乃木坂10thバスラの余韻〜「おかえり」と「行ってきます」が交差する場所で〜①
14日・15日の両日、日産スタジアム(横浜市)で開催された乃木坂46 10thYearBirthdayLiveが大盛況のうちに終わりました。今は余韻に浸っています。
余韻が醒めてしまわないうちに、思ったことを書いておきたいけれど、いざ描き始めると、思いが散逸してうまくまとめられない。
時間にして約4時間×2日間。合わせて8時間あまり。彼女たちの10年間を語るには、これでもまだ短い。ほんの一瞬の万華鏡の一コマに過ぎないかもしれない。けれど、二度とない、言葉にできない、言葉で言い表そうとするのがもどかしい「一瞬」でした。少しだけ、振り返ってみよう。
【DAY1】5月14日(土)
座席:アリーナ席・東側後方
メンバーが楽曲への思い入れを語るVTRが流れ、ステージ上板付きからパフォーマンスがスタート。花道は真隣だったので、アップテンポの楽曲では花道に広がるメンバーを手が届きそうな距離で見られる。双眼鏡いらない。
かわいいとか、きれいとか、そういうレベルではなく、月並みだけれど、「実在するんだ」という素直な驚きが先にくる。同じ空間に今いるんだ。同じ空の下で、同じ時間を共有しているんだ。その事実がどんなに嬉しいことか。キラキラしている、光を放っている、汗まで美しいと感じる、衣装がとにかくかわいい。ありったけのかわいいが詰め込まれている。
個人の好みだろうけれど、僕はミニスカートの衣装がどうしても苦手です。乃木坂は初期の頃を除いてロング丈の衣装なので、花びらのように広がるスカートが美しい。2018年の夏の神宮に初めて参加した時、結果、それが夏のツアーでは見納めになったなぁちゃんの「夏フリ」を見て心を奪われて以来、ずっと変わらない。
そして7曲目。「制服のマネキン」。曲フリのVTRが流れ出すと、僕らはいったん席に着く。暗黙のルールみたいなものだ。VTRのナレーションが、なぜか二重になる。おかしいな、と思っていると、その一人称の語りがある特定の人物を差すことが分かってくる。「もうやることはないと思っていました」「でも今日だけは・・・生駒里奈」
生駒里奈。
アリーナ席の後方にいると、さざ波のように広がってくるどよめきと歓声がよく分かります。バネじかけの人形のように、みんなが一斉に立ち上がる。メインステージに生駒ちゃんが現れた時の歓喜は多分忘れることはない。両足がガクガク震えました。
どこかで予想はしていた。10周年だし、かつてAKBでも卒業生がここぞのタイミングで登場することはあったから。それでも、生駒ちゃんがステージに懐かしい衣装で現れた時のインパクトは、軽々と感情のピークを超えていった。そう、いともたやすく。
懐かしい?嬉しい?・・・いや、そんなんじゃない。マネキンのイントロが流れた瞬間の絶対的な存在感。坂道グループの「センター特性」というものがあるのならば、彼女を置いて他にいない。涙が頬を伝ってくる。それがなぜなのか自分でもわからない。
ヒーローが帰ってきた。エースがマウンドに戻ってきた。生駒ちゃんには、やはりこの場所が一番よく似合う。
感動したといえば、それまでだ。そんな単純な言葉で言い表せないのはなぜだろう。
1期生・2期生が相次いで卒業していく中、嫌でも聞こえてくるのは「もうピークを過ぎた」というネガティブな意見だ。外野のそれは気にならない。外野だから好きに言える。言わせておけばいい。
何より苦しくて辛いのは、自分でもどこかでそう感じてしまっていること。必死に否定しても、ふとした時に負の感情が意地悪く頭をもたげてくる。エースの卒業。後輩グループの躍進。彼女たち自身の「スキャンダル」。他人の秘密を晒すしか能のない醜悪な週刊誌。ゴミ屑のようなWEBライターたちの吐き気のする記事。そういうものが目に入るたびに、負の感情は隙を見計らったように忍び込んでくる。
原点を、自分で忘れてしまう。見失ってしまう。波頭の向こうに、遠く霞んでしまう。
僕が乃木坂を好きになったきっかけは、ななみんでした。今でもはっきり覚えている。ただの美人は世の中にいくらでもいる。でも、彼女は全く違う何かを持っていた。くっきりとした、でもどこか影のある眼差しや、自分の言葉で語る強さ。本来はきっと、不器用な子なのだろう、アイドル的ではない「人間臭さ」。そんな彼女が身を預けている「乃木坂46」というグループに興味を持った。彼女たちは何か違う。
あの時の直感を否定したくはない。正しかったと信じたい。紆余曲折を経てここまで「一緒に」来たんだと思っている。勝手にそう信じている。
この数ヶ月、乃木坂をめぐる環境は安全装置のついていないジェットコースターのようなものだった。
落ちるかもしれない。二度と立ち上がれないかもしれない。もう駄目かもしれない。一人のファンとして精一杯、応援したいけれど、全く届かないかもしれない。トンネルの出口が見えない。暗い雲が立ち込めている。
そんな時、聞こえたのだ。
底抜けに明るくて力強い「ただいま!」が。
驚いて目を上げた先に、以前と変わらない生駒里奈の姿があった。客席を埋め尽くす7万人の大観衆の前に現れて、一瞬でトップギアまで上げていく。誰にでもできることじゃない。
彼女は闇を切り裂く光だった。強烈で、力強くて、とても眩しい。でも、あたたかい。原点はずっと変わらない。力強く脈を打ち続けている。その事実を思い出させてくれる。それが生駒ちゃんの魅力なんだと思う。
(②に続きます)
2022年5月17日