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楽曲『可愛いユナちゃん』MVに関する妄想

☝上の動画が題にある例のMV。

超☆社会的サンダル
というバンドの、『可愛いユナちゃん』という楽曲のMVに最近ハマっている。何度も何度も聞いていたら、自分の中で少しまとめたくなった思いがあったから、まとめてみようと思った!

はじめに言っておきたいのは、これは考察でもなく感想でもなく、妄想であるということ。
作品の受け取り方はもちろん人それぞれだから、自分の妄想でこの作品の見方を歪めないでほしいという想いを込めて。
誰かに自分の見方を押し付けたいという気持ちは全く無い。隙あらばそういう物の言い方をしてしまう。
あくまでこの曲が好きな一個人として、このMVを何度も反芻して、脳内で繰り広げた妄想をこれから垂れ流します。

結論からまず。

『可愛いユナちゃん』は女から女への特大LOVESONG


「私はユナちゃんが大嫌いです。」

動画概要にはこの一文がある。歌詞も、「ユナちゃん可愛い」とひたすら連呼し、直接的な表現は一切無いものの、それはもう、可愛いユナちゃんとやらへの強烈な嫉妬心やどう足掻いてもそうはあれない自分への劣等感がひしひしと伝わってくる内容になっている。

では何故"LOVESONG"と言ったか。
大きな根拠が2つある。

1つは、MV中、Vo、或いはこのMVの主人公の1人である女の子の着ているTシャツ、の印字。

THE
LOVE
SONG

この言葉、ご丁寧にTシャツの後ろ面にも印字されていて、MVの最後、夜の路地を女の子が歩き去っていくシーンでもとても印象に残る。
それまでの激しい画面とは打って変わった静かな映像に、その言葉はユナちゃんへのメールでかき消されていって、しかしその文面は文字化けしていき、ついには自分の手で一気に消してしまう。そしてMVの最後に残るのは小学生の頃を思い起こさせる、チープなビーズや糸のようなもので彩られた「可愛いユナちゃん」という歌のタイトルと、と、と。

もう一つの根拠は、また後ほど述べたい。
いきなり結論から出してしまったので、今度はMVの頭から順を追ってみていこう。


MV概要

その前にMVの構成について、簡単な整理をさしてください。
このMVには主要な登場人物が2人いる。

腰の長さまである黒髪ロングの女の子・・・映像中では黒のリボンのチョーカーに白いワンピース姿。昔ピンクのイルカをお揃いで持っていた。以下「ユナちゃん」と呼ぶ。
肩までの長さの黒髪ミディアムロングの女の子・・・映像中では白い半そでTシャツ姿。ユナちゃんとお揃いの水色のイルカを今でも持っている。映像中GtVoを担当しており、歌詞はこの子目線となっていると思われる。以下「私」と呼ぶ。

あくまでこのMVを1つの物語として見たときの妄想なので、「私」に関して、バンドのVoさんというよりは、映像内の1人の登場人物として考える。

☝の2人は、映像内で対照的だ。まず服装からして、ユナちゃんは所謂病み系ファッション的な装い。華奢で、全面的に「可愛い」恰好をして、撮り方も、アイドルのMVのような、カメラを意識したカットが多い。一方で「私」はダボッとした白いTシャツにパジャマのようなズボンと、少々野暮ったい恰好で、大体髪を振り乱していて、顔はよく見えない。

もう一つ、対照的なものがある。
「過去」と「今」、という時間の対立だ。
過去は小学3年生の頃。今、はいつかは定かではないが、MV内の2人が今の時間軸と仮定して、おそらく10代後半から20代前半。歌詞から考えられる状況をさっくりと。

過去・・・ユナちゃん可愛い。ユナちゃん賢い。ユナちゃん足速い。お揃いのイルカのストラップ。
今・・・ユナちゃん可愛い。ユナちゃん煙草吸ってた。ユナちゃん髪の毛金髪になっていた。「私」は昔と変わらず黒髪眼鏡。「私」はお揃いのイルカのストラップを持っているけど、ユナちゃんは捨てたかな。

はい。
「ユナちゃん」と「私」
「過去」と「今」
この2つの対立構造に注目してMVを見ていきたい!
もう息切れしてきた!

