語る余地を残しておいてほしい
2022年3月13日
本を読むとき、ページの余白にメモを書くことがある。読んでふと思ったことであったり、思い出したことなど。読み終わると最後のページに読み終えた日付を入れる。読み終えた本を中古で売ることができなくなるが、いつもそうする。
昔、学校の教師が同級生の誰かの名前を挙げて、「○○さんの家には、本棚にびっしり本が並んでいて、とても読書家なおうちであることが分かります。とても立派です」ということを言っていて、そういうものだろうかと疑問を持った。その家に並んでいるのは、ほとんどがハードカバーの分厚く重い本だ。いわゆる書斎を持っている家の、重厚な見た目だけで、この教師は何をどう判断したのか。
本当に読書家と言われる人は、(うちの上司にもいるけれど)、大概雑然ととっ散らかっていて、手垢のついた文庫本が所狭しと積み上げられ、書類や切り抜きや付箋を挟んだままの本がうずたかく積み上げられているような家に住んでいると思う。
子どもの頃から、模範的で世間から立派ですねと言われる人たちに対して、偏見にも似た敵愾心を抱いて生きてきた。
文句のつけようのない、優等生の様を見せつけられると、歪んだ気持ちが自分の中で頭をもたげてくるのだ。
褒めちぎるだけの記事や書き込みには愛を感じない。
注目されたくて批判的な尖った意見ばかり書く人にはより嫌悪を感じる。
いいものはいいし、気に入らないものは気に入らない。だからと言って、それを非難する気持ちにはならない。自分の中にそれが燻っていても、公然とネットで吐き散らそうとは思わない。
今日、久々に「角を曲がる」を聴いた。
やっぱりいい曲だった。僕はこれが好きだと思った。
彼女は語る余地を我々に残した上で、別の場所へ去っていった。