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みんな、疲れたら休め、というけれど



ずっと、「休みたいなら、休めばいい」と思っていた。

もちろん、どうしても休めないこともある。

仕事が立て込んでいたり、どうにも休めない会社の雰囲気があったり、大事な何かを目前に控えていたり。

それでもずっと、あとあと体調を崩してしばらく休むことになって、迷惑をかけることになるなら、今だけ1日休む方がいい。

そんな風にずっと思っていたし、そうな風に言われるけれど。

休むって、思っていたより、ずっとむずかしい。

 

 

で、どうやって休むの?




当たり前だし、当たり前だからいわれるのだろう。

疲れたら、休もう。

でも、簡単に休め休めとはいわれても、誰も休み方は教えてくれない。

そんなの、会社に電話して、「休みまーす」っていうだけだよ、っていわれるかもしれない。

実際、それで大方大丈夫だろう。それらしい理由でも勝手につけて。コロナだとは思われないようにして。

でも、そういう方法の話じゃなくて、ずる休みをちゃんと正当化する方法を知りたい。

そんなのも、疲れたから休む、でいいんだよ、と言われそうだけれど、腑に落ちないし、心がついていかない。休めない。

 

「休めない」じゃなくて「休みたくない」から根深い

なんで休むのか。


① まだがんばれるから

わかる。これも一理ある   

 

② こわいから

うん。わかる。

ずる休みってばれたらどうしよう、明日心配されるの心苦しいな、そもそも今日休んじゃいけなかったし、あー私の仕事大丈夫かな、こんな大事な時に休んで自己管理のできないやつって思われないかな、仕事できないって思われないかな、体弱い子認定されて大きな仕事とか任されなくなるんじゃないかな…

一日くらい休めばいいじゃないかといわれても、こんなことずっと考えている方が、どうかんがえても憂鬱。

 

③ 休みたくない

これ。これが一番根深い。

休みたいけど、会社にいた方が安心する。

仕事してるように見えるし。

毎日朝から晩まで会社にいて偉いね。そういう風潮がある会社だったら、早く帰りづらいし、遅くくるのも気まずい。

精神的に休んだ方がいいのはわかるけれど、精神の側が休むことを許容できなくて、結局会社に行ってしまう。

休みたいけど、休みたくない。

休めないんじゃなくて、休みたくないのが、根深い。



休む権利はある。

休む必要も、たぶんある。

しかし、自分で自分が休むことを許せないし、そもそも休んだ時の方がこわくて、休まないでいてしまう。

これがつまり、休みたくないということで、休みたくないから、休むことにもならないのだ。 
 
   

休むのにも、勇気が必要だ。
必要すぎる。

もっと軽率に休んでいい会社と社会をつくりたいね。

ちゃんと休んだら評価されるとかね。
ちゃんとブレーキをかける技術も評価してくれよってね。

車乗るのには、アクセルよりブレーキのことをたくさん教えられるのに、
働くのには、アクセルのことばかり教えられるの、資本主義とか会社が回るために必要なのはわかるけど、せめて少しくらい、ブレーキのことも教えてほしいよ。

アクセルかけすぎても人は死ぬし、
働きすぎても人は死ぬんだよ。







ま、わたしは、このnoteを会社で書いたので、まだ休めてはいないけど、その分だけさぼっています!(仕事しろ)

休みもさぼりもしなければ、人生が終わってしまう!

ということで、これからも、丸一日は休めないかもしれないけど、軽率に仕事するフリしてサボっていこうとおもいます。(だから仕事しろ)

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