ミスと言い訳
過去のちょっとした事務ミスから大きなインシデントを起こした。
私は目を下に落とし、あやまり続けた。
経緯を話すうえではどうしても言い訳になってしまうところがある。
それでも私はどんなに小さなことでも、必要が無いような小さなことまで、その経緯の線上にあるものはすべて正直に話をした。
それが正しいことだと信じていたから。
こんなこと誰かのせいにしようとすればできるだろう。そんな話はよく聞くが、まさかそんな人が本当にいるとは思えない。
だからこういう時は迅速に正直になる事が正しい事だと。
わたしの心臓はブッ壊れるほど拍動していたが、とにかく洗いざらいを話した。
私のミスはあっという間に社長までエスカレーションされたが、社長は世間を騒がすような情報漏洩や人災にかかわるようなことじゃないから、と言ってくれていたらしい。
しかしおそらく、その言葉を出すまでにはきっと私の直属からそれ以上社長以下までの偉い人たちの優しさがそこにあったことは確かだろう。
それが組織というものだとしても、私は有り難く逆に言葉を失った。
こうしてわたしのミスは、想定以上の人に迷惑をかけた。
最近はやりの「フキハラ」を聞くこともなく、すぐに社内回しの作業に取り掛かかり、私は他の繁忙作業に没頭することを黙々と続けた。それが何より今は一番大切なのだと思ったのだ。
こうして必死で過ごした3日。
ここではじめて言い訳できるとして、最終決定者が決定する前に指摘してくれていれば救われたということ。その決定者である親会社の担当は「私違和感あるんですけど」と言った。
彼女はそっち(私)が完璧に出したものをただ決定ボタンを押せばいいときいていたから確認はしていない、と主張した。
そう言った瞬間、彼女の上司はピシャリとその言葉を制した。
しかし彼女は悔しそうにまだぶつぶつ言っている。
「あぁこの人は自分のせいではないということを主張したいんだ」と思った。
言い訳は言えばきりがない。しかし言い訳は自分を守っているようで実はそうではない。
はっきり言えば、どうでもいいことだ。
今必要なことは言い訳ではなくて事実。
全てを話すことで自分を擁護する必要は1ミリもない。
「いるんだ、こういう人」と内心思っていると、会議中の相手の参加者から「うちの社員がごめんね」というチャットが入って、ちょっと笑えた。
ミスは誰にでもある。
そうわかっていても実際自分に降り掛かかってくると恐ろしくて倒れそうになるが、それは事実であって「忙しかったから」とか「そんなこと聞いてない」とか「あの人が」とかそんなことは関係ない。
事実は事実としてただ、そこにある。
一度、誠心誠意謝ったらあとは全て話をして、とにかく事を終わらせる着地点を見つけ、淡々と通常業務をすればいい。
再発防止を徹底して自分に厳しくいればいい。
その行動は周りはちゃんとみてくれている。
それが評価されない、できない上司や組織はふざけていると、そう信じている。
今でもまだ残務は残っているし、その他やる事は山積みだ。ただ私の気持ちは発覚したあの一瞬から見れば既に穏やかであった。
それは私の周りの人の行動が、
私の行動を評価してくれていることに起因しているのだろう、だから私は震えて自席にいることはないのだ。
いい環境で仕事ができているということを改めて感じ、感謝した。
明日はたまった通常業務のため勤務をする。
今日は母のわがままを聞きに実家へ。
娘はバイトに、夫は……?
何があっても日常は変わらず進む。
この今の一歩先にあることは、恐ろしいことでも楽しいことでも、
それを受け止めるための心構えを
今回学んだ気がする。