私のモヤモヤ1※観覧注意
9月からずっとモヤモヤが私の水面下を濁している。
年が明けてもそれは変わらなかった。
だからもしかしたら、不特定多数の人を傷つけ、不愉快にするかも知れないのだが、ここに書くことを許してほしい。
手前勝手ながら、私がここに書く事実と、私の感じた真実が、今後心根が真っ直ぐな人間を守ると信じているからだ。
私の叔父が9月に亡くなった。
【私が富士山のふもとで聞いたこと】
私は叔父の葬式で再会した叔父の元妻のSさんに、葬式後会いに行った。
富士山の近くに住んでいて、泊まりに行って良いと言われたからだ。
その旅は表面は明るく、楽しく、でもぐちゃぐちゃ沼のような悲しみで、慰めを栄養分にしてるような、エセスピリチュアルの馬鹿らしい木陰だった。
叔母は私の叔父が、自分のツレ子だった娘のQに、小学校の時手を出したと言っていた。
私は嘘だと思う。証拠はないけれど。
確かにQはリボンの騎士のように短髪ではつらつとしているのに、そこが妙に色っぽい魅力的な女の子で、同い年の私も酷く焦がれたものだが、Qはそういう男を察知して逃げられないほど愚鈍ではないし、叔父は小娘より、自分で物事を判断できる大人の女が好みだ。身体より思考に惹かれるタイプだったんだと思う。
叔父は弁護士の免許を持っていて地頭は賢く、働いて無いわりに、女の人に何故かモテたし、女性が欲しかったなら、もっと他の方法を取っただろう。
多分Qはそういう嘘をつかないと、実母のSから逃げられなかったんだ。
Qは昔、私の妹とQどっちが本当の娘かと言い争っていた。
お金のことでもめたり、殴られたこともあったから叔父を憎んでても仕方ないけど、本当のところはあまりにSがQを責めたんだと思う。
Qは昔、自殺未遂をしたことがあった。
でも未遂に終わった。それはそれがSさんへの当てつけだったからだ。
本当に死ぬ気だったら、近くの山で首を吊れるとこにすんでたし。
余りに責められて、でも自分の母から離れられなくて、それで嘘をついたんじゃないかな。
私はこんなこと言って良いのかずっとわかんなかったけど、でも苦しくて。ここに書いてしまった。
集合意識にリンクして、ただでさえ危うい現在に拍車をかける気がした。
でもQは賢くて美人だったし、今は子どもと優しい旦那さんに恵まれて自分の家庭を築いてるし、自分の正しい道を選べば必ず幸せに生きれると思う。
Qは絶対最高に幸せになる。書いてるほど尚更確信出来る。それくらい強くて魅力的な子だった。
叔父は自分が悪者になっても、他人を悪者にする人ではない。馬鹿にはしたけど。ずっと、心の軸が震えてるみたいな人だった。
人の役に立ちたいのに、猜疑心が強くて、それが出来ない歪な言葉を放つ、可哀そうな人だった。策略を考えられても、誰かの策略にはめられることを、見えない敵をずっと恐れてた。
最初はユーモアに思えた叔父の冗談も、強くなると不安のもとでしか無くなる。
冗談で怒りを柔和したいのかも知れないけど、怒りが強すぎて、二度と冗談さえ聞きたくなる。
葛藤、葛藤、葛藤、撃沈。それを毎日繰り返してたのかな。
Sさんは凄い。それをめいいっぱい包み込むように優しく振舞う。だから私はその優しさを信じ、Sさんを尊敬していた。
Sさんは心から「私が看病したからあの人良くなったのよ」と言う。それを信じてしまう。多分本人が信じているからだ。自信たっぷりな口ぶりだから。
その自信が凄くきらきらして見える。セラピストでスピリチュアル好きだった。
でも今思うとそこには「私がしてやった感」が強くて、その人自身が良く治ろうとした努力に目が向いてなく、治癒した相手を自分の思い通りに支配したがる欲が強くあった。
自分から自立させないような、そんな癒しに見せかけた支配。
それは嫌な奴ぶるより強いつながりで、離れようとする相手に罪悪感を植え付ける。
【叔父について思うこと】
叔父は、ずっと仕事をしてなかったが、癌になってから、ここ数年運転手として稼いだ。
そしてどうやら自分の娘の分のお金を残して亡くなったようだ。
社会的に表彰されるような人間ではなかったけれど、叔父は叔父なりに、自分の役割を果たして死んだんだと思う。
私も頭が拡張しやすく、叔父と同じ傾向がある。叔父からはそれを教わったと思う。
好きでは無かったけど感謝している。いや、1ミリくらいは好きかも。少しだけ尊敬もする。
誰にも見えない、自分の中の悪魔と戦っていた。
私が物心ついたころから借金があった。小学校に入る前にはそういう話を枕元で告げ口のようにされてた。
本当に職につかなくて、うちに来ても酔っぱらってて、めちゃめちゃ泣いて、ひどく嫌な思いをさせられたことが何度もある。
思い出すのが面倒だから