超訳 二水遺稿〜7曲目「今はまだ人生を語らず」
BGM 「今はまだ人生を語らず」吉田拓郎
記録的な豪雨が過ぎたら、猛暑がやってきた。蝉の声が生きる存在理由のように、空気に粘着して途切れることはない。
世の中はコロナがいっこうに収まる気配がない。もしかすると僕たちは記録的な岐路にいるのかもしれない。今後何年か後、僕たちのライフスタイルは決定的に変わるかもしれない。他人との接触を極力避け社会は「集団」から「個の集合」へと変化するかもしれない。
連載を続けている「二水遺稿」。今回は「二水遺稿」の本文にはない漢詩だ。
日本の古書は「写本」という先人の労苦により何世代にも渡りその内容を伝えてきたのはご承知の通り。実はこれずっと昔からなのだが、「写本」だから当然人が書を写している。その時に、新たに判明した事実、写本をしている人の解釈、噂等がそこに書きこまれたりする。後世それが重要な証拠になったり、果てはその「本」自体よりも有名になったりする。
写楽に関しての「浮世絵類考」の書き込みなどはまさにそうだ。大田南畝のこの本には式亭三馬を始め、何人もの人物が加筆、増補している。で、その加筆部分の方がむしろ論議の対象となっている。
で、僕が何を言いたいのかと言うと、あったのです!実は。
僕の手に入れた「二水遺稿」には、この本の所有者であった方の赤線や注釈がかなりあるのだけど、一番最後の頁にその加筆部分があります。それも僕が欲しくてたまらなかった越中地方の漢詩人をほとんど網羅した「越中古今詩鈔」に掲載された五首全部。万年筆の手書きで。
ね、明治大正の人の時代にはまだ生きてたんだねえ。写本文化の名残りのようなもの。
どんな人がこの本を持ってたんだろう。(実はヒントはある。まだ謎解きはしてないけど。いづれまた)背中を丸めて小さな置き机に向かいながら「越中古今詩鈔」の頁を捲り書き込んでいたんだろうか。蝉の声はしていただろうか。
加筆は頁の上部に「以下五首越中古今詩鈔ニ載ル」と書かれ、頁の余白にその五首が書かれていた。
「千利休」「牡丹」「次外川詩韻」「六十初度自述之一」「成美□敬老会偶得」※□は手書きで読み取れず。の五首だ。「越中古今詩鈔」が手元にないので、確認出来ないが、おそらく間違いなくこの五首が掲載されている筈だ。
今回の超訳 二水遺稿はその中から一風変わった詩、「六十初度自述之一」を。
六十初度自述之一
人間敢羨地行仙 眼底風塵未了縁
百廿五齢成定寿 笑吾六十是中年
超訳
長生きしたいかい?
静かに静かに人と関わらず生きる。
長生きしたいかい?
サプリを飲んでマスクをして!
まるで仙人のようなストイックさ。
歩く道歩く道、僕の目の前にはいつも風が舞っていて、先なんて見えないけど。(一体これからどうなっちまうんだろう)
早稲田のとある大先生も言ってた。人間の限界は125歳だって。
そう考えるとまだまだ先なんて見えなくてもいいかもな。だって僕はほんの60歳だから笑
さあ、長生きしようよ。
人混みをさけて。マスクを忘れずに。
アフターコロナの後、人はどう変わるのだろう?人と人との距離は一体どうなるのだろう。まるで仙人になった僕たちは仙人のように長生きするんだろうか。
越えていけ そこを
越えていけ それを
今はまだ人生を 人生を語らず
(吉田拓郎 今はまだ人生を語らず)