ユナちゃんについて

花柄の壁紙があしらわれており、白を基調とした家具に、メイク用品やなんやらが散乱しているセットの部屋を、ユナちゃん部屋と仮称する。
キラキラとした化粧道具や、少女漫画なんかが散らばっている部屋で、ユナちゃんは奔放にそこにいる。当然可愛い。
しかし、不自然で不健全なものが、まるでサブリミナルかのように、度々、ほんの少し映っている。
例えば、(0:40)にアップで映るEVEAの錠剤。一般的な痛み止めだが、こういった簡単に手に入る市販薬は、よく若い世代の薬物過剰摂取、所謂オーバードーズに使用されがちであるし、何より化粧品の中に1つだけ錠剤、そしてアップで映すという、画面の構成が不自然だ。詳しくないのではっきりとは言えないが、痛み止めがオーバードーズに使われるイメージはあまりないので、ここでユナちゃんが薬物過剰摂取に陥っていたとまでは言わない。
しかし、ああいった錠剤というモチーフに象徴されるような、いわば"病んでいる"状況にあったのではないかと思う。

(1:22)から交互に繰り返されるカットなんかも印象的だ。
野外で、可愛らしくにこやかに映っているユナちゃんと、
血だらけのバスルームで、頭を抱えているユナちゃん。
対照的なのは映像だけでなく、音楽面や字幕も対比が凝らされているのだが、ここでは一旦置いておく。

(1:42)からの映像はどうだろう。
ユナちゃんがもぐもぐスイーツをたくさん頬張っている。可愛い。
可愛いのだが、手掴みで生クリームもなんのその、どんどん口に放り込んでいく様は病的で、その食事のあまりの生々しさに少しグロテスクすら感じる。
この場面から、ユナちゃんは過食症か何かを患っているのではないか、と連想する。わざわざ具体的な病名を付けなかったとしても、精神的に不安定なようには思える。
食事の内容も特徴的で、ふわふわのロールケーキとか、よく分からん色とりどりのグミみたいなもんとか、甘ったるそうなものばかり。いかにも「可愛い」食べ物ばかりだ。

先に挙げた3つの場面から私が妄想したのは、ユナちゃんは、何らかの自傷行為に陥っていたのではないかということ。
錠剤からは薬物の過剰摂取が連想されるし、血だらけのバスルームからはリストカットなど。手掴みの食事からは過食。
どれもが象徴的に描写されてるってだけで、はっきりと明示されているわけではないので、本当にただの妄想なんだけど。

ただ、とにかくユナちゃんは、不幸な境遇の少女だ。そのことは、これら映像だけでなく、MV最後に出てくる文面からも分かる。
そしてそのために、心を病んでいる一面があるのではないだろうか。
だが、「私」にとっては憎らしいことに、その「不幸」ですらも「可愛いユナちゃん」は似合ってしまう。
どんどん不幸になっていって、自分で自分を陥れる自傷のような行為に走っていっても、ユナちゃんは可愛い。


「私」がユナちゃんを連れ出す(1:48~)

寝巻のような姿の「私」がふらりとユナちゃん部屋に現われ、かなり強引にユナちゃんの腕を掴む。その後に、「私」が1人でアパートの一室から出てくるシーンが一瞬はいる。
ここから妄想したのは、ここらの、「私」がユナちゃんを無理やり外に連れ出したように映る映像は、一種の「私」の願望ではないかということだ。実際は、「私」は1人部屋から出て相も変わらず1人で思いの丈をぶちまけることしかできなかった。
そもそもにして、成長して久しぶりに会ったユナちゃんは金髪であるはずだ。ともすれば、映像中に現われるユナちゃんは全部、「私」の妄想であり、願望の中の姿と言ってもいいのかもしれない。
今の「私」はきっとユナちゃんと偶然街で出会ったときに互いの現状を把握する程度の交友しかないと思われる。

「私」がユナちゃんを外に連れ出すという行為は、ユナちゃんを"救いたかった"という、実際は叶わなかった願望が表れているのではないか。
先程述べたような不幸の渦中にいて、もう自分の手の届かないところに行ってしまったユナちゃんを、本当は日の当たるところに連れ出したかった。

より衝撃的な展開に持っていくなら、不幸に溺れてユナちゃんは死んでしまった、とまでいってもいい。

(2:42~)
ユナちゃんを自転車の後ろに乗せ、「私」が河川敷的なところを必死こいて自転車を漕いでいるシーン。
無知なので、ここの部分が何メロというのか分からないのだが、音作り、的な意味でも、映像と同じように、MV中最もクリアなものになっていると思われる。ソロギターの穏やかな音色。晴れ渡る青空。野外での爽やか、ともいえるシーンは、MVの前半にも存在するが、それと大きく異なる点は、

