ガラクタと遊ぶ。 ー何もないわたしとのお別れ会ー
全然noteを書いている場合ではないのだけど、わたしには今日までのスライド作成とES提出という大事なタスクが目の前でおすわりをして待っているのだけど、今思いついて、今書きたいから、書くことにしてしまう。
いわゆる“就活”がなんだか顔を覗かせてきた。
え、みんなはやくない?とか言ってたらあっという間に追い越されそうで、もうすでに追い越されているんだけど、差が引き離されないように亀の速度で歩き始めた。
みんなうさぎみたいだ。
不安な自分を、自信のない自分をかき消そうとして、上から目線になる、僕らは奇跡でできているの水本先生やかつての相河先生みたいに。
だけど、かくいうわたしだって、速度が亀のうさぎだ。悪い×悪いコンビ。
不出来に不出来を掛け合わせてマイナスマイナスでプラスになったり、、しないんだろうか。
しないから、わたしはわたしを取り繕うしかない、とやっぱり考えてしまう。うそ合戦の始まりはきっと、何もないのに、何かを求められるからだ。(今日、ヨッピーさんの就活の記事を読んだ)
***
目の前に箱があったら、きっと多くの人は中に何か入っているか考えたり確認したりするだろう。
その中に何か入っていることを期待する。いいものが入っていたら喜ぶし、大したことがなければなんだ〜とちょっとがっかりする。
人間だって、いわば箱だ。
評価に晒されている間はいつだって、いろんな角度から箱の中身を覗かれている。
わたしはずっと、箱の中に何も入っていないと思っていたし、入っていてもガラクタとしか思ってなかった。だからほかの人の中に入ってるいいものをほしいなと思ってきた。
たとえ自分が褒められたとしても、あんまり嬉しくなかった。わたしが本当に褒められたいのは、ほかの人の中に入っているいいものだったけど、わたしが褒められるのはそこじゃなかったから。まあ、当たり前なんだけど。
だって、いいものを作ったり、いい仕事をしたりして、助かったよとか、よかったよって言われたかったのに、仕事ができる人になりたかったのに、なれないし、なる努力もしてないし、なる方法もわからないし、って言い訳を並べて、ちょっと頑張ってみてもやっぱり優秀な人は優秀のままで、追いつける訳もなく当たり前にされていって。まあ、これも当然なんだけど。
そのままの自分で褒められることは優しいねとか、ほわほわしてるねとか、他に褒めることがないから出てきたようなことで、ストレングスファインダーに出てきたのも簡単な言葉ばっかりで、収集心、ポジティブ、共感性、未来志向、包含どれもみんな持っている気しかしなかったし、もっと戦略性とか分析思考とか目標志向とかかっこいい言葉が並んでみたかった。1つの成果をあげられる、という意味での仕事ができそうな強みが欲しかった。
能力があるという言葉を目にするたびに、自分の強みはなんですかと問われるたびに、何もない自分が際立って、自分にはないものばかりを望んだ。
もう全部全部、こんなことを言ってる自分が1番かっこわるくて、情けなくて、努力すればいい、やるだけだ、なんてことはわかりきっているんだけど、、、ね。
やっぱりどうしたらいいのかなって思って、人の真似をしてみたりするんだけど、真似ばっかりしてても、自分で考える力がないといつまでも後追いしかできなくて。
結局のところ、箱の中身は、何をしても変わらないんだなあと、諦め。
でも何をしても変わらないなら、何でもやっちゃえばいいんだなあとも思った。だって、箱の中身が絶対になくならないなら、投げてもいいし、振り回してもいいし、自由に扱っていいわけでしょ。(乱暴)
わたしにはどうしようもないおもちゃにしか見えなくても、持ってるものがそれだっただけで、ほかの人は、みんな持ってるものがそのまま違うこともあるし、でもそれでもちゃんと自分の持ち物を武器に変えていただけなんだよね。
だから、とりあえずわたしは、わたしの箱の中身のガラクタで遊んでみることにしようかな。
なんの役にも立たなさそうなブリキのおもちゃでも、“なんかいい”くらいに思えれば上出来だ。
その先に、ブリキのおもちゃを、まあこんなんですけど、なんかいいかなって思ってるんですよね、ここをちょっと磨いてみたら意外と使い道もあってそんなに悪いものではないんですよって言える未来があればいいなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
終。
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