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喪のもの語り

いろいろあって引っ越した。近所だけど。

一年前に連れ合いである寝太郎を亡くし、一緒に暮らしていた部屋は一人で住むにはつらすぎるから。
…というしんみりした理由ももちろんあるが、現実的なことを言うと家賃がきつかった。
私の稼ぎとは一桁違う(二桁かもしれない)人気漫画家さんに現状の家賃を伝えたら「それは高すぎる」と、えらいことびっくりされたので私もびっくりしたんだけど、それだけ驚かれるってことは身の丈に合ってなかったんだろう。
私はいつも気づくのが遅い。

寝太郎と前の部屋で暮らしたのは正味13年。10年目ぐらいのとき一度、家賃値上げの憂き目にもあっている。
「下がることはあっても上がるとかありえんやろ。特に問題もなく長年住んでる優良店子に冷たい仕打ちやで」
関西人特有の、勉強させないと死ぬ遺伝子でいきまいていたら寝太郎は
「仕方ないよ。東京の地価はどんどん上がってるんだし、固定資産税も大変なんだろ」
と、なぜか私たちよりお金持ちであろう大家さんの肩を持った。
「ちょっとまけて」とかカッコ悪くて言いたくなかったに違いない。
二人暮らしにあたり新宿のヨドバシで家電のまとめ買いをしたときも「こんだけ買うんやしちょっとまけてくださいよ〜」と、東京仕草を知らない関西のおばちゃんになって粘る私から離れ、糸屑フィルターの棚を眺めていた。
ああそう。寝太郎はそんな男だった。

管理会社との話し合いはのらりくらりとかわされ、結局家賃は1万円(!)も上がってしまった。そもそも入居の際に5000円値切っていたので「実質は5000円アップですよ?」って言われたんだけど、それにしたって痛い。
寝太郎は「だから最初からそうしておけば」的なセリフを言った。
「違うよ?最初から唯唯諾々で受け入れるのと、正当な主張をするのは、結果が同じでも天と地との差があるよ? 賃借人になんやかんや言われることなんか承知の上での大家業やろ? それに私もあなたもお金に余裕があるわけやないんやし、固定費は一円だって安い方がええやん」
興奮するとベタな関西弁になってまくしたててしまう私に、やつはいつも無の表情でつぶやき黙り込む。
「だからさきこちゃんは……」

寝太郎は私を呼ぶとき「いのうえさん」「さきこちゃん」と使い分けていた。
いのうえさん呼びはオフィシャル。
さきこちゃん呼びは愛があるときか、ムカついているときだ。今回はあきらかに後者のちゃんづけだ。
「だから何なん? だから売れないって? だから面白くないって?(言ってない)」
「現場で交渉して手間もヒマもかけてる私が、なんで何もしてないあなたにムカつかれなあかんのん」
私もムカつき返す。
あとは私が一方的に喋りまくるか、冷戦に突入するか。

なんでもっと別の言い方ができなかったのかと後悔はつきないが、その時はそうしか言えなかった。しかたなかった。これも1年経ったから、ようやく思えるようになったことだ。
我ながらしょうもないなって思う。
けどしょうもない、どうでもいいことを言い合える相手がいるってすごく幸せなことだった。
ムカつくのも愛があるからって今ならわかるよ。

「高すぎる」家賃をそれでもなんとか払い続け、寝太郎の一周忌間近になって今の部屋を見つけた。
ヴィンテージマンションといえば聞こえはいいが、築年数はゆうに半世紀越え。リノベはしていても、キッチンの低さや共用部の窓枠にただよう古さは否めない。最寄駅からも遠くなる。
それでもここがいい、と思った。
日本の景気が右肩上がりだった時代に生まれ、昭和の価値観と共に老いてきたこのマンションが、同じ時代に育ち、同じようにくたびれた私にはぴったりな気がした。駅からの距離は散歩のチャンスと考えよう。なにより広さは前と同じで家賃が5万も安い。

退去日もサクサク決まり、寝太郎の遺品をいよいよどうにかせんとあかんようになった。 
急ぎ「遺品の捨て方」的な言葉で検索してみたが、出てくるのはゴミ分別指南ばかりで、遺品処理に伴う気持ちの整理の仕方を教えてくれるものは見当たらなかった。
どころかうっかり「亡くなった家族のゴミ屋敷」特殊清掃動画にハマったりなんかして、自分の捨て活のほうがはかどってしまうありさまだった。

