二択で迷ったら次元を上げろ
概要
二択で迷ったら、矛盾を統一して高次の認識に至る道はないか考えてみると良いと思う。
※本記事は弁証法の学術的な解説を意図したものではなく、一部概念を借用している感覚なので、学術的に完璧な説明ではない可能性があることをお断りしておく。ご指摘があればコメントをいただきたい。
弁証法とは
ヘーゲル哲学における「弁証法」の定義は以下である。
つまり、「矛盾はぶつけて統一し、もっと高い次元の認識に至ろう」というイメージだ。
生きる知恵としての弁証法
人生での役に立て方は「矛盾は統一せよ」ということだろう。
以下具体例を用いて説明するが、「矛盾するように見えているのは真理が見えてないからなので、矛盾を解消する見方を探そう」というイメージだ。
勉強は量か質か
私は「どちらも重要」と思う。「二択でどっちが大事か」という議論は意味がないように感じる。
つまり、勉強の成果は、大まか「量 × 質」だと考えるので、どちらかの最大化ではなく、掛け算の答えを最大化しようとするのがベターな考え方だと思う。
これは、二択に騙されやすいが、「積」という一つ上の視座から見ると統一可能な矛盾だと思う。
正義と悪
100%の正義が100%の悪を懲らしめる寓話が通用するのは、小学生までだろう。世の中そんなに綺麗に分かれるもんじゃないと思う。
例えば、ロシアのウクライナ侵攻に関して、アメリカの正義もあれば、ロシアの正義もあると思う。
これも、二択ではなく、各主体に「正義」があるという解釈で統一できる例だと思う。
余談だが、国際関係論ではConstructivismという概念で、「何が正しいか」は時代や情勢によって人々が作り上げるもので、絶対的なものはないという考えだ。
右か左か
いわゆる保守と革新のことだが、政治的な思想が綺麗に一直線上に並ぶはずがない。
これは、上の「正義は人によって違う」と統一することもできるし、より実践的な捉え方としては「経済的 / 文化的」と「保守 / 革新」の2次元で把握し直す方法がある。つまり、保守の中にも「経済的な保守」と「文化的な保守」がいると次元を一つ上げるのだ。例えば、保守の中でも「減税賛成」の人が「女系天皇反対」とは限らないということだ。こうすると、意外と綺麗に分類できることが多い。
おわりに
意外と生活の中に二択は溢れているが、本当に矛盾する二択なのか、矛盾を統一する認識の仕方はないかを考えてみると、うまく生きられることが多いように思う。参考になれば幸いである。