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”黒い羊”の行方を誰も知らない

2022年3月20日

もう何度目かわからないけれど、乃木坂46の29thシングル「Actually...」について。今日感じたことは今日のうちに書いておこうと思う。

乃木坂46の29thシングル「Actually...」のMVが乃木坂46の公式YouTubeチャンネルで今日公開された。

今回の楽曲は、表題曲センターを務める5期生の中西アルノの活動自粛に伴い、齋藤飛鳥と山下美月のWセンターバージョン(これは地上波放送での二度目の楽曲披露となった、NHK「シブヤノオト」から採用された)でMVが「急遽」撮影しなおされた。本来の中西センターバージョンは、3月23日に発売されるCDの特典映像としてのみ収録される。(Wセンターバージョンは収録されない。配信のみの予定)

今日、YouTubeの「乃木坂配信中」公式チャンネルで生配信された「乃木坂46分TV」で、表題曲MVの”アナザー”バージョンとして完成・お披露目されることがアナウンスされた。

初見の人には複雑すぎて理解できない。いったいどちらが公式MVなのか(どちらも公式MVということになるのだけれど)、結局、この子たちの誰が「センター」と呼ばれる「代表」の子なのか、理解できなくなる。

乃木坂46そのものの世間での認知度は高まったとはいえ、個人で認識されているメンバーは限られているのが現状だと思う。それとは裏腹に、個々のメンバーには熱烈なファンがついている。中は坩堝のように熱を帯び、その共同体の中でしか通じない言葉が盛んに飛び交っているのに、外側は凪の海のように静まりかえっている。世間は他のニュースや世界情勢で息つく間も無いのだ。

今回、たまたま共同体の中の不穏なニュースが、トピックとして一人歩きし、共同体の外側にいた人々を振り向かせることになった。共同体そのものは、世間に認知されるほど大きくなってしまっているので、急に飛び出してきたトピックは、言うなれば世間話のネタであり、金の匂いがするゴシップである。

事情を知らない人が客観的に見たら、「Actually...」という楽曲は、齋藤飛鳥と山下美月というメンバーがセンターを務めていて、YouTubeで無料かつフルサイズで公開されているものが公式MVだと思うだろう。それが既成事実化するだろう。ファン以外はそんな風にしか見ないだろう

かき消されてしまった、本当のセンター。

CDの特典映像として収録されるMVは、映画監督の黒沢清氏がディレクターを務目ている。ドラマ部分を含めて20分ほどの長尺になっているというから、制作側の熱の入れようがわかるというものだ。

一方、「急遽」制作された、飛鳥&美月ダブルセンターバージョンは、とても「急遽」の制作とは思えないクオリティを実現していた。まるで最初からプランBとして計画されていたのではないかと思うほど、「完璧」に作り込まれていた。

人が熱心に作ったものをけなすことだけはしたくない。批判だけはしたくない。


なら、どうして、公開された飛鳥&美月バージョンのMVを見た時に、なんとも言えない息苦しさを感じたのか。

確かにパフォーマンスするメンバー全員が、ちゃんと映っていた。

乃木坂らしさが何かわからないが、メンバー同士が手を繋ぐシーンが挿入されていた。

1Sを極力、避けるように、入れるならばなるべく全員を、そんな工夫が随所に施されていた。

今回のゴタゴタさえなければ、それは最高のMVであるはずだった。

でもはっきり言えば、ファンへのサービスの塊であり、忖度の塊でもあった。

YouTubeで配信された途端、コメント欄に溢れた「最高!」「神曲!」の言葉に、その答えがあるような気がした。

中西アルノに向けて後ろ指をさした人たちと同じ人たちかどうかは分からない。「アルノバージョンも楽しみ」「どっちもちゃんと見たい」という声ももちろんたくさんあった。

そもそも楽曲そのものへの批判よりも、センターを中心とした演出そのもの(つまり運営の姿勢そのもの)への手厳しい批判が先に立っていた。だから、センターのすげ替えにより、楽曲そのものが生き残ったことは批判の矛先にはなりにくい。

ただ、「これが乃木坂らしさだよ」という声に、異を唱えたくなる。

なんで、お前が決めるんだ?


