選択肢

昨日のリツイートです↓。

10/30に書いた通り13年以上独り身なのであまり関係ないニュースなのですが、まぁこれで喜ぶ人が増えるならいいだろうなぁと思いました。結婚するしないを含め、「自分で進む道を選べる」ことに意味があると思っています(蛇足なことを言うと、LGBTQの人生に部外者が命令するこの図式はおかしいとも思っています。「マジョリティは何様?」と言いたくなりますが、まぁそれは多数決の民主主義のシステム上仕方ない面もあります)。

↑の記事にある通り、この「自分で進む道を選べる」ことと幸福感には大きな関連性があるようです。そして日本人の幸福度がいつも調査で低く出るのは、自己決定権のなさが原因だとの解説ですし、筆者もそれは凄く納得です。

あくまで個人的な考えですが、筆者の中では「豊かさ」「幸福感」「自由」が「自己決定権」という一つの要素で繋がっています。自分で人生の道を選べる、その選択肢があることが筆者の中ではこの3つに直結していて、それがなければ豊かでも幸福でも自由でもない、と感じています。
12/7に書きましたが、お金は人生や生活における選択肢を増やしてくれるので、「自由」が手に入ります。お金がないためにできることが限られてしまう、又はお金があれば治せる病気が治せないのは「貧しい」「不幸」となります。

現に周りでは「強制出社(働く場所も時間も選べない、満員電車での通勤を強いられる)」に不満を持つ人が多くいますし、昨晩こんな↓記事もリツイートしました。出社すべき理由を会社側が(社員の声も聴いた上で)筋道立てて説明し、社員も納得の上で出社なら結果は違うでしょうが、大方こんな↓会社はそんなことはまずしません。「四の五の言わずいいから来い!」という対応ですし、12/4に書いた通り現職もまさにその一つです。そして現に社員がボロボロと辞めていっています。

選択肢を奪われれば奪われるほど不満だけが募りますし、だんだん「学習性無力感」に囚われた人達は思考すら放棄してしまいます。考えても実行する自由を奪われていたらその分だけ失望も大きいので、もう「何も見たくない、聞きたくない、考えたくない」と思考停止のゾンビの完成です。そんなストレスの塊がはけ口を求めて彷徨い、ネットでの口撃や職場でのパワハラ、アルハラとなって噴出するのかもしれません。こんな感じで↓。

筆者も以前はそうでした。職場で自分より弱い相手を口撃したり、プライベートの飲み会でセクハラ(相手は男性ですが)しまくったり…。
ここ最近は以前迷惑をかけた相手に個別でお詫びしたりもしています。

昨年の休職でそんな自分を一旦離れて客観視することができて、今は自分の人生を諦めずに自分の意志で切り開くべく模索していますし、今の自由のない仕事や職場でもこんな↓感じで悪知恵絞って可能な限りの自由を確保しています。

また幸か不幸かKY全開なASDなので、周りの同調圧力とかほぼ気にしません。周りがみんな結婚している、マイホームを買っている、だから自分もしなきゃ… という横並び思考が皆無なので、その意味で「我が道を行く」ことは得意です(そもそも「周りの人たち」が幸せそうに見えないので、なおさらそんな「空気」に従う必要性を感じないのです)。

そもそも自分の人生なので、自分が嬉しく、楽しく、満足の行く人生になることが一番と思っています。「選択肢があると思えばある、無いと思えば無い。」はハーバード大学のタル・ベン・シャハー博士の言葉のようですが、今後は自分で選択肢を作っていきたいです。だって「人生100年」なら、あと58年(!)もありますし。



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