『悲しくない卒業』というものに出会った話
潮紗理菜さん、こと、なっちょさんの卒業が発表されました。
12時に更新されたブログ通知で、あー…って構えたところ、予想通りの始まりで面を食らったものの、お知らせブログを読み終えた頃には、ネガティブな感情は1ミリもなく、いや、僅かな寂しさを握りしめつつ、それでも、晴れやかに「背中を押したい」という気持ちで溢れました。
今回はそんな、なっちょさんの卒業という機会に起きた、心のお話。
なっちょさんの伝える力
ひなあいや、ラジオで披露されるエピソードトークの構成の上手さは本当に凄くて、あまりにも凄すぎて"ただただ自然と聞ける"というくらい、伝える力が凄いです。
主語述語などはっきりとしていて、何を言いたいか、というのが丁寧に理解出来ます。
だから、卒業のお話を綴ったブログは、本当に名文過ぎました。
今後のことはまだ決まっていません。
ゆっくりと考えたいと思います。
この一言は、本来ならば、凄く凄く不安な一言に映ります。
映るハズでした。
それでも、このブログを読み進めて出会ったこの一言には、不思議と勇気と覚悟が詰まった一言だなと感じます。それでも構わない、それでいいじゃないか、と。
未来を決めて進める程、自分の道が見えている訳ではないかもしれない。けれども、自分の中に足りない物を探さずにはいられない、その衝動の強さ、輝きを裏付けているように見えました。
踏み出すその一歩を、自分がちゃんと認めてあげる。自分を自身で大切にする決意。
「がんばれ自分」「これから頑張るんだぞ自分」
そのような、自分へのエールのように映ります。
共感した事
このブログを読んでいて思った事。
それは『自分はこの感情を知っている』でした。
自分の人生をグラフにした時、どういう線を描くのか考えた事はありますか。自分はあります。
自分の性格を分析していると、安定9割、挑戦1割、みたいな感じで生きる事が多くて、環境の変化を多く望まないタイプで、現状維持を結構強くする傾向にあります。しかし、何かのタイミングで、その現状をもっと良いものにしたい、という気持ちが爆発する事で、更に上を目指すタイミングが不定期に発生する、という傾向がある事に気づきました。
そのため、自分の人生をグラフにしていくと、右上に、階段状に線を引くような、そういう人生だなと振り返って思うわけです。
数年間横ばいで、あるタイミングで上にグッと跳ねて、また数年横ばいで…、という感じ。
出来ることならばおばあちゃんになってもこの場所にいたいな。そんな風に思えていたのは、
なによりメンバーの存在が大きく、こんなに素敵な仲間は今後もいないだろうなと言い切ってしまいそうになるほど、かけがえのない存在でした。
この7年半は家族より長い時間を共に過ごし、家族のようなみんながいるこの場所が気付いたら当たり前になっていて。
そんな心地よさに
ある時からこの場所や環境に甘えているのではないか、日向坂46に少しでも貢献できていることはあるのかな。とその場で足踏みをしている自分に悩み、一歩先のことを考えるようになりました。
なので、この部分が、物凄く、物凄く、自分と似ていると感じて。
今の環境に不満があるわけじゃない。なんならずっとずっと居たい。
自分の周りの環境は、自分にはもったいないくらいとっても充実していて、不満なんか微塵もない。このブログの文面からも、その気持ちがしっかりと伝わってきます。
けれども、内から湧き上がる衝動は、その環境では癒えない、ある種の渇きなんだと思います。
なっちょさんって、物腰柔らかだし、色んな人の、色んな形、心の色を受け止めて寄り添って肯定してくれる人ですけれども、それに隠れて見えづらいけど、実は同時に芯が強かったり、言い方はよくないかもですが頑固だったりしますよね。
だから、この渇きは、他の人が何をどんなに認めたところで、きっと癒えなくて。自分で何かを掴むしかない、独りの戦いなんだと思います。
だから「貢献してるよ!」とか「十分頑張ってるよ!」とか、本来なら言ってもらうと嬉しい"認める"言葉も、けど、この戦いにおいてだけは、意味が薄くて。
それよりも「応援しているよ!」「頑張ってきなよ!」と、背中を押す事がより強いパワーを送れるんじゃないかなと思いました。
もちろん、前者の言葉を、いつも通りちゃんと受け取ってくれると思いますけどね。なんせ、なっちょさんですから。
ただ、より欲しい言葉の形は後者なんじゃないかなと思った次第です。
『寂しい』と『悲しい』は違う
それでも、この胸には一抹のネガティブな気持ちが残りました。
でも、その感情を表現するには、ただただ自分の感じる範囲だけを形を取るものであるべきで、なっちょさんの脚を引っ張るようなもので表現したくなかった。踏み出す一歩を尊重する気持ちがしっかりとある分、やはりこの気持ちの責任は、自分で抱え込んでいたい。
だから、それにふさわしい形で表現できないかと考え、その結論が『寂しい』でした。残された者が感じる普遍の気持ちの在り方。
『悲しい』だと、踏み出した一歩を否定するような気がしたので、そうじゃなくて。「いってらっしゃい」の言葉を言った後に、残された者が、残された側だけでなんとかする。そういう向き合い方をしたいと思います。
だから、寂しい。
けど、悲しくはない。
願わくば、踏み出すその一歩が大きくなるように背中を押したい。
踏み出す二歩目の追い風になれるように。
そういう気持ちで、日向坂を卒業するその時まで、なっちょさんを応援したいと思います。
ライブで元気いっぱい、幸せいっぱいなパフォーマンスを見るのが好きで、気づいたら舞台で演技しているなっちょさんも好きになりました。
日向坂に居てくれて『ありがとう』
卒業までの残りの時間も、
たくさんたくさん、素敵な思い出で溢れますように。
けれどもさ、
「いってらっしゃい!!」って思うんだから、同時に「おかえりなさい!!」を言う準備だってさせてもらいますからね!
いつか、凱旋、してくれると嬉しいな。