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伊豆日記


これは私と恋人が2泊3日で伊豆半島の東側を旅した日記である。


3月18日(土)

恋人と伊豆半島に出かけた。熱海駅で降りると、その人の多さに引いた。我々は並ぶ根性が一切ない。熱海駅周辺で適当に昼食とする予定だったが、適当に蒸したての温泉まんじゅうを食べるにとどまった。黒糖味でおいしかった。

レンタカーでどんどん南下した。伊豆半島の南端付近が目的地だった。ずっと海岸沿いを走った。砂浜のところもあれば岩場のところもあり、それはすなわち、平坦な道と山道が交互に現れることを意味した。海岸沿いを走っているのに山道であるというのは初めてのことだった。レンタカーのスピーカが思いがけず良い音を出すので、これなら伊豆半島中を走り回ってもかまわないと思った。

その土地のスーパーに寄ってその土地のクラフトビールとつまみを買いこみ、旅館に入った。旅館は恋人が予約したので、私に事前情報は一切ない。部屋を案内してくださった仲居さんがゼロ距離で接してくる方で、ああそうなんですね、などと相槌を打っていたら最終的に肘を持たれた。肘を持ってくる仲居さんは初めてだ。親にも持たれたことがないのに。仲居さんが部屋から出ていかれたあと、恋人が「あれがレビューに書いてあった”非常にフレンドリーな仲居さん”か……」と呟いた。知っていたのなら、肘を持たれるべきは恋人だったはずだ。

部屋は露天風呂付きだった。広いテラスに大きな甕のような風呂が置いてあるような感じだ。テラスからは海が見えた。私はこの部屋に泊まっている間、何度もテラスに出ては海を見て、波音を聞いた。夜になると波音が重くなった。小学生のときによく読んでいた『怪談レストラン』シリーズの1つである『占いレストラン』の最後では、主人公が目の前に横たわる大河を渡るか渡らないか決断しなければならない。その挿絵は見開き1ページを使ったもので、主人公の後ろ姿と、その主人公の目の前に黒々と大きく波打つ大河が描かれていた。あの大河、あれはきっとこの波音のように重たかったに違いない。主人公の決断は書かれていない。

夕食にはたくさんの魚が出た。伊豆は金目鯛が良いようで、金目鯛の姿煮が現れた。私はだいたい白身の部分を食べ、恋人はだいたいあまり人が食べないようなところを食べた。

恋人の寝顔を見ていると、こうして棺を見下ろす日がいつか来る、と思う。


3月19日(日)

朝食後に売店に寄ると、素敵な絵葉書が売っていた。無一文だったので、チェックアウト前に改めて買おうと思っていたら、恋人が代金部屋付で買ってくれた。恋人のこういう実際的というか実用的というか、そういうところが好きだ。私は代金部屋付というシステムを知らないが、絵葉書に描かれている花が何で、いつ咲くかということは知っている。

部屋から見えていた砂浜におりた。サーフィンしている人や、犬を走り回らせている人がいた。赤い巻貝を1つ拾った。しっかり潮の香りがする海だった。

伊豆の最南端たる石廊崎に行った。太陽がのぞき始めていたので、海には濃い青の部分や薄い青、白っぽい緑の部分などがくっきりと分かれて見えた。断崖絶壁とばらばらの岩に波が砕けた。「波が砕ける」ということがわかった。水平線にいくつも船が浮いていた。海の向こうはアメリカ? と聞くと、「インドネシアとかオーストラリアとかだと思うよ」と言われた。恋人は何でも知っている。

アロエソフトクリームを食べた。伊豆半島はどこに行っても大小様々なアロエが生えている。私は奇妙なソフトクリームが好きだ。アロエソフトクリームも奇妙な味がした。アロエヨーグルトに入っているアロエとは全然違う味がする。おいしいにはおいしいが、例えようのない味だった。「おいしい……」「おいしいが……」

みかんのワインを買うことができるところに行った。恋人がワイン4本とビール3缶を買い、自宅に送る手続きをしており、私はその隣でちびちび試飲しながら微笑んでいた。恋人の酒に対する熱量には、もう微笑むことしかできない。

ステンドグラスで作られたランプを展示しているところに行った。洋のアンティーク物だからか、ひとつひとつがたいそう大きい。玄関とか寝室とかに置いたとしてもなお大きい気がする。城に置かれるようなものなのだろうか。展示を1周したあと、恋人が「たまにはいいものを見るものだね」と言った。珍しい高評価である。ものづくり系人間には絵より物か。