寝太郎の荷物は多かった。
片麻痺で装具をつけなくてはならずサイズアウトした(のに取ってあった)お気に入りのスニーカーやブーツ。かさばるメンズのコートやシャツや大量の衣類。大量のリハビリグッズ。大量の鎮痛剤と腸とメンタルのお薬。免疫が落ちて皮膚がボロボロのとき塗っていた抗生剤。会社を変えるたびに新調していたバックパックとビジネスバッグ。潔癖症で毎日5枚は履き替えてたトランクスは、数えたくもないがとにかくたくさん。PC、モニタ。キーボードが予備を含めてなぜか5つも。ノートパソコン、タブレット、DVDとCD。ハードディスクに残されたBSCS時代劇録画。
そしてこれが一番の問題なのだが、大量のコミックスと文庫と新書と単行本とプロレス雑誌とボクシング雑誌。アナログとデジタルの過渡期を生きる世代の苦悩、いわゆる紙の本だ。

友人にも手伝ってもらい、寄付や持ち込みや宅配買取でかなりの量を処分したものの、最終的な引っ越し屋さんの見積もりは書籍用100サイズのダンボールが80箱、普通サイズのダンボールが40箱。本好きからしたら多くはないんだろうが、終活見すえた体力先細りの女にとっては恐怖でしかない。そしてもう引っ越しまで時間がない。
結果、寝太郎の遺品ごと新居に移動することになってしまった。

そうは言っても同じ広さがあるんだし、なんとかなるでしょ。
と思っていたらあっさりあふれた。

積ん読の収納力をあなどっていた

最近はなんでも高くなったけど、東京でダントツ高いのは場所代だ。その高いお金を払った空間におのれの執着を詰め込むのは、大変よろしくない気がする。

話はそれるが、私が若い頃描いてた漫画は「余白恐怖症の気がある」と言われていた。絵で画面を埋めるなら漫画家としての矜持も保たれるが、私が埋めるのは文字だ。余白があったらツッコミだったり余談だったり、何か文字を書かずにはいられない。関係ないかもだがスキマ家具も好き。
「何でもかんでもネームで説明しすぎ。文字がうるさくて画面がきゅうくつ。これじゃ誰も読まないよ」
そう編集者に言われしぶしぶ文章を削っていた。

指摘されまくってだいぶマシになった時代に描いた某雑誌の最終号漫画

その傾向は今もある。
このnoteだって最初は400字ぐらいのつもりだったのに、すでに3000字になろうとしている。
私は海馬が萎縮したら、きっとありったけのものをあらゆるすきまに詰めこむ婆さんになる。

そんな私が、1年かけても捨てられなかった寝太郎の遺品を引っ越しぐらいで捨てられるわけがない。
寝太郎が52年の人生で選んで集めたたくさんのものたち。量産品ばかりだけど、好きで買ったなら唯一じゃなくても魂は宿るはずだ。
寝太郎が黙りこくって飲み込んだその先の言葉を、この「もの」たちが教えてくれるんちゃうやろか?

そう思ったから、寝太郎が残したものを文字で残すことにした。
ルールは一度でも使うこと。
服は着て外に出る(できれば電車に乗る)こと。消耗品は使い切ること。本はパラ見でいいから読むこと。それを記録すること。これだけ。
「もの」としての使命をまっとうさせれば処分もできるし、本当に残すべきものも見えるはずだ。
これは、これから私が先に進むための儀式。
自分のための喪の作業だ。

たぶん私が東京に住むのはこの部屋が最後になる。居るのは数年かもしれないし、長くなるかもしれない。今度出て行くときは部屋がすっからかんになってるといいな。という希望はあるけど期待はしない。次どうするかという予定もない。
予定が空いてる。それって人生に余白ができるってことだ。
すきあらば埋める癖はひとまず置いて、今は余白を楽しもう。

ところで男性用の育毛ローションって後期更年期の薄毛のおばちゃんにも効くんだろうか。まあもったいないから使うけど。

早く消費しようと増量で振りかけてるので頭が寒い

「だからさきこちゃんは」
声が聞こえた気がした。

#グリーフワーク #寝太郎


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