ず上長が工場側の担当者に確認することがあります。
「女性用トイレはありますか?」
工場担当者はたいていこう言います。
「いやあ……あったかなあ……」
たいてい、あります。
ないときは許可をもらい、少し離れた事務所の女性用トイレを使わせていただきます。

上長によれば、「最近になって工場に女性用トイレができてきた」とのことです。確かに「今ちょうど女性用トイレを作る計画が検討中でして……」というところもありました。つまり、工場の女性用トイレは最近増設されたものであるため、ラッキーなことに、綺麗です。

工場といえば、安全靴を買うのも一苦労でした。一応売り場を見てみるものの、在庫は25cm以上のものだけ。私の靴のサイズは23cmです。値札に書いてある販売サイズを確認し、23cmの取り扱いがあるものを店舗取り寄せにしてもらいました。しかし翌日、「メーカに問い合わせたところ、23cmは製造中止になっており、取り寄せできません……」という連絡が。

しかたなく、ネット通販することに。最初に買ったものは一度履いてみましたが、足に合いませんでした。素材が硬く、靴ずれするし、かかとがかぱかぱ遊んでしまい、安全に作業するには不安なものでした。2回目に選んだ靴は在庫なしで買えませんでした。通販サイト上では在庫ありで購入手続きできたのに……3回目でようやく良い靴が手に入りました。今はこの靴が相棒です。

工場、私の知っている限りでは特に製鉄工場のように、作業員が体感99%男性というのは面白いものです。今まで高校は理系、大学は理学部物理学科、職業はシステムエンジニアということで、男女比率でいえば男性の方が多いという環境に慣れてはいますが、こうも極端に男性しかいないと、異空間です。最初は転生ガチャはずれ……? と焦るも、なんだかんだおもしろおかしくやっている、のようなよくある異世界ものをやっている気分です。

話は変わりますが、性別で思い出した話を。幼稚園児のとき、母に好きな色を聞いたところ「青」という答えが返ってきて驚いたことがありました。女の子が青を好きになってもいいんだ! という驚きです。そのころの私の周りの女の子はピンク一強で、環境的にも女の子のものはピンク、男の子のものは青、と分かれていたため、女の子が青を選んでいいなんて少しも考えていなかったのです。

それから私は自由になりました。好きなものは好きでいい、やりたいことはやっていい、周りに変だと思われても、迷惑をかけていないなら、責任が取れるなら、自分のいいように生きていいのだと、もちろん当時は幼稚園児ですからそんな高尚な考えではありませんでしたが、意識の奥深くに刻まれたように思います。

3. 誕生日(2/10更新)

10月生まれです。

母によれば、私が生まれたとき、雪が降っていたそうです。私の誕生日が来ると、実家では「もう冬か」という空気になります。よって、一般的に10月といえば秋でしょうが、私は冬生まれということになっています。

20歳の誕生日のことをよく覚えています。大学生でした。大学の同期で、大学での初めての友達が、私の部屋でごはんを作って祝ってくれることになりました。友達は料理が得意でした。

一緒に近所のスーパーに買い出しに行きました。野菜や卵、売り場の中で最も高いホットケーキミックスなどをかごに入れ、最後は酒を選びました。「初めての酒はやっぱビールでしょ!」とかなんとか言い、友達はバドワイザーとギネスを1缶ずつ手に取りました。友達は酒飲みでもありました。

「絶対に何もしないで」と睨まれたので、友達が台所で手際よく調理しているところを眺めていました。レシピも見ずに淡々と料理ができあがっていくさまは美しいものでした。また、それらが私のために作られているということを、心底うれしく思いました。大学で友達を作る気など一切なかったのに、こうして親切にしてくれる友達ができた、一生大切にしたい、そう思いました。

オムライス、ピーマンの肉詰め、ミルクスープ、そして焼きりんごを添えたホットケーキができあがりました。どれも美しく、おいしかったことを覚えています。初めてのビールであるバドワイザーとギネスもおいしく感じました。今、酒の中ではビールが最も好きですが、20歳のこの誕生日のとき、友達と一緒に初めてのビールを飲んでいなければ、好んで飲むようにはならなかったのでは、とさえ思うほどです。あのとき、ビールではなく焼酎だったら、日本酒だったら、ウイスキーだったら、そのどれもを好きになったでしょう。初めての味を、酒の味ではなく、親切心の味として味わっていたのです。家族以外の人に初めて祝ってもらった誕生日でした。


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