満開の桜の木を恋人と一緒に見ることができた。一度でいいから、恋人と桜が見たいと思っていた。大島桜という真っ白な、少し大きめの花だった。

昨日とは異なる宿に泊まった。今度は部屋に露天風呂はないが、大浴場はなく、貸し切りの露天風呂しかないという、これまた変わった宿である。6つの露天風呂の空いているところに好きに入っていいらしい。恋人の強い意志を感じる。どの露天風呂も海が見え、天井がないから空が広かった。昨日の宿より海の近くだったので、波音が強かった。

夕食に肉が出て、久しぶりの肉だ、と沸き立った。
踊り焼きと称し、生きたアワビが直火にかけられた。火にかけられる前は生きているのか死んでいるのかわからないくらいじっとしていたのに、網の上に置かれた途端、身を懸命によじる。私がその様をじっと見ていることに気がついた恋人がアワビをちらりと見て「ああ、ひどいね」と言い、食事に戻った。今日も今日とて現れた金目鯛の姿煮をつついておいて、また伊勢海老の頭付きの刺身を目の前に食べておいて、ひどいも何もない。私は恋人によって骨のみにされていく金目鯛とアワビを交互に見ていた。でも、きっとそれでいい。私たちはすでに「いただきます」と誓ったのだから。


3月20日(月)

海苔の佃煮があまりにおいしくて目が白黒した。

カピバラが風呂に入っているところを見に行った。昨日たまたま見つけたリーフレットによれば、そこにはカピバラがいて、今時期は時折風呂に入り、触ることもできるという。恋人がそのリーフレットを見て「カピバラ」と呟いた。したがって、ぜひにも行くことにしたのだった。
果たしてそれは功を奏し、カピバラが風呂に入っているところを見つけると、恋人は「カピバラ!」と叫んで小走りに近寄っていった。驚いた。いやてか超びっくりした。そ、そんなにカピバラが。
大小様々のカピバラが身を寄せ合って風呂に入っていた。じっとしている個体が大半だったが、一部の大きな個体は風呂の中を泳ぎまくっていた。時々耳が素早くパタパタとはためいた。我々はしばらく風呂のそばでカピバラたちを見守った。餌やりもできるようだったが、恋人はそれをしなかった。カピバラとはあくまでクリーンな関係でいたいらしい。

一応園内を周ることにした。レッサーパンダと書いてある部屋に入ったらメンフクロウが入り口すぐに佇んでおり、危うく大声を上げるところだった。メンフクロウは、苦手なのだ。メンフクロウの止まり木の下に「驚かせないでください!」という立札があったが、こちらのセリフというか、驚かせてほしくないのならそんなところにいないでほしい。この園ではたびたび何の前触れもなくフクロウが佇んでおり、私はたびたびヒッ……と息を呑まなければならなかった。いるだけならまだしも、あいつらは目を見開いて絶対にこちらを見ているのである。

動物だけではなく世界中のサボテンが展示されていた(もちろんサボテンとサボテンの間にフクロウが時折いる)。初めてサボテンの花を見た。いかにも暑そうなところに咲いている、てかてかで、肉厚で、ジューシーな色をしていた。私はサボテン目当てでこの園に来ている。

カピバラを触ることができるところでは、恋人がカピバラを触り、私はそれを見ていた。私は恋人に動物を触らせることが好きだ。恋人は動物をかわいいと思うことができ、のみならず触ることができるということを再認識し、誇りに思うことができるからだ。恋人によれば、カピバラの毛は「硬い、結構硬い、針金」または「枯れすすき」だそうだ。

最後にサボテンソフトクリームを食べた。これまた何とも言い難い、何にも例えようがない、おいしいにはおいしいが……

動物とサボテンの園をあとにし、熱海まで戻った。車を返してからは熱海駅周辺を散歩し、ビールと蒲鉾とラーメンを飲食した。金目鯛で出汁を取ったラーメンはスープが透き通っており、久しぶりにスープが透き通ったラーメンを食べることができてうれしかった。私が最も好きな釧路ラーメンに近かった。恋人はしきりに生ビールをもう一杯飲みたがっていたが、お目にかなう店がなかったようで、諦めて帰りの電車に乗った。次は蟹の時期に金沢だろうか。


後日談

そもそも伊豆に行きたかったのは私のほうだった。伊豆は太宰治がたびたび訪れていたところだからだ。伊豆から帰ってから改めて太宰治を読み返すと、『東京八景』では熱海から海岸線を通って伊東、下田と南下し、下田周辺の宿で執筆していたことがわかった。ちょうど我々が通った道で、近辺に泊まったことになる。伊豆行きの前に確認しなかったから、偶然だ。太宰治も、あの重たい波音を聞いただろうか。




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