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最近のSNSと今年の抱負

最近はSNSを見ていると、ビジネスに似た空気を感じることが多くなったように感じる。だからか、私自身も見たり呟いたりする機会が以前より大幅に減った。

多分私は、SNSにパフォーマンスやバリューのようなものを求めていなくて、どちらかといえば生活を求めている。使い古された表現だけれど、夕方散歩していて感じるお風呂の匂いや夕飯の賑わいのようなもの。

ドーナツが美味しかった。友だちと駄弁って楽しかった。そういった生活の断片に触れて、自分以外にも様々なことを感受しながら人生を懸命に暮らしている人がいるのだと知りたい。それは日々の暮らしの中の小さな孤独や絶望をいなすためだったり、幸福や安心を確認するためだったりする。

今のタイムライン型のSNSの多くでは、人の悪感情を煽ったり、関心を集めることに腐心したりと相手を意識した戦略的に感じられる投稿が(主におすすめ欄から)目に留まる。

最近、仕事をしていくためには社会を良くしたいみたいな気持ちを傍に置いておかないと辛いばかりかもしれないという話を友だちとした。そしてそれが難しいことについても。あれだけ大事だと教え込まれた道徳心は、今は枷に感じてしまうような生活。
そんな日々の中で、仕事でない時間までもそういった感情と距離を置くのは、私が今の私を否定するように思えてしまう。

私はコミュニケーションしたい。でもそれは、集めるためのものではなく、私を確認し、認めるためのものでありたい。だから、今年は今以上にSNSとの距離をおきつつ、他者からの目線で自分を見ずに、自分で自分を見つめることを心がけたい。

今年はメルロ=ポンティの『知覚の現象学』を読んだり、俳句に触れる機会が増えたりすることで、自身に向き合う機会は増えると思う。
今の社会に合った生き方とは思わない。ともすれば、日常との落差により心を痛めてしまうかも知れない。それでも、心を曇らせてゆくよりは私は私として生きることを頑張ってみたい。

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