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常夜燈を手放すこと

 2022年に聴いて衝撃を受けた曲がありました。PEOPLE1というアーティストが歌う「常夜燈」という曲です。この曲については私とパートナーの間でもちょっとした話題になりました。

この世界には未来がキラキラと
みえる人もいるというの
それならば 食えぬものなど置いていかなくちゃ
例えばこんな胸の常夜燈も

常夜燈/PEOPLE1

 このフレーズです。
 私はこのフレーズを聴いた時に泣きそうになったことを覚えています。この世の中には、未来がキラキラとみえる人もいるのかと衝撃を受けました。私には、この世の中が本当に生きにくくて仕方がないので笑

 誤解しないでほしいのですが、関わってる人が嫌とかそういうわけではありません。むしろ関わってきた人には本当に恵まれていると思います。
 ただ、個人主義がすごく進んだらとか、せっかく頑張って修士号を取得してもむしろ生きづらくなるのはなんでだろうとか、マイナスなことを考えてしまうため、私には未来なんて到底キラキラ見えないのです。

 そんな私でも、なにか少しでもこの世界が(私のような人間にとっても)キラキラとしてほしいと、そう思ってまちづくりに触れてきました。色々な人がいる世の中ですが、私が今までまちづくりの中で会ってきた人たちは、(私からみたら)とてもキラキラしている人たちでした。この人たちとなら、たしかに世の中をもっとキラキラさせられるかもしれないとそう感じる人たち。

 そんなまちづくりの世界にしばらくいて、キラキラした世界で私のような人はどうやって生きていこう。ドロドロとした人間にも居場所はあるのかなといつもどおりマイナス思考でした。
 せっかく素敵な場所がたくさんあっても、ゆっくりと座ることができなければ、その人にとって安心する居場所にはなりません。さらに、そういった場所にアクセスすらできないようであれば、そういった理想から程遠いと思います。そんなことを考えながら、まちづくりに関わってきた身からすると、とても衝撃的な歌詞でした。

 話が逸れ過ぎましたね、歌詞の話に戻ろうと思います。このPEOPLE1の常夜燈では、「未来がキラキラとみえる人もいる」ことに対して「それならば、”食えぬもの”など置いていかなくちゃ、例えばこんな胸の常夜燈など」と返しています。
 たしかに、夢では食っていけないと言うように、理想や夢だけでは暮らしていけません。それでも、生きていく上でそういったものが心の支えになることもあります。なら、なぜ手放すのでしょうか。

 ここに関しては、私の視点では諦観のように見えました。未来がキラキラとみえる人が”上手く”やっているのを見て、自分もこんな生きづらさの一端にしかならないような夢や思想を捨てて、「そういった人たちと同じように」とまではいかなくても、社会で上手く生存していかなくてはならない、といったような諦め。もしかしたら、自分が日々そのようなことを考えているので、そのような受け取り方しかできなかったのかもしれません。

 優しさで心をすり減らしたり、心の支えを置いていかなければならないと思い詰めたりするような場面がこの世界から少しでも減ればいいなと思います。そして、そのために自分も微力ながら、少しでも考えて、動いていかないといけないと気持ちを新たにする曲でした。


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