天の川を見に行った山奥でイノシシに遭遇し声を上げると

 助手席に座る五歳の我が娘はイノシシに怯えて車外に出るのを嫌がるようになり、もう天の川どころではなくなってしまった。

 森の中を縫うように走る、街灯などどこにもない山道である。運転中視界の頼りになるものはヘッドランプの光だけだ。緩やかな曲がり角を二〇〇五年式のボロ車のハロゲン光が照らすと、電信柱に頭をこすりつけるようにした灰色の塊が視界に入り、すぐに消えた。視界に入った瞬間に声が出た。なにものかに遭遇することを期待していたかのように。恐れていたもの、というより珍しいものを見つけた興奮を抑えきれなかったといった具合に。高校生どうしの夜のドライブならよかったかもしれないが、いつもならとっくに布団に入る時間の五歳児が同乗者だとそうもいかない。やってしまった。

 事前にグーグルマップで目星をつけていた観測地は、そこに限って街灯が煌々と星どころではなかった。既に機嫌を損ねた五歳児をなだめすかしつつ山道を走り、標高を上げるとなんだかいい感じに開けた場所にたどり着いた。このあたりは牧場だそうだ。車を停めてヘッドライトを消して外に出る(五歳児は頑として動かず手の中の星座盤も放さない)。雲ひとつない晴天に見事な月の光。ーーまたもや、やってしまった。後で調べたところによると月齢は十三強。即ちほぼ満月。天気は万全だが月齢を見落としていたらしい。道中気づかないの? 何なの? 他に交通はなく虫の声も遠く静かである。ロケーションだけは正解だった。「イノシシってかわいいね」五歳児は父親がネットで検索したイノシシの画像をみて言う。「あれがアンタレス」天の川はきっとあの辺りだろうか。

 帰宅して諸々を済ませて驚いた。あえて見ないようにしていた時計の針がほとんど明日を迎えようとしている。こちらにその準備はまるでできていないのだが。五歳児はらくがき帳を広げて就寝前の集中力で一心になにか描いている。新しいプリキュアかもしれない。「もう上(寝室へ)行くよ」当然のように返事がない。「まだ寝ないの?」就寝前の集中力(なぜあなたはまだ動けるのか?)。ならば。

「こんな話を聞いたことがあるんだけど。時計見てごらん?」
「うん」
「もうすぐ十二でしょ、夜の十二は零時だから、日付が変わるのね」
「うん」
「日付が変わる時間まで起きて家の灯りを点けてると玄関のドアをノックする音が聞こえてくるんだって、コンコンコンって」
「えっ」
「誰ですかって聞いても答えないんだって」
「なんで? オバケだから?」
「オバケかもしれない、でも絶対に玄関のドアを開けちゃダメだって。たぶん、腕をグッ! と掴まれて連れていかれちゃうらしいんだけど本当は」
「やだやだやだ、もう寝る。もう行こうよ」
「オバケかどうかわかんないけどね、でもオバケじゃなかったとしても、そんな時間にインターホン押さずに玄関をノックするなんてどうかしてる人なので絶対にドア開けたらいけないよ」
「うんわかった、ねえ早く行こ?」

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