欲しいのは、理由ですか?
お風呂からあがって、化粧水をつける。
なんだか肌がガサガサしている。
あー冬か、乾燥だ。
いや、ピーリングをしなかったからか。
明日しよう。
こうやって、だいたいいつだって、なにかが起きれば、その理由を探り、解決をしようとする。
小さなことでも、理由があるとわけもなく安心したりするし、なんとなくとかよくわかんないけどとか言われると、ちょっと不安になる。
それになにをするにも、だいたい理由は聞かれる。
なんでそれやりたいの?って。
なんとなくですね〜って答える人はいるけれど、それで納得する人は見たことがない。
やっぱりわたしたちは、いつもどこかに理由を探っているのではないかと思う。
そして厄介なもので、この理由は、回答者じゃなくて質問者の満足のしたものじゃないと、認められなかったりする。
回答者が適当なことを言ってると思えば、質問者はあるのかもわからない"本当の"理由を探る。
でも、世の中の出来事って、案外理由なく起きたりするものだ。
人を好きになるのだって、明確な理由はなかったりするし、人を嫌いになるのだって、明確な理由がないこともある。
訳がなくったって、人は泣くし、怒るし、笑うし、喜ぶ。
そんなことがあったっていい。
理由ばっかり求めていると、案外お互いつらくなるものだ。質問する側も、回答する側も。
だから、起きたことぜんぶ、そのまま受け入れてしまう。
目の前にあることが、すべて。
そこにあるものを、そこにあるものとして、認める。
なんでそこにあるんだとか、なんでそれが起きたんだとか、問いただして納得のいく理由を見つけたとしても、それがそこにあることも、それが起きたことも、なにも変わらないのだから。
それなら、「これからどうするか」を考えた方が、少しだけ気が楽になるんじゃないかと思う。
いつまでも理由探しといって過去を向いていては、進むべき未来も見えてこない。
目の前のことをありのまま受け止める。
簡単じゃない、覚悟のいることだ。
でも、その分きっと、前を向ける。
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