結局、天才には敵わない
2022年2月28日
こと歌うことに関していえば、中西アルノは天才の部類に入るのかもしれない。天才の定義はよく分からないから、天才という人もいれば、大したことはないという人もいる。自分の好みだけで判断する人もいる。
ただ、あの歌声は一人だけずば抜けているとしか言いようがない。そこだけは否定のしようがない。
乃木坂46が脱・アイドル化を図っていると仮定すると、彼女のような人材は多少のリスクがあれど、どうあっても欲しかったはずだ。それこそ喉から手が出るほど。
綺麗な子はいくらでもいた。アイドルを目指して弛まぬ努力を続けてきた候補者もたくさんいた。数えきれないほど。5期生・応募総数87,852人。合格者は11人。倍率実に7,987倍。おおよそ8000人に1人の「逸材」を選び出すには、これまでの基準では到底、絞り込めなかったはずだ。
乃木坂に憧れて、アイドルになった自分を具体的に想定して、軽はずみに写真を撮らせない。彼氏を作らない。アルバイトは慎重に。SNSはやらない。先輩方へのリスペクトは忘れず、迷惑をかけることがないように品行方正に努める。涙ぐましいまでの血のにじむ努力を間違いなく重ねてきた。
そんな人が、数千人、数万人、応募してきたのだ。
努力は公平に報われなければいけない、という思い込み。
努力したのに報われない、ということがある。運動会の徒競走、中学受験、高校受験、部活動、大学受験、恋愛、入社試験、結婚、家庭、そして死。
死ぬまで求められるのは努力であり、努力しないものは因果応報よろしく惨めな人生だけが待っている。敗残者。負け犬。負け組。下級市民。レベルの低い人たち。子供の頃から知らず知らずのうちにそう教えられてきた。「負け犬に用はない!」とまでは言われなくても、努力しなければいけないと繰り返し諭されてきた。
では、努力した人がみんな報われたかというと、そうではない。報われるべきはずなのに、神も仏もないのか、報われなかった。ばかりか、なんの努力もしていない(と見えてしまう)、ただずるくて、先輩方への敬意も足らず、自覚もない、軽はずみで、卑怯で、男と何やってたんだよ?あぁ??、アンタみたいな性格の悪い(であろう)小娘が、大人たちの覚えでもよほどめでたかったのか、倍率7,987倍を軽々乗り越えて、合格してしまった。合格しやがった。何も知らなきゃ誉めてやってたさ。が、ボロボロと真偽不明の噂が出てきて、なんだよ、情報管理もできねえのか運営が!、なんでリークされてんだ?、あの疑惑の真相は?なのにコイツがセンターか?・・・気に食わない!!すこぶる印象が悪いから、憎しみだけが一人歩きする。叩いて叩いて潰してしまえ。真偽不明?構わない。煙のないところに火はたたぬ。本当に報われるべきは、乃木坂に心底から憧れて努力を重ねてきた自分だったのに、あるいは男からの告白を全部断って青春を無にしてきた私の友達だったのに。オマエじゃない。オマエは値しない。罵詈雑言を浴びて震え上がって辞退しろ。このまま居座る気?知らないよ、どうなっても。ああ、悔しくて涙が出る!運営は反省しろ。説明しろ。返せ、俺たちの私たちの乃木坂を。ちくしょうめ。本気で腹が立ってきた!ふざけるな、ファンを舐めるな・・・
7,986人の応募者は、そんな、たった1人に敗れた。有史に名を連ねるどんな名将も、1対7,986の勝負を制した人はいないだろう。なのに、それは我々の知らないところで進み、実際に起きたのだ。どんなに否定しようとも、事実は揺るがないのだ、自分は落選し、あいつが通った。自分の推しは涙を飲み、あいつがセンターを掠め取った。受け入れようにも、受け入れられる根拠が小指の先ほどもない。理解に苦しむ。流石にない。平手友梨奈の脱退ぐらい、度を越してめちゃくちゃだ。なのに、怒りの矛先すら見出せない!はけ口は、同じような思いに陥った”同志”たちが集うSNS界隈だけだった。炎上したのは、あなた方運営と(その隣にちゃっかり座ってる新センターの子)の責任でしょ。努力を正当に評価していないのだから。ズルを許容しているのだから。ファンの面に泥を塗ったのだから・・・
たった一言で片付けるなら、その1人が天才だったのだ。他の7,986人は、凡人だったのだ。
(画像出展:乃木坂46 公式サイトより)
ある企業では、採用担当者は面接の際に2種類の応募者を通すという。1つは自分が一番気に入っている(馬が合う)部下に似たタイプ。もう1つは、その真逆のタイプ。つまり、自分が一番、苦手とする(むしろ嫌いに近い)タイプ。
自分好みの人材ばかり通すと、いずれ組織は衰退する。だから、自分に反駁してくる人材を意図的に取る。そうすることでバランスを保つのだという。
生きていると、嫌でも才能の差を思い知らされる。努力したつもりが、かえって相手との距離は開いている。
絶望の一秒前。
こんなやつに、勝てないのだ、自分は。少年漫画の世界じゃない。実際の世の中は、フィクションの世界よりはるかに残酷で生々しいのだ。悶え苦しむほどに生きづらいのだ。なのに、あの天才は、きょうも悠々と・・・
「アマデウス」(1984年・アメリカ)
