推しの卒業発表をバットマンに救ってもらった話
先日、かげちゃんこと、影山優佳さんの日向坂を卒業する事が発表されました。
2020年から応援を初めて、その間に2名の卒業があって、自分の推しがそうなった時、自分はどんな気持ちになるんだろう、というのをぼんやりと考えてました。みほちーのような、やりきって別の道を選んでくれるなら、きっと楽しくお別れ出来るし、背中を喜んで押せるだろうな、と思いました。反面、まなもさんのような、そういう選択をしなければならなかった、というような、半ば強制のような分かれ道は、見てるだけでもつらいな、と思いました。まなもさんは、その先に、"自分のやりたい事"がしっかりあったのが救いではあるんですけれどもね。
それでもやっぱり、我々が"幸せ"を願いながら応援している子たちが幸せに過ごせず、別の道を歩まなければいけない、という事はとてもつらいですし、何回思い返しても拭い切れないな、と思います。
そんな中で、ついにその時が自分にも訪れました。
"訓練されている人間"になってきたのでね、ブログ更新の通知にはいっつもヒヤヒヤするんです。更新時間が00分だったりすると、身構えてしまう身体になってしまいました。キリの良い時間にやるんですよね、お知らせも同時だから。
今回は、珍しく21:30なんて時間に出てさ。
でも、あー…30分だなぁ…キリはいいっちゃいいんだよなー…って。
通知をタップして起動したメッセージアプリは、推しの枠の画像を読もうとして、画像は添えられていない時のデフォルト、グループのロゴの表示で。
ああ…もう、これは少なくとも、良い報せではないんだな、と覚悟をしたところに、人の幸せを願う始まりで…。
正直、うっすらと覚悟をしていたところはありました。
ツアーのお休みが発表された時。元々、大きな音が苦手、って言っていた子ですから。この症状が一時的なものではなくて、きっと長い付き合いになるんだろうな、という事はいの一番に腹を括りました。
それでも、ライブには出られなかったとしても、バラエティ力や知識、頭脳、そしてなにより、持ち前のサッカー愛があるから、アイドルとしての幅広い活動の中の、ライブという区間をお休みする、という形で、継続は可能ではないかと希望を持ってしまいました。
でも、その数日後、受け取ったメッセージには、アイドルとしての優先順位は、ライブが一番だって書かれていて。
例えがクッソ下手で恐縮ですけれども、食でストレスを発散するタイプの自分が、仮に高血圧になったとして。ラーメンを食べたい、ってどんなに思っても、血圧のせいで蕎麦しか食べられない、ってなった時。それを1年2年と耐え忍ばなければならない、って考えたら、自分は生きていけるか凄く不安で。そう思うと、そんな状態で「アイドルの活動を続けてくれ」って、凄く酷な願いになってしまうな、と。
未来に何が起こるか、って正直全然分からないし、技術はいつだって進歩し続けるから、防音技術に革命が起こったり、耳の調子を上手くチューニング出来るような医療が確立されるかもしれない。そういう希望が0ではない。
けれども、やっぱり、不確定な未来を元に、僕らの"願い"という物を背負わせて、つらく長い道のりを歩かせられるか、と考えたら、背負わなくていいよ、自分を大事にしてあげて、という気持ちになってしまいました。
だから、その道を歩んでくれるなら、いっぱいいっぱい応援して、そばに居続けてあげたいな、とは思うけれども、引き留めもしてはいけないなと、密かに誓ったものでした。
発表された後は、何をどうしよう、って大分困りました。
つらい気持ちはあるけれども、これは本人には投げてはいけない。それだけを守る事に必死でした。
だって、誰よりも人に喜んでもらう事を大事にする子だったから。
自分の書いた言葉が、読み手の心に影を落とす事なんか理解りきっていて。どうしようもないけれども、影ではなくて日差しであって欲しいと願いながら口にした言葉なんだから、それは"裏切り"として貶めてはいけない。僕らが自分自身を救う事で、「そんなの大したことないよ」「全然平気だよ」「元気でやってくれよ」って言葉で返せる、そんな在り方でいたかったので。
疲れた時に、たくさん笑って、たくさん元気をもらった、日向坂で会いましょうでも見ようかな、という気もしつつも、それもなんかしっくり来なくて。推しのはしゃぐ姿を見るのも、上手く咀嚼できなさそうだし、何も考えないで良い時間としてひなあいは最高なだけであって、頭に渦巻くナニカは、ひなあいを以てしても取り払える自身もなくて。本当にどうしようかと思っていました。
ただ、取り敢えず出来る事としてお風呂に入っていた時に、ふと思い出したんです。
欅坂46の楽曲は、人の苦しみに寄り添ってくれる楽曲だ、と。だから、無理につらい気持ちを取り払うんじゃなくて、何かに寄り添ってもらいたいな、と。
そして、この"気持ちの湿度"に今一番近いもの。それでいて、希望のような、前を向くきっかけになってくれるものってなんだろう。
そう考えた瞬間に、思い浮かんだのが、THE BATMANでした。
お風呂から上がって、部屋の電気を消して、すぐに再生を初めて、黙々と3時間。ゴッサムシティでの物語を観ていました。
この映画の何が良いか、っていうのは、9割9分は真っ暗なんですね。映像も暗いけれども、それ以上に話自体が真っ暗。
でも、最後の最後に、光が灯るんです。
この微かに灯った光の美しさ、尊さに、"人間の善性の強さ"、すなわち"希望"が宿るんです。
この最後が大好きで、"人"の、そして同じ人間である"自分"の強さを信じたくなる時の羅針盤として、THE BATMANは最高の映画だと思っています。
推しは、自分自身の在り方を探す、という、きっと難しいだろうけれども、尊い目標を立てて。その上で、関わってくれた人、応援してくれた人たちの幸せを願い続けていました。今ももがきながらも、願っています。
その光は、バットマンと同じ輝きを放っている。
そう感じた事で、僕も、ただくよくよしているのはダメだ、つらい気持ちは拭えないけれども、その気持ちをしっかり抱えながら、それでも笑顔で会える日を作って、少しでも彼女が前を向けるパワーとして恩返しが出来たらいいな、って思えました。
弱い人間だからね、つらい気持ちを全部払えたら、もっと良かったんだけどね。残念ながらまだまだヒーローにはなれないけれども、まあ、正義を信じる事が出来るモブ市民くらいでは在れるように、がんばっていきたいな。
そんな事を思った、っていう日記でした。
おまけ。
素敵な映画なのでぜひ。執筆時点ではNetflixで観られます。