愛しているだけ
8月28日(月)
月曜朝の起き渋り。なんとかかんとかごみを出す。朝食は食べなかった。朝食は食べなくても平気だが、便秘になる。
大きめの平たい虫がなぜか網戸の内側に入ってきていた。なんとかかんとか外に逃がすことに成功した。虫を見つけても悲鳴も上げずに淡々と迅速に逃がすか殺すかできるようになって、大人になったものだと思う。
9月からさつまいものフラペチーノだよ、という通知が来た。スイカのフラペチーノを終わる前に飲んでみたい。全然スタバに寄る機会がない。
C-C-Bの『Lucky Chanceをもう一度』がずっと頭に回っていたので、諦めてこのあとしっかり聴くことにする。
8月29日(火)
ひねり出した案が良さげな感触で、それだけで噛みしめるほどうれしい。
安いツナ缶は身が散り散り。
スーパーのアイスコーナーの奥のほうに4つばかり積まれたマスカット味の爽を発見した。おいしかった。
トイレマットを洗濯して外干しした。ふかふかでうれしい。
8月30日(水)
Apple Watchの付け替えバンドを探していたが、よくわからなくなってきたのでいったんやめた。こういうデバイスのアクセサリってやたら安くて見た目ばっかりの製品しか検索されなくてうんざりする。行くか、LOFTに……
指導教員に手紙を書こうかと思っている。指導教員は義理堅いから、手紙を出せばいつか返事を書いてくれる。指導教員の字が、私は好きだ。
8月31日(木)
余計なことを言わなくて偉かった。
悪口を言いたいが、我慢している。1か月ほど我慢している。
9月1日(金)
急にセミが死に絶えた。
会社の同期と飲んだ。宮崎駿『君たちはどう生きるか』を観たか? と問われたので、観ない、と答えたら驚かれた。絶対に観ていると思った、とのこと。私のことを全然わかっていない。この人の趣味は全然わかんないからな、と言った隣席の人ほうがよっぽどわかっている。わかってほしいとは微塵も思わないが、『君たちはどう生きるか』を積極的に観に行くような人間だと勝手に思われているのも、心外な話だった。
9月2日(土)
友達と蚤の市へ。小規模だからすぐに見終えてしまうかと思いきや、1店1店にそれぞれ見ごたえがあり、私も友達も思ったより楽しむことができた。古いボタンがどさっと入った籠を漁っている人が「この服にはこれしかない! っていうボタンがあるよね」「そうそう。付いてるボタンを外してまで付け替えちゃう」などと言っており、ボタンとは恐ろしい。友達が真剣に商品を見つめては実に軽々と買っていき、鮮やかだった。イベントに誘ったのは私であるが、イベントをうまく乗りこなしているのは友達のほうだった。私は蓮の実を乾燥させたものと、水仙のハンカチを買った。
蚤の市を離れて適当に入った商業施設でも、友達の買い物は鮮やかだった。良いと思ったものをじっと見つめたかと思うと「これは買ってしまうかもしれない」と言う。それから少し考えて、ひょいとレジに行くか、「少し考える」と言ってその場を離れる。ささっと試着したりしている。物欲というより、的の中心に当たったかどうかみたいな。このように買い物をする人を初めて見た。好きだと思った。
帰り際、次の約束を提案してくれた。うれしかった。このひと月、また生きていこうと思う。
9月3日(日)
音楽を聴きながら街を歩いていたら、この世にたった一人みたいな気分になった。
友達の誕生日。連絡したら、来週通話することになった。私はまだその領域内にいるようだ。
80年代の曲を聴いていると、愛一筋でいることが全然悪いことじゃないように思えてくる。それはもう夢のように。