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明るい曇天
今月初めに手に入れたアルバム2枚をようやく聴いた。どちらも聴くタイミングを伺っていた。覚悟が決まるのを待っていた。
1枚は私の好きなアーティストのもので、よく晴れた涼しい日に、自室で、窓を開けて、CDをコンポにのせて流した。世界に溶けていきながら私と背中合わせにあるような、私の血と同じ温度の孤独のような音楽だった。
もう1枚は勧められたもので、通勤中にイヤフォンで聴いた。歌詞が聞き取れなくても歌詞以外の要素でわからされてしまうような、訴えかけてくるタイプの音楽で、頭から足にかけてざっと血の気が引いた。精神的な境界線の上に堂々と立ってこちらを見ているような音楽で、怖くて歌詞が読めない。勧められるがままに手に入れてよかった。どれだけ好きでも、ひとりでは耐えられなかったと思う。でも本当は、ここで泣き叫ぶことができたら、どんなによかっただろう。
ひとりの日曜日に、気がついたら1週間のおかずの作り置きを作り始めていて驚いた。もともと自分が死なないように毎日2食か3食の食事を与えてはいたが、そのときどきでそこにあるものを食べるというもので、つまりそのときに生きているから食べるということだった。対して1週間のおかず作り置きは、1週間先まで生きていることを前提としており、だからあまりに私らしくない。しかもそれを誰かに作ってもらうのではなく、他でもない私が私に作る。生きていこうとしている。
ずっとうまくいっていなかった仕事に一筋の光が見えたように感じた瞬間から、徐々に体調が悪くなっていった。次の日、初めて会社を休んだ。その日はよく晴れていて、ちょうどよい気温で、窓を開けて、静かな平日の日中をベッドの上で、眠ったり、小説を読んだりした。子どものときから定期的にこんなふうに休むことがあった。そのたびに神様がくれた休日だと思った。いつも勝手にぎゅいぎゅい回っている頭もそんな体力がなく静かで、小説に並んだ言葉が初雪のように降る。許された孤独のなかで、ただ安らかだった。
インプットとアウトプットの種類が変わって、考える時間が少なくなった。今までとは異なる性質の要素ばかり入ってきて、既存の要素と入れ替わっていく。軽微な修正なんかではなく、大型アップデートがゆっくりと、だけど確実に進んでいる。変わっていくことそのものが怖いというよりは、変わったあとの私が、私の好きな人たちに対して、価値がないものとして映るかもしれない、ということが怖い。そんなことに関係なく常に私の価値は変動しているわけだから、今更心配しても仕方がないけど。
電車のなかで小説を読み終わり、顔を上げると、明るい曇天だった。ちょうど東京から神奈川に向かって多摩川を渡るところで、豊かな水面が重たく止まっているように見えた。三鷹の玉川上水も、昔はあのくらいたっぷりの水が流れていただろうか。鎌倉の海を見に行きたいと思った。終点で降ろされると、東京より寒かった。でもここは鎌倉からも海からも、三鷹からもずっと遠く、生きていかなければならなかった。
27歳になった。たぶん私は優しくなるべきだと思う。