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【松江城】山陰屈指の名城を歩く

島根県松江市にある現存天守を持つお城【松江城】年間を通して賑わいを見せる名城です。

今年で411歳【国宝天守】
平成13年に復元された平櫓【太鼓櫓】
太鼓櫓と同時に復元された【中櫓】
高さ13mの【高石垣】


天守の構造

四重五階、地下一階
複合式望楼型の現存天守です。

付櫓の石垣は天守台より低くなっている
一、二階部分は全面が真っ黒の下見板張
付櫓の軒裏は板軒形、天守本体は垂木が露出する白木造り
天守内部。唯一現存する包板の柱が豪快に並ぶ
最上階。室内に取り込まれた廻縁


松江城の天守は、同じ大きさの屋根で作られた二重二階の入母屋に二階建の望楼を乗せた形式で、
天守正面の三階部分には本体と独立した小さな入母屋破風を設けてあります。

織田信長の"安土城天主"や、"豊臣大坂城天守"などの初期型天守も同じ形式だったと考えられています。

松江城天守はこれらの系譜を引き継ぐ、唯一の現存例だと考えられています。

歴史が感じられる重厚な姿はの一言

松江城の歴史

関ケ原の戦いで東軍側に付いた堀尾吉晴・忠氏の親子は出雲・隠岐24万石を与えられ、「月山富田城」に入ります。

しかし統治面での難しさからか、拠点を移す事になり1604年に宍道湖畔の亀田山に築城を始めます。

その最中、父に先立って忠氏が、築城直後に吉晴が亡くなり、忠春が跡を次いで城主となります。

忠春の死後は京極忠高、後に松平直政が入城し、明治維新までその歴史を繋いで行きます。

堀尾吉晴、忠氏親子は町の発展を見る事は出来ませんでしたが、城下町"松江"は出雲国の中心であり続けました。

その象徴となった"松江城"は地域の方のみならず
全国民から愛される名城として
今尚、その輝きを放ち続けています。

松江城完成の直後にこの世を去った【堀尾吉晴公】


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