「ユナちゃんがカメラ(≒誰かに見られていること)を意識していないこと」「男性の掛け声が挟まれないこと」
の2つ。

可愛いユナちゃんは、自転車の後ろに可愛らしく内股で座り、「私」は必死に自転車を漕ぐ、この2人の残酷な差、を描いてるシーンではある気がする。ではあるが、それを一旦差し置いて、2人の表情を見るならば、映像中一番気楽に楽しそうにしているように思える。
ユナちゃんは、今までの映像より雑な表情をしている。女友達同士だからこその雑さだと思う。一方「私」も、前髪も乱して必死の形相ではあるが、口元を見るのであれば、笑っている。2人とも楽しそうだ。
2人はきっと、本当に友達だった。どんなに裏で汚い感情を抱えていても、それでも心の底から笑いあったときが、小学3年生のあの頃にはあったに違いない。

甘ったるい匂いがむせかえるようなお似合いの「不幸」からユナちゃんを連れ出して、あの頃みたいに2人で適当に笑えたら。あの頃のユナちゃんの、素の可愛さを自分だけが享受して、余計な劣等感やらなんやら、嫌気さす感情も忘れて、ただ無邪気であれたら、そんな願望が表れた、「夢」を見ているみたいな、うすぼんやりした感覚でもって、このシーンを聴いている。


赤いロリ服(3:00~)

「私」と同じ赤いロリを着たユナちゃんが、「私」の腹を刺す、ほんの一瞬のカット以降、ギターを持ちマイクの前で髪を振り乱すのは「私」ではなく「ユナちゃん」に入れ替わっている。ユナちゃんの様子は一変して、それまでの、どこか気怠げ、ダウナーな雰囲気とは一変して、ベッドの上で暴れまわり、歯を剥き出して笑う。獣的な雰囲気すらある。
しかし。
しかしだ。
本能を剥き出しにしたような動作でもなお、
「ユナちゃん」は「可愛い」。
赤いロリ服も「私」よりずっと似合っている。さっきまで「私」が中心になっていたその場所を奪われてもなお、ユナちゃんは、狂暴的なまでに可愛い。

この場面は、「私」の中に占める「ユナちゃん」という存在のあまりの重さを示していると同時に、より具体的な、別の見方を言えば、MVの最後に出てくる、「私」からユナちゃん宛の文面にある「喧嘩」時の精神的状況の暗喩になっていると思っている。

「実はね、喧嘩した時にあんたが言った「死ね」って言葉で安心して嬉しかった。」

超☆社会的サンダル『可愛いユナちゃん』Music Video から引用

この「死ね」がいわば「私」の腹を刺したナイフ。そしてあのベッドの上での取っ組み合いが要は「喧嘩」のときの、リバイバルみたいなもの。
ではこのとき2人は、何故同じ服を着ているのか?
映像の中で、2人はこの喧嘩のときだけ、同じ服を着て、同じ場所にいる。

「だって、あのキラキラのシールも、水色のランドセルも賢い頭も、ケンタ君も、ピンクのイルカも、不幸ですらなんでも持ってるあんたが大嫌いだったから。」

超☆社会的サンダル『可愛いユナちゃん』Music Video から引用

ユナちゃんの「死ね」という言葉で安心した、その理由として、なんでも持ってるあんたが大嫌いだったから、と述べている。
この文章、めちゃくちゃ複雑な乙女心がミチミチに詰まりまくっていると思う。
何故、なんでも持っているユナちゃんが大嫌いなのだろう。
あえて一言で言うなら、ユナちゃんが持っているそれらが、「私」は持っていないものだから、だと思う。
他はともかく、キラキラのシールや、ピンクのイルカなんかは、買えば手に入るものなのだが、それは手に入ることの無い物だ。

何故なら「私」は可愛くないから。
小学生時代、「可愛いユナちゃん」しか手にすることができない物は確かにあった。誰も口には出さない。その本能とも呼べるような生々しく嫌な臭いのする感覚。

「可愛いユナちゃん」は持っている物、可愛くない「私」は持っていない物ばかり。だからあんたが大嫌いだった。
でもそんなあんたが、可愛くない「私」が持っていて、「可愛いユナちゃん」はきっと持っていないはずの、醜く汚い嫌悪の感情を、紛れもない「私」に対して、まるで鏡合わせみたいにして持っていたこと。
それが安心して、嬉しかったんだ。

