備忘録『聞く技術 聞いてもらう技術』(ちくま新書)
最近、私の周りで話題になっている『聞く技術 聞いてもらう技術』(ちくま新書)を読んだので、その中で印象に残ったことを備忘録に残そうと思います。
実際にこういったお仕事に従事されていたり、社会的処方やコミュニティヘルスなどに関係している人からすると当たり前かもしれません。
それでも、「コミュニティデザイン」という言葉が市民権を得て、「社会的処方」やという言葉にも耳馴染みがある人が増えてきた今だからこそ、つながりが生まれることがいかに難しいか、ましてや孤独な人がつながりに手を伸ばすことへの困難さはみんなで共有したい事柄だと思います。
これも当たり前なのかもしれませんが、改めて心に止めておきたいと思ったことです。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と専門家が思って、枯れた尾花の解説をしても、クライエントから依然として幽霊に見えているのであれば、むしろその解説の方が非現実的になってしまうことはあると思います。であれば、専門家がまずすべきことは(もし仮に尾花の解説が必要であれば、)クライエントが見る視点を理解しようと試み、その視点を同じ様に旅することでクライエントの視点を変化させる鍵を見つけることではないでしょうか。もちろん、言うは易く行うは難しですが、前段として必要なことに変わりはないように思えます。
聞く、聞いてもらうといえば、最近アサーティブコミュニケーションについてパートナーに教えてもらったり、西村佳哲さんのsoarの記事を読んだり、はたまた所属するすわい保健室で行った性教育をテーマとしたイベントでも出てくるキーワードでした。
仕事でも、顧客の話を聞いて要件を整理したり、逆にこちらから伝えるといったこともありますが、すぐコミュニケーションしなきゃいけないけど、フィールド(あるいは準拠枠)を一致させないと最終的にすれ違うといったことも起きてしまう。もっと全身で感受したいと思いつつも、日々の業務でそこまでのパフォーマンスを毎日出すことは難しいなど、悩ましいものだなと感じます。
きっと、これからも至るなんてことはなく、絶えず考えながら付き合っていく行為なのかもしれないなと思ったりもする読書でした。
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