悪いことは言わないから『いじめ』をする奴にはなるな!
えーと。。。
今回は少し重たい話題に触れようと思う。
『いじめ』についてだ。
皆さんの中で、いじめを見ていた。いじめにあっていた。いじめをしてしまった。
そんな経験を持っている方がいると思う。
noteは数万人の方が利用しているのだから、色んな人生を歩んできた方ばかりだろう。
中学2年の時、私は身体的ないじめではなく、精神的ないじめで部活を去った。教師もグルだったことには驚きだったが。。。
私自身に問題があったため、あまり話を大きくしなかったことは今でも正解だったと思う。
無視や差別などそういった類だった。
私自身消化出来たことだと思っているが、本当のところは自分でも分からない。
そんな私の話を交えつつ『悪いことは言わない』シリーズ
悪いことは言わないから『いじめ』をする奴になるな!って話。
『いじめ』とは何なのだろうか。
身体的なものや所持品を破壊するいじめは分かりやすい。
それはもう、犯罪と同義であるからだ。
そもそも学校外では犯罪だろう。
学校内だけ『いじめ』という言葉で守っているだけだ。
- シロクマパンダのいじめ経験談
私がなぜ、いじめにあったのか。
それは簡単な話で、周囲と話が合わなかったからである。
AとBどちらが良いかついて議論していて、Cという回答を持ってくる奴だった。
しかも、そこそこ弁が立つ。
Cを却下できる部員はいなかったのだ。
当時はそれをカッコいいと勘違いしていた。
そんなわけないのに。。。
今更思うと、いじめを受けた私はいじめを受けたから被害者の面が出来ただけで、いじめを受けなかったら、私が部員全員をいじめていたようなものだった。
知識や正論を武器に切りつけまくっていたのだから。
今となっては、もうどちらが被害者でどちらが加害者だったのか分からない。皆が苦しんでた。私は苦しませてた。
正直な話、その出来事があったから今の私という個人を形成している気もする。
- 結局いじめのターゲットになってしまうのは誰?
これは、某メンタリストの方が言っていた説だが、私はその見解が当てはまっていると思うので、それを書かせてもらう。
集団の中で一番平均から遠い人がいじめにあう
これはその通りだ。
私は、皆が色んな意見を言う場では無類の強さを発揮していたが、皆に意見が無く、二択のどちらかなんてつまらない決定方法をしている場所では羊だったわけだ。
自分に酔っていた。自惚れていた。それだけだった。
だが、世の中には私のように自分から意図して外れていった人間ばかりではないだろう。
自然と考え方が合わなかったり、周囲とは決定的に違う身体的な特徴があったりなど、自分ではどうしようもないことでいじめにあう人達がいるはずだ。
そんな人達を前に私は自分から、その道に飛び込むという哀れな奴だったのかもしれない。
『いじめ』をする奴の考え方
私も無意識に私以外に正論という刃を向けて、楽しんでいた人種だ。
いじめをする奴の考えは正直分かる。
いじめは一種の「快感材料」なのだと思う。
いじめをしている瞬間は、いじめられている奴よりも高い位置にいるのだ。
それは何にも耐えがたい快感だろう。
だが、その快感は一瞬であることも分かっている。
だから定期的にいじめを行い快感材料を得ている。
たったそれだけのことなのだ。
その行為が「気持ち良い」それだけで続けている。
最低な行為だ。。。。。
社会人になっても、マウンティングをわざわざやる人間はいじめをする考えに近い。私も含めてだ。
最後に
今回のタイトルを思い出してほしい。
悪いことは言わないから『いじめ』をする奴にはなるな!
そう『いじめ』をするな!ではなくする奴になるな!が本当に伝えたいことだからだ。
いじめをするような奴の思考になるな。
いじめをすることに快感を覚えるな。
私はいじめをするという行為はする奴やそういった考え方の人間が居なければ起こらないと思っている。(当たり前だが。。。)
だが、教師や学校ではいじめが悪者にされる。
違う!いじめが悪いのではない!いじめを行う人間が悪い!
人を憎まず、罪を憎めという言葉があるがそんなものは幻想だ。
いじめを行うような人間にはなるな。
この記事を読んでくれた方、私はあなた方が私のようにならないように、この記事を書いた。
この世の中から、いじめを行う人間が居なくなることを切に願う。
今日はそんな話。