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つらいから涙が出るわけじゃないんだよ。


もう消えてしまいたい、と思ったときに、
それでも泣いている自分をみて、
「ああ、わたしはまだ生きたいんだな」と思った。

普通、泣いていることはネガティブなイメージを持たれがちだし、実際泣いているときには、どうしたの?悲しいの?つらいの?苦しいの?なんて言われるから、やっぱり「悪いことがあったときに出てくるもの」のようなイメージがある。

だから、涙を流しているのに、まだ生きたいと気づくってどういうことなのだろう、と我ながらに不思議だった。
でもたしかに、まだ何かに縋りたい気持ちだったのだ。だから、生きたいと思ったんだ。
もうどうでもいいや、と思っていたら、きっと、涙なんて出てこなかった。
泣いてる、その理由は後ろ向きだけど、でも求めているものは前にあった。

だから、涙は、悲しいから、辛いから、苦しいから、悔しいから、出てくるものじゃないんだ、と書いてみたくなった。

***

わたしは、ここ半年、絶対に放送同日に観ると決めていたドラマがある。
月9「監察医 朝顔」。

https://www.fujitv.co.jp/asagao2/

いつもいつも人の温かみが全面に伝わってきて大好きなドラマ。
主人公が3.11でお母さんを亡くしていて、しかも法医だから毎回誰かが亡くなるのだけれど、それでも、誰かが誰かを想う気持ちに光を当てているから、ひだまりのようで、清くて、しなやか。

そんな「朝顔」の最終回のラストシーンが意外だった。

登場人物が涙を流しているシーンが次々に映し出されるのである。
みんながみんな、泣いていた。
でもそれは、悲しい涙じゃなかった。

もちろん、涙が出るほどに心が動いているのはたしかだ。それだけ悲しかったり、辛かったりする気持ちはあったと思う。
自分の娘がいなくなったり、息子の通う小学校に刃物を持った男が立ち入ったり、刑事の同僚が刺されたり…
起こった出来事は、涙が溢れるのは当然のようなことばかり。
でも、それも暗い涙じゃなくて、純粋に大切な誰かのことを想っての涙だった。

情緒のないことを言えば、きっと事件に巻き込まれたのが、自分の大切な人でなければ、同じだけの涙は出てこない、みたいなことで。

それぞれの涙は、「大切」が現実化したものに見えた。

すごく当たり前なことを言っているけれど、でも、これを見てわたしは、「大切だから涙が出るんだ」と本当に思った。

***

涙が出るような出来事はだれにでもある。
その時に、泣くか泣かないかは、その出来事やそこに登場する人がどれだけ大切かにもよる。

そう考えると、涙は、「一つの出来事で動いた心の揺れ」じゃなくて、「これまでの大切なものへの想いの積み重ね」のような気がしてくるのだ。

いつも人のために泣いてしまうとは限らない。
自分が情けなくて、不甲斐なくて、もう嫌だと思って泣くこともあるだろう。
誰かに言われた言葉が深く心を抉ってくることもあるかもしれない。

こんなときの涙は、自分のことが大切だという現れのような気がしている。

もちろん、すべての涙が大切の現れではないと思う。
涙には涙の数だけそれぞれの理由があるし、その理由も一つではない。

ただ、「つらいから泣いている」んじゃなくて、「大切だから泣いている」と思たら、救われる夜が一つくらいあると思うのだ。

だから、涙の理由に、「大切だから」を加えたくなった。

たぶんきっと、消えてしまいたいと思いながら、泣いてる自分を見て「ああ、わたしはまだ生きたいんだな」と思ったのは、自分で自分を大切に思う気持ちをどこかに見つけたからなんだと思う。

つらくて仕方ないから泣いている
んじゃなくて、
つらくて仕方ないけど、つらいときに泣けるくらい自分のことを大切にしている
とどこかで思たらいいなあ。なんて。

そんなに簡単ではないし、大事で大切な何かのために、人は泣くって、信じたいだけかもしれないけれど、涙は悲しくてつらいから溢れるもの、という解釈以外の見方ができたら、悲しみやつらさ自体も形を変えていくんじゃないかなあと思ったのでした。

「涙の数だけ強くなれるよ」って歌詞があるけど、いつか「涙の数だけ大切な人がいるよ」って歌詞を書いて、発表したいです。(?)

おわり。

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