「当たり前」って何?

ここ数日会社でのあまりに理不尽な仕打ちに「当たり前」って何?と考えざるを得ませんでした。暴言を「パワハラだ」と指摘しても上司は「ネガティブに捉える方が悪い」と全否定、2年前に筆者を休職に追い込んだ加害者も内部調査で「パワハラはしていない、業務上必要な指導の範囲」と全否定したそうです。「図々しいにも程がある」と開いた口がふさがりませんでしたが、同時に相手は本音でパワハラの自覚ゼロでしょう。

現職含め過去の勤務先は全て(労務関係は特に)「無法地帯」でしたが、冷静に考えれば明らかに「違法」「異常」な状況が閉鎖的な会社組織の中で「そういうもの」として「当たり前」になってしまったのでしょう。会社や学校(時には家庭も)のように上下関係が固定された閉鎖空間では理不尽な慣行や暴力も横行しがちで、それが「当たり前」になってしまうことも往々にしてあります。粉飾決算や品質不正が横行していた東芝や三菱も同じだったのでしょう。最近はパワハラやブラック企業もネットで拡散が簡単になり、「中の人(被害者や周囲)」が気付けば暴露や告発も容易になりつつありますが。

社会の「常識」「空気」も突然にあっさり変わってしまったりします。コロナ蔓延前の日本は仕事=出社が「当たり前」でした。緊急事態宣言下でそれが崩れ、古い「当たり前」に囚われて出社を強要する会社への不満が(筆者自身を含め)高まっています。16年前にも「仕事=スーツにネクタイ」という「当たり前」がクールビズであっさり崩れ、暑がりで大汗かきの筆者には大変な朗報でした。

筆者は最近「場の空気なんて読んだら負け」とすら考えます。ルール違反や他人に迷惑をかけるのは問題ですが、それ以外は(言いっぱなしで責任も取らない)周りにとやかく言われる筋合いはありません。自分の人生は自分のものですし、自分の選択した結果や責任は自分に降りかかってきます。

ましてや上から目線な年寄りの指導なんて、変化の激しい今は全く役に立ちません(「上から目線」な時点で「人間のクズ」確定です)。

「自己責任」という言葉が広まる2000年代以前だって別に免責だったわけでもありません。社会に変化が少なくて前例踏襲でも問題にならなかっただけでしょう。どうせ自分の責任なら「空気」や「忖度」ではなく、自分の意志で道を選んだほうが納得もいきます。

週明けの月曜はまたムダ出社です(現職は上司の業務指示なのでやむをえませんが)。現職内でも声を上げて行動を起こし、社内で賛同者もちらほら出ていますが、直属の上司が一番頑迷・無理解なので限界を感じています。経営層唯一の理解者である元取締役(現在は子会社の顧問)に転職中の旨も含めて現状を相談したところ「〇〇君(筆者)の人生でこれ以上マイナスの状況を継続すべきではないと思います(原文ママ)。」と励ましてくれました。

早くいい転職先を見つけたいです。

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