自己紹介|セカンド経営者|はじめてnote

小学校時代はやんちゃのガキ大将。空き地に陣地作って月光仮面、快傑ハリマオを真似して白い布をまとって遊びまわる毎日。
 親はこのままじゃ大変と連れて行ったのが福島区でも有名な西村塾、成績順に座らされてもちろん最後列。訳も分からず通ったけど頑張り始めたきっかけは公立中学に進学するともれなく坊主頭、当時長髪で良い中学校は灘中か関学中。子供心に坊主はカッコ悪い、坊主にするのは嫌だと勉強を始め何とか関西学院中学部に滑り込んだ。
 福島区玉川小学校の担任沢田先生はあの悪ガキが関学に行ってくれたと大変喜んでくださり、中学1年の冬にスキーに連れていただいた。3年ほど続けて夜行列車で関温泉スキー場に連れていただいたのだがこれが人生一つ目の転機であった。
 関学中は入っちゃえば大学まで行けるエスカレータ校、しかし敵もそんなに甘くはない。安心していると学期末の進級会議にすぐにかかっちゃう。呼び出しもかかる。
 毎年夏と冬が楽しみだった。中高と水泳部で海や川が大好き冬はスキー、高校2年の学校からのスキー実習では最上位のクラスに入ってご満悦。だって中学時代から色々なスキースクールに入って腕を磨いた。
 高校3年の時にKGSSという学生スキーツアーに参加する。もちろんお客さんとして行ったのだが代表の方から近藤君コーチになってくれとスカウトを受ける。えー!コーチとびっくりしたけど、やってみるとなんかかっこ良いし、タダでスキーが出来るなんて夢のよう。がぜん目覚めてしまって大学生になって新入生のくせに自分でやろうと先輩と作ったのがスノーフラッペという学生スキーツアー。しかし1シーズンで先輩と決裂、先輩とは考え方も方針も全く違った。こりゃ全部責任もって自分でやるしかないと大学2回生の時にホワイトベアースポーツクラブを設立、1975年春の事です。関学だけじゃだめだと思い幹部は甲南大、大阪体大、手塚山大の学生に頼んだ。
 お客さんを集めるにはまずはスタッフを集めようと駆け回る、スタッフ募集のうたい文句はタダでスキーに行ける。女の子にモテル。これで1年間に集めた大学生スタッフは100名を超える、大学は20校ほどに広がった。春から宿やバスなどの仕入れ交渉してパンフレットを作り、秋からパンフレットを校門前で手配りする。全員で一生懸命パンフを配る、だって一番配ったやつがたくさんのツアーに行けるんだもの。
 私も毎日関西のあらゆる大学・短大・専門学校に行ってパンフ配り。おかげさまで今でも関西の大学はほとんど知っている。スキーツアーは往復夜行バスで現地3泊、スキースクールから毎夜ゲーム大会やパーティなど工夫を凝らしてお客様の学生を楽しませる、スタッフ全員一生懸命、本当に寝る間も惜しんで喜んでもらうために頑張った。朝方バスが大阪駅に帰ってツアーが終わっても多くの参加者は名残惜しくて帰らない。涙を流して泣いちゃう子も毎回いる。
 大学はずっとこんなことをやっているから父の税理士事務所も継げず、就職しろと言われて3社ほど説明会に行ったけど会社で頂いた粗品とパンフを親に持って帰ってごまかしただけ。卒業式終わるとさすがに行く学校は無いので吹田市のマンション借りて同志数名と就職せずに共同生活、そのころは冬はスキーツアー、夏は与論・沖縄ツアー年中忙しく5名程度のメンバーは何とか自立して行けました。
 1981年5月1日株式会社ホワイト・ベアーファミリー設立、旅行会社としてスタート。大阪市北区南森町の3.5坪ほどの事務所だったけど社員4名は生き生きとしていたかな。旅行業界の経験者もおらずやる気だけでの起業、よくつぶれなかったねと何人もの銀行マンに言われた。
 旅行業は利幅が少なく厳しい業界、悪戦苦闘しつつも2000年に近いころいち早くインターネットに取り組み様々なチャレンジをした。2000年には沖縄・北海道でホテル運営にチャレンジ。創業のスキーツアーは完全にブームは終わり2000年前に撤退しました。さすがに創業の事業をやめるのは勇気がいりました。
 ホテル事業を始めてから、旅行事業も少しづつ軌道に乗り2018年7月に大和証券様主幹事でIPOにチャレンジすることに。急ピッチで準備を進めて2019年11月に公開引受部から審査部に進みいざ上場かと思ったところで、足元は韓国インバウンドが嫌日で急減速、香港デモで訪日急減速、徐々に売上が下がる中2020年1月にコロナ発生でカウンターパンチ。2020年2月の業績はホテル、旅行共に8割ダウン、3月は9割ダウン。こんなことが起こるのかと唖然! イケイケどんどんだった我社はIPOから奈落の底へと突き落とされた状態でした。
 2020年4月WBFホテル&リゾート民事再生申請。全国紙で「負債350億コロナ禍最大の倒産」とビックニュースになりました。何とかグループ内1社の再生手続きで止めようと頑張るのですが、6月末にはWBFホールディングス、ホワイト・ベアーファミリーも民事再生手続き申請せざるを得なくなり涙をのみます。
 幸い多くの方々のご支援を受けて1年半という短期で民事再生手続き終結。2021年10月29日普通の会社に復活出来ました。半年かけてスポンサーから全株を買い戻し2022年7月1日に私は再びオーナー社長に戻らせていただきました。元のメンバーは半減してしまいましたが再スタートを切れたことは感謝しかありません。
 2021年22年とGoToや全国割などの旅行復興支援があり我社も一息つきます、しかしその後は苦戦。旅行事業に加えて2022年11月には我々が手作りしたパームガーデン舞洲の譲渡を受け宿泊事業もスタート、2024年4月からは再びホテル・旅館の運営に参画できることになりました。
 私が再びオーナー社長に戻ったのは2022年66才の時、ちょっと遅くなりましたが、ケンタッキーおじさんことカーネルサンダース氏は65歳の時にケンタッキーをスタートされたとの事。学生ツアーを創業した時から我々の合言葉はHAPPY MEMORY。とにかく喜んで帰っていただく、人生の一瞬かもしれないけれど最高の思い出を提供する。
観光・宿泊を通じて喜んでいただけるサービス仕事をする。2度目の社長就任も同じ理念でやれなかったことを実現しようと決意しました。更に再生体験を大切にして経営に活かす、観光による地方再生、旅館再生、ホテル再生に生かしたいと思っております。
 セカンドライフならぬセカンド経営者としてスタートして自己紹介させていただきました。
最後までお読みいただきありがとうございました。


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