見出し画像

現代の大学生が感じる、底知れぬ不安の正体

概要

正体は、ひとが大人になる時に感じる「ひとりで生きる」ことに直面する怖さだと思う。

ヒントになる文章

背景には下記の文章がある。

迷い子になったときにその子供を襲う不安は、両親を見失ったというような単純なものでは恐らくない。それは、僕のことなど誰も知ることのない「世界」と、そしてその無関心と、否応なく直面させられるという大きな戸惑いである。
(中略)
そして、どんなに泣いても、もう孤独に世界と向き合っていかなくてはいけないのだと悟った時、少年は迷い手であることと訊別し、大人になるのだと思う。

(是枝裕和「ヌガー」)

私なりにまとめると以下のようになる。

迷い子は世界の無関心に直面し恐怖に涙する。これは、ひとが大人になる際に感じる恐怖と同じだ。しかし、大人になることは、その恐怖と共に、その恐怖と向き合うしかないと悟る過程を伴う。

現代の大学生が感じる不安

私は、現代の大学生が感じる不安は、上述の恐怖に他ならないと考える。

つまり、「もうレールはない」のだ。今までは、偏差値という全国共通の皆が認める価値尺度があった。それに従って人は測られ、それに従って行動すればよかった。

しかし、大学生活で何をするか、卒業後にどんな進路につくかは、もう誰も決めてくれない。だから、恐怖に慄くのだ。決断をして責任を取るのは、他でもない自分でしかないと気づくのだ。

その自由は、責任を伴い、暗闇に放り出されたような底知れぬ恐怖を感じる。

高校までは明るく狭い箱の中で「こっちに進みなさい」と標識を見ながら進んできた。

でも、大学以降、暗闇の中で、いろんな人の声だけが聞こえる。「こうすれば成功できる」「こうしないとお前は無価値だ」と声だけがいろんな方向から聞こえる。どの声に従うかは自分で決めないといけない。そもそも、どの声にも従わないという決断だってある。

私自身、大学1年生の頃はこの恐怖に常に慄いていた。いつも信ずべきものを探し、しがみついては離してを繰り返していた。

世の大学生は、この恐怖に負けて、深く考えることなく、しがみつくものを決めてしまう。

しばらくして、もう針路を簡単には変更できないことに気づき、「これでよかったのか?」「こんなはずじゃなかった」と思う。あるいは、「これが正しかったんだ」と言い聞かせる。

そして今度は、その後悔と期待を子供に託す。

その連鎖は続いていく。

では、どうすればいいのか。

私は、とにかく逃げないことが大切だと思う。落ち着いて「自分はどう生きたいのか」「自分にとって何が幸せか」を自問自答し続けるのだ。

理性を使って暗闇を見つめ続けるしかないと思う。怖くて怖くて逃げ出したくなっても、じっと耐えるのだ。半年、1年、2年と見つめ続けていると、次第に自分の信じる道がぼんやりと見えてくる

全体像は見えないが、なんとなくの形が浮かび上がってくる。それまでは、いろんなことに挑戦して、たくさんの経験をして、大人の言うことを聞いてみたり、逆を行ってみたりと歩き回ってみるしかない。そして、姿が見えてきたら、とりあえず走り出してみるのだ。

必死に走り続け、ふと振り返ると、自分が走ってきた道がきらきらと光って見えるかも知れない

そう。人生の意味は、誰かが教えてくれるものではない。
ふと気づくものだと思う。

参考:


いいなと思ったら応援しよう!

しろいくろ (東京大学から米国留学)
スキ1回で足りないと思ったら、100円のチップを頂けるとすごくすごく喜びます!!