【雑記】野暮と個人差と
今回はアッシュテイルの枠をガッツリと出てしまいますが、きっと何か結びつきを感じる人はいるのではないか、そんな話です。
初めに言っておくと、言いたいことは2つあります。とりあえず数だけ言わせてもらったので話に入ります。
ここにAさんとBさんという野球ファンがいます。2人は共に同じ球団を応援しています。
Aさんは週5日、2000円の外野席チケットを購入して試合を観戦しています。一方Bさんは週2日、6400円のプレミアムチケットを購入しネット裏から試合を観戦しています。
さて、2人は一体どちらが「ガチ勢」なのでしょうか?
Aさんは週あたり10000円を支払い高い頻度で試合を観戦しにきており、Bさんは観戦の頻度こそ下がりますが週あたりの観戦にかけるお金は12800円とAさんを上回っています。
観戦の回数とチケット代はそれぞれ年間で見ると双方にかなりの開きが出ます。
もう僕が何を言いたいのかわかる人はわかると思います。
こうして書き並べてみるとわかりやすいのですが、どちらがガチ勢なのか?なんてことはクソにも劣るほどどうでもいいことなのです。これほどまでに野暮な話もないでしょう。
大事なのは2人が同じ球団を応援しているということです。球団側に立ってビジネスの観点から見てしまえば金額の差がある点がきっと何かしらの考慮に入るかもしれませんが、ファン同士の話では全く別でしょう。
2人が仮に交流のある人間だとしたら、その点についてお互い何か触れるということは野暮極まりないことですよね。
また別の例えをしましょう。AさんとBさんは2人とも大のコーヒー好きです。
Aさんはとにかくコーヒーを飲むのが好きで、豆のことやコーヒーの知識についてそれほど詳しいわけではありませんが、生活には欠かせないと言っていいほど毎日何杯もコーヒーを飲んでいます。
一方Bさんはカフェインのことなどを気にして1日1杯のコーヒーしか飲みませんが、淹れ方や豆のことには非常に詳しく、それを調べたり試したりすることが大好きで、日々さまざまなコーヒー知識を学んでいます。
さて、2人はどちらのほうが「コーヒー好き」なのでしょうか?
重ねて言いますが、それは犬のクソにも劣るほどにどうでもいいことです。
同じ好きといっても楽しみ方が様々だということは、きっと誰しもが前提としては知っているはずなのです。
ただし、「知ってはいても理解していない人が必ずいて、その人たちは常に野暮なことを言う」ということが今回僕が話したいことの1つになります。
配慮の行き届き方は……
仮に野球のほうのAさんがBさんに対して「週2回しか観戦に来ないなら本物のファンじゃない」と言えば当然Bさんは嫌な思いをしますし、逆にBさんがAさんに対して「一番安い席で応援してるなら本物のファンじゃない」と言っても当然Aさんは嫌な思いをしますよね。
ここまでは大抵の人が配慮できるのですが、次のケースはどうでしょうか。
・AさんがBさんに対し「そんなに高いお金を払うほど本気になれないなぁ」と言う
・BさんがAさんに対し「そんなに毎日応援に来れるほど本気になれないなぁ」と言う
ハッキリ感想を言ってしまうのですが、この言葉が野暮でカドが立つものだとわからない人はちょっとヤバいです。僕ならそんな人とはなるべく友達になりたくありません。
コーヒーのほうでも例を出しましょう。
・AさんがBさんに対し「そこまで色々調べるほど真面目になってないからなぁ」
・BさんがAさんに対し「健康が気になるからそこまでたくさんは飲めないなぁ」
あぁ、めちゃくちゃ野暮だ。野暮すぎる。
ただ残念なことにこの辺の配慮が行き届いてなくて野暮なことを平気で言う人は一定数いるんですよね。これも個人差があるからでしょうか。
これも僕の感想と思っていただきたいのですが、人の楽しみ方や好みのベクトルについて自分の尺度でそれを測って相手を「やりすぎだ」というニュアンスで表現するのはいささか気持ちが悪いです。関係性によっては相手の好みを否定するのと同じレベルで失礼なことにもなりかねると思います。相手を悪く言うことだけが相手の気分を損ねるわけじゃないんですよ。
野球のAさんは外野席から観戦するのが好きなのです。Bさんは質の良い席から観戦するのが好きなのです。それを予算やスケジュールを踏まえた上で先述した形になっているだけです。
コーヒーのAさんはとにかくコーヒーという飲料を口にすることが好きなのです。Bさんはコーヒーという概念を掘り下げることが好きなのです。それをコーヒー好きという言葉で括っているだけです。
それをやれいくら払ってるだの、やれ何日来てるだの、やれ真面目だの、やれ健康に気を使うだの、余計なことを言うなってことです。
個人差はあるので、回避する。
ここでまた新しいAさんとBさんを出します。今度はバンドマンのAさんとBさんです。2人はただの趣味で楽器をやっていますが、ひょんなことから同じバンドを組むことになりました。
Aさんはギターを担当していて、趣味とはいえど演奏が上手くなりたいと思っていて、ギターも良いものを買い、バンドでライブに出るときも可能な限り良い演奏ができたらいいなと考え日々練習を重ねています。
一方Bさんはドラムを担当していて、家に置く場所がないため楽器は購入しておらず、ただの趣味なのだから楽しんでやれればそれで良いと考えあまり練習をしていません。
こんな2人がバンドを組んでいて、上手くいくでしょうか?
良いか悪いかで言えばどちらも悪くないですよね。それぞれやれる範囲で、思い描く形で、趣味を自分なりに堪能したいと考えているだけです。
ただ、Bさんがもし合同練習にあまり本気で参加せず、練習も適当な感じで本番を迎えようものならAさんにとっては気分は良くないでしょう。
同じように、Aさんが事細かに演奏の技術についてBさんに助言をしたり、合同練習にきちんと来るように促したりすればBさんにとってそれは気分の良くないことなわけです。
間違いがあるとすれば、それはこの2人がバンドを組んでいることそのものなのです。
そのように、野暮なことを平気で言う人と、僕のように他人のことを野暮なことを言う人扱いする人は、個人差によって相容れないだけなのです。
前半部分ではいかにも僕が思う意見こそが正しいかのように述べましたが、全くそんなことはありません。前提として、感じ方は人それぞれなのですから。
極論、この世に他人を傷つけようと考える人が1人もいなくなったとしても、傷つく人は絶対にいなくなりません。他人の受け取り方をどうこう言ってもキリがないということです。
ですから僕たちがそんなときに優先するべきなのは、埋めようのない個人差がある人とは距離を取って、それについての話をしないことです。
僕が今回言いたかったもう1つのことがこれになります。少し寂しく見えますが、これはこれで人と人が仲良くいられるための秘訣でもあると僕は思います。
もちろん同じような嗜好の人とはとことん話せばそれはそれで楽しめていいでしょうし、もとより個人差を踏まえた上で議論するのも面白いかもしれません。その辺りは関係性によって塩梅があるでしょう。
最後に……
今回こんな話をしたくなったキッカケはアッシュテイルにありますが、特にゲーム内で何かが起きたというわけではなく、日頃の人とのコミュニケーションによって色々こうして考える瞬間が訪れたので、きっとリアルで同じような瞬間を味わう人がいるかもしれません。
そしてそれもまた個人差なので、共感できてもできなくてもいいのです。そんなもんです。
この話を読んでみてアッシュテイルと結び付く人も結びつかない人もそれぞれいることでしょう。それでいいのです。そんなものなのです。感じ方について何かを言うこと、それ即ち野暮なのですから。自戒。