フランソワーズ・サガンの「仮面の後」
言わずと知れたフランスの小説家・フランソワーズ・サガン(1935-2004)は1954年に大成功を収めた処女作『悲しみよこんにちは』で世界中の人々にその名を知らしめることとなった。その後も、『ある微笑』『ブラームスはお好き』『優しい関係』など多くの小説を残した。今やフランス文学アンソロジーのみならず、世界文学アンソロジーにもサガンの名は外せない存在である。
(画像はwikipediaより参照。Stiopik - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=64240652による)
『悲しみよこんにちは』では、地中海の煌きや照り付ける太陽の光線がヨーロッパの大気を肌で感じさせるような軽やかで美しい描写が、孤独や生死のにおいを際立たせる。衝撃的なラストが頭を離れない読者も多いのではないだろうか?出版当時の社会において様々な面でスキャンダラスに受け取られたサガンの物語は、現代社会においても強い印象を与える。しかし、サガンの作品が注目を浴びることとなった要因はそれだけではない。これほどまでに人々がサガンの作品に魅了されるのは、彼女が自身の二大テーマであると語る「恋愛」と「孤独」にどこまでも向き合っているからなのだろう。
18歳で一躍世界のスターとなったサガンは、大作家であると同時にその自由奔放さと豪快さからスキャンダラスで奔放な女性としてのイメージが強いが、そんな彼女が「名声の太陽」を感じたのはほんの一瞬のこと。
幼い頃から突拍子もないエピソードだらけの彼女だが、名声を得た後、意識的に「”伝説”という仮面」をつけることで孤独を紛らわしていたという彼女は、後にこう語る。
「仮面の後に何があるかご存じですか?言うまでもなく一人の人間なんです。」
「仮面」の背後には、どんな姿が見えるだろうか?
”本当のサガン”を知ることができるのは紛れもなく彼女の小説であろうが、1970年代に出版されたインタビュー形式の著作『愛と同じくらい孤独』もまた、サガン自身の言葉で語られる貴重な資料の一つである。
そこで今回は、『愛と同じくらい孤独』の中で印象に残ったサガンの言葉を紹介したい。(全て朝吹由紀子訳、新潮社『愛と同じくらい孤独』(1976)より引用)
・「このときにはじめて善というものが、自分の思っていたものより曖昧だということに気がついたんです。」
第二次世界大戦末期をフランスのサン・マルスランという小さな村で過ごしたサガンは、ドイツによる占領から解放され、喜びの空気に満ちた1944年に「丸刈り」を目にしたという。女性に対する丸刈りは、古代より不道徳に対する懲罰として行われてきた歴史がある。第二次世界大戦下のフランスでは、占領下にあった時代にドイツ人兵士らと性的交渉を持ったとされる女性が見せしめとして大規模な丸刈りの標的とされた。サガンの暮らす小さな村もその例外ではなく、その様子を子どもながらに目にしたのだろう。それを見て、サガンの母が「ドイツ人と同じ恥ずべき行為である」と怒って言った時、サガンは「ドイツ人は悪玉で、イギリス人とアメリカ人とレジスタンは善玉である」という自らに埋め込まれた観念に気付き、事実というものはそんなに簡単なものでは無いことを悟ったのだという。
・(「自分に自信がないときがおありですか?」という質問に対し)「自信をなくすことのない人間っているのかしら。私は自信を持つことがありません。だからこそ物を書いているんです。」
サガンは、「書くことは、十のうち九は間違えること」だと述べる。また、作家が作品として最も好ましいと考える方向へ突っ走った時、それは「故意に間違える」行為であるとと同時に「誠実」なのであるとも。自らが「正しい」という自信を持たないまま、「なぜ?」「どうして?」と自らに問いながらひたすらに書き続けることが彼女の創作活動である、というということだろうか。
・「幸せとは、自分のしていることを決して恥に思わない状態です、誇りを持つのでもありませんが恥にも思わないんです、心地いいと感じるのです。」
『愛と同じくらい孤独』のサガンの言葉に触れると、僅かではあるがフランソワーズ・サガンという人物を知ることができる気がする。
派手でスキャンダラスなイメージのある彼女であるが、実際はより良く生きることに忠実で真っ直ぐな人物だったんだろうな、などと空想を膨らませてみる。
ここで挙げた箇所の他にも印象的な言葉がいくつもあるので、未読の方には是非読んでみてほしい。かくいう私も一部の作品しか手にしたことがないので、これからもっと知りたいと思う次第である。
参考文献
フランソワーズ・サガン著、朝吹由紀子訳『愛と同じくらい孤独』、新潮社、1976年