作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの生涯を、同じ宮廷作曲家だった、サリエリの視点から描いた映画。天才・モーツァルトの陰で懊悩と自責の果てに、精神を病んで自殺を図った男の物語だ。
映画の冒頭は、自殺未遂の果てに精神病院に放り込まれたサリエリが、神父の説教を受けるシーンから始まる。「罪を懺悔しなさい。あなたにも神の愛(=アマデウス)が・・・」まだ若い神父が緊張の面持ちで語りかける。サリエリは不敵に笑うと、告白を始めたーーー
「神よ、私をどうか偉大な作曲家に。そのためならば、努力を怠らず、あなたへの愛を決して忘れず、品行方正を保ち、色欲に溺れず、ただあなたのためにこそ最高の音楽を作って見せます。私にあなたの愛を!」・・・敬虔なサリエリは、自戒を忠実に守り抜き、ついに皇帝の目にかなって宮廷作曲家として歩み出す。
そんな彼の耳に、若き作曲家の噂が飛び込んでくる。幼くしてオペラを作曲し、父親と共に各地を回り、その類まれな楽才で人々を驚嘆させている。あれは天才だ・・・名は、モーツァルト。サリエリは彼に興味を持ち、ついに対面するチャンスに巡り合う。
一体、どんな男だ?なんでもその男は、神が地上に舞い降りたような見事な旋律をたちどころに書き上げ、ひとたびタクトを取れば、たちまちのうちに聴衆を魅了するという。傑出した才能はやはり顔に現れるものだろうか。華麗なる振る舞い、品行方正の見本のような高貴で麗しい美青年・・・
ところが、彼の前に飛び出してきたのは、下品な笑い声をあげ、品行方正どころか色欲にまみれ、気に入った娘を物色しては人目も憚らず尻を追いかけ回し、床を転げ回って卑猥な行為にふける、およそ高貴とはほど遠い単なる下衆だった。
混乱するサリエリをよそに、宮廷に見事な旋律が流れ始める。さっきまで女と遊んでいた彼は、ばね仕掛けの人形のように立ち上がると、慌ててタクトを取り上げて世にも美しい音楽を悠々と奏で始めた。
神よ、あんたはなぜ、私ではなく、アイツを選んだんだ?私には嫉妬の才能だけを与え、私が人生を捧げてまで願った音楽の才能は、微塵も与えてくれなかった。それを、こともあろうに、あのしつけの悪いサルのような男に!!
この映画が興味深いのは、サリエリが嫉妬のあまり狂気の世界に足を踏み入れていく姿を描きながら、同時に彼がモーツァルトの音楽に感激し、これこそ神の声そのものだと惜しみない賞賛を贈るシーンも描いていることだ。
嫉妬に狂いながらも、サリエリはモーツァルトの天賦の才を、誰よりも正確に見抜いていた。見抜けば見抜くほど、嫉妬の炎は燃え上がり、自らの惨めさに苦しめられていく。生き地獄を味わいながら、彼はどんどん破局へ向かっていく。そしてモーツァルトをこの世から消すべく、ついに・・・
ーーー全ての告白を聞き終えた神父は、手にした十字架を握りしめたまま、衝撃に恐れ慄いた。動揺し、落ち込む神父の肩を優しく撫でながら、サリエリは優しく、しかし皮肉に満ちた表情で囁く。
「君も、凡人なんだ。私は君たち凡人の神様だよ」
たった一人の天才に、完膚なきまでに打ちのめされる。
集団の中に、一人だけ天才がいる。
埋没しようのない、強烈な「個」。どうしても目立ってしまう「個」。
そんな存在を、秋元康はずっと待っていた。今回の全てが、秋元康の一存なのか、ソニー・ミュージックの企みなのか、真偽はわからない。マスコミが騒ぎ立てたところで、当人たちが語らない限り、最後までわからないままだろう。そして、秋元康は決して本当のことは語らないだろう。「深読み」させることこそ、突出したスターを育て上げるための絶対条件なのだ。「ファンが導いてくれる」。
10代そこらの女の子の人生をなんだと思っている、とか、また犠牲者を出すのか、とか、そうした声が彼の耳に届いていないはずはない。届いていてなお、秋元康と運営はアクセルを踏んだのだ。踏み込む以外の選択肢は無かった。結果がどうなるのかわからない。誰にもわからない。失敗すれば、批判の声は現在の比では済まないだろう。それでも賭けに出たのだとすれば、理不尽だとか、卑怯だとか、説明責任を果たしていないとか、そうした批判の声は歩みを止める理由にはならない。
だって、誰がどう考えても、努力した人が報われることこそ、正直に真面目に頑張った人が認められることこそ、理屈に適っているのだから。
けれど、それでは永久に乃木坂は変われないのだ。変わっているのはメンバーの顔ぶれだけで、あいも変わらず、わちゃわちゃと仲良しの、清楚で優等生な「みんなの健全なアイドル・乃木坂46」のままなのだ。もちろん、今のままを望むファンは多い。一人でも多くのメンバーが選抜やセンターで報われてほしい。そんなことは当たり前なのだ。普通、みんなそう思う。それが正解のはずだと。だから、そのルーチンを破壊する賭けに出た。
「Actually...」その先に行かなければいけない。
僕は賭けに出た乃木坂46のメンバーと秋元康と運営を支持したい。いまを乗り越えた時、乃木坂はおそらく大きく変わる。その先にある新しい姿を見たいのだ。