幸せレンタル
10万の髪の記事を書きながら、なんとなく気付いていた事なんだけど・・
「幸せ」も似たようなものだなって。
幸せという言葉もいたる所で目にするよね、こうして僕もアナタに見せてしまっている。
「みんな、幸せになろうよ」
そのように聞こえても仕方がない。
僕みたいなアマノジャクや、太宰治の小説が好きな人は、幸せになんかなりたくないと口にするかもしれないね。
日本が経済発展をし、成熟した社会だからといって、日本人の幸福度アンケートの結果は数十年間ほとんど変わらない。
ブータンのGNH(国民総幸福量)の値だって、国の政策であり、本心から得た結果とは限らない。
つまり、よくわかってないんだよね。
けど聞こえがいいし、悪いことではなさそうだからとりあえず幸せを掲げる。
幸せになる手段も無限にあると言っていい程だから、ありとあらゆるものに結びつけることもできる。
流れ星を見た
美味しいデザートが食べられた
欲しい車を手に入れた
恋人とうまくいってる
家族ができた
健康でいられる
私の人生 なんて素晴らしいんだ
・・ひとくちに幸せと言っても瞬間的なことから数十年に渡る人生観までと、幅が広い。
ひとつひとつ訪れる幸せや、ドカッと押し寄せる幸せ、一度に重なってやって来る幸せなんてのもある。
住所不定でも充分幸せに生きている人もいれば、億万長者なのに自殺をする人もいる。
幸せって一体なんなんだ!
って話にもなるよね。
以前の記事でも書いたんだけど、僕にとって幸せは手に入れることではなく「感じる」こと。
僕たちはとっくに幸せなんだから、いち早くそれに気づき、感じてしまえばいい。
それは相対的に感じることだってできる。
あの人に比べたらまだ私はいい方だ
あの時に比べたらまだいい方かな
そして幸せを感じたら、すぐ誰かに渡してしまえばいい、伝えるでもいいし、要は自分を通過していくだけで充分なんだ。
幸せを得るだの
幸せに成るだの
幸せを取り戻すだの
欲望を満たすための幸せは、とても勇気がいるからね。
僕がなぜこれ以上幸せになりたくないかというと・・
これ以上は悲しみを背負いきれないから
得たものはいつか手放さなくてはいけない。
幸せは得れば得るほどいづれ悲しみとなって訪れるから。
フラれたくないから告白はしないってのと同じで、単なるヘタレの言い分だったりする。
けど本心は・・
幸せを拒むことなんて出来やしないのかも。
だからこうしてたまに考えるんだけど、
だったら幸せの所有権なんていらないや、ひとりだけの幸せじゃ成り立たないし、順番に回したり、シェアできたりする使用権があればそれでいい。
「幸せレンタル」
そう思っていた方が、今の僕にとっては程良く感じることができる。
今日はめずらしく深夜に文章書いています。
いつものように静かで、穏やかな寝息だけが僕の耳に聞こえている。
読んでくれてありがとう。