最初から「反対」の声を上げ続けた人には、その人なりの理由と信念があるのだろうから、今回のMVアナザーバージョンで、少しでも気持ちが和らいでいると信じたい。あなたがこれで満足ならそれでいい。

MVの完成度の高さは、乃木坂46の危機感の表れでもあると思う。それは、旧来のファンが不安におののき、あるいは怒り、去っていってしまう事への危機感。

そして同時に、ファンの求め通りに踊り続けるしかないという諦念

ルールブックなど本来なかったはずなのに、いつしかルールブックはできてしまっていた。誰が作ったのか、作者は分からない。誰かがそれを書いたのだ。人間はルールブックに厳しい。ルールを破る人間を基本的に許さない。

法律もルール、刑法もルール、校則もルール、従わないと罰せられたり、誰かをひどく怒らせる。

怒った人たちは、必ず謝罪を要求する。謝罪は多くの場合、一つの見せ物と化す。マスコミはそれを助長してきた。謝罪は一つの「エンタメ」だった。他人に土下座を強要するドラマが流行ったのは、偶然ではなかった。自分だけは匿名性という安全圏からことの成り行きを見ていたい。気持ちがすくような爽快感と征服感と達成感が味わえるから。僕だってそうだ。

やがて謝罪そのものが目的化する。

誰に、何を、謝罪するのか?ではなくて、謝罪することそのものを要求する。とにかく謝れ、謝罪しろ。この一連のゴタゴタについて。

一連のゴタゴタとは具体的に何を指しているのか、「ルール」を破った「小娘」を重用したことについてか、密室で選考を進めたことについてか、それら含めて全部か。

謝罪をしたところで、謝罪にも「ルール」が存在する。それを破ったとしてまた謝罪を要求する。たぶん、それが墓場までずっと続いていくのだろう。


今回、乃木坂46は、共同体に対して「答え」を出した。こうする以外の手立てはなかったろうと思う。仮にあったとしても、時間も余裕もなさすぎた。

メンバーの皆さんには、本当に頭が上がらない。よくぞここまで、と素直に思う。推す気持ちは尊敬に近い。

ただ、行き過ぎればそれは他者への刃になり得る


いつの間にか僕は、黒い羊を見つけ出し、みんなの前に晒し、叩きのめし、罵倒して、共同体の外へ追い払う白い羊の一匹になっているのかもしれない。その可能性を否定しきれない。何を正義と信じるかによって、僕は黒い羊にも白い羊にもなり得るのだ。そうであるならば、僕は黒い羊であることを選ぶだろう。


自分が立っている現在地は、案外、脆弱なものだと最近思う。

特に世界情勢が無茶苦茶になってきてからは(いや、多分もうずっと以前から荒れ果てていたのだ。安全圏で見えない聞こえないふりをしていただけで)、自分の感情の脆さを思い知っている。誰を恨んでも解決しない。ただただ虚しさが増していくだけだ。

欅坂46「黒い羊」

彼女たちは、人間の心の弱さとずっと闘い続け、最後まで人間の心の優しさを信じ続け、傷つき、倒れていった。

表現すること、伝えること。そのことに真剣に向き合い続けることでしか見えない景色があると思う。

欅坂46は最後の力を振り絞って、高い頂の上にある景色を見つけ、鐘を鳴らした。悲しくて切なくて美しくて、それはどんな美辞麗句よりも心に響いた。

乃木坂46もその頂に辿り着けると信じている。その時は、一緒に。


*出展:乃木坂46公式twitter(扉写真)、乃木坂46YouTube、欅坂46YouTube


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