という愛憎が、あの場面で2人が同じ服を着ている意味だ、と思う。

「私」が自分が立っていた場所をユナちゃんに明け渡してしまうのも、それはある意味、刺されて負けたというよりも、ユナちゃんが「私」と同じ場所に堕ちてきたという、仄暗い喜び、或いは復讐のような一面もあるのかもしれない。それと同時に、強い強い執着を感じ、とにかく愛だなあと思ってしまう。

これはおまけ。赤いロリ服の場面の直前で1つ好きなところが、ほんの一瞬、本当にほんの一瞬だけ挿し込まれる、(おそらく)ユナちゃんがカップラーメンをすすってるシーン。
先程ユナちゃんの食事シーンの不自然さについて述べたが、このカップラーメンの一瞬のシーンは、(ユナちゃんは当然ユナちゃんみたいに甘くてふわふわした食べ物しか食べないと思ってるんだろうけど、なんも可愛くないカップラーメンを1人でずるずるすすって食ったりもするんだよぉ!!)って言われてるみたいで好きだ。勝手に言われてる気になってるだけなんだけど。

「可愛いユナちゃん」の死

ユナちゃんは死んでしまったのではないかと述べた。そうは言ったものの、しかしこれは極論で言えば、本当に死んでしまったかはどっちでもいい。
あの頃の、可愛くて、妬ましい、大嫌いで、大好きだった、お揃いのイルカのストラップを持っていたあの頃のユナちゃんはもう二度と戻ってこない。すっかり変わってしまったユナちゃんを「可愛いユナちゃん!」と持て囃す男たちには分からない、誰よりもユナちゃんのことが大嫌いな自分だけが特別に知っている、「可愛いユナちゃん」がもうこの世界に存在し得ないことへの、強烈な憧憬と苦痛。
自身の胸を焦がしてやまない「可愛い」概念の死が根底にあって、だからあのMVのユナちゃんは死んでしまっている、というか今この世に存在していない存在、なんだと思う。本物の、いや、現実のユナちゃんは、煙草を吸って、綺麗だった黒髪は金髪になって、なんなら歌詞では描かれていないが髪の長さもMVのものより短くなっていそう。
映像で描かれるユナちゃんは、「私」の中の理想、「私」にとっての本物の「ユナちゃん」。「私」の脳裏に永遠にこびりついてしまって消えない、昔見た、「可愛いユナちゃん」、の幻影。

そういう意味で、あのMVに出てくる黒髪ロングの「ユナちゃん」は死んでしまっている、と言いたい。


イルカ

動画のサムネに表示されているのは、便所に捨てられた青いイルカのストラップだ。持ち主は「私」の方だろう。
動画の最後、ゴム手袋をした手によって青いイルカは拾われて、携帯につけられている。その青いイルカのストラップをつけた携帯を持って、「私」は1人で暗い夜の路地を歩いていく。文字化けしていくユナちゃん宛のメールを背におって。
次に映し出されるのが「可愛いユナちゃん」のタイトル。
そうして最後、この動画の本当の最後に映し出される一文、

「あの時買ったイルカのストラップはまだ夢の中にいるよ」

羨望、劣等感、嫉妬、憎悪、……、いろんな「大嫌い」を積み重ねて熟成してなお、「私」は”あの頃”の「ユナちゃん」が、たまらなく可愛くて、好きで、ずっと、ずっとずっとずーーーっと忘れられない。んじゃないかなって思う。

これってとってもLOVEだなと……、勝手に妄想してここで泣いちゃうんですよね。
THELOVESONGだっていうもう1つの根拠は、イルカのストラップが今いる場所。


おわり

私は「私」側だった。
放課後、所謂「可愛いユナちゃん」と自転車を2ケツしたこともあった。
その子と並んで人目に晒される空間は、耐え難い強烈な苦痛を伴ったけど、普段は猫を被りがちなその子が、心底楽しそうに私に向かってクシャッと笑いかけるとき、特大劣等感の裏で、よくわからん謎の優越感が奇妙にねじくれてあった。
好きだったなあ……超偶然仲良くなったあの子。
今どうしているんだろう。
きっと今も変わらずとっても可愛いに違いない。憎たらしいぐらいに。

可愛い子って、可愛い子って~!!!!!!!!



書きたいとこだけ書いたら見出しとか使ってみたわりになんもまとまってなくて悲しいけど、とにかく「可愛いユナちゃん」、好きな曲、好きなMVです。人によっていろんな記憶が呼び起こされるんだろうな。

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