気分を害している理由は自分が考えてるものではない

少し前に、吉本ばななさんの文章で「それがみんな壮大な流れの中にあるとしたら、私たちが意図的になにかをしかけることなんて、ほとんど意味がないような気がする。気のいい、優しい、明るい、開かれた気持ちで、期待しないで毎日を過ごしていたら、そんなふうになにか奥深い流れを持ったものが放っておいても生まれてくるのだから。」という一文を読んだ。

気のいい
優しい
明るい
開かれた気持ち

大事なことはシンプルで、読むだけで心が軽くなるなぁとしみじみ思うと同時に、その時の自分の、ケチで、意地悪で、暗く、閉じた気持ちに愕然とした。

私たちは毎日色んなことをがんばって、気づくと疲弊してる。たのしくて、面白くて、寝ても冷めてもしてしまう努力と、何かを怖れながら、誰かからの見返りを期待してする努力は全くの別物だ。

私はこんなに頑張ってるのにと人を恨めしく思う時、私は私の人生の手綱を誰かに預けてしまってる。

自分が何を望んでいるのか分からなくなってしまったら、全力でブレーキを踏み、失った手綱を手繰り寄せることに意識を集中させる。自分が何を怖れているのかに気づくと、手綱は不思議なほどするすると、自分の手元に戻ってくる感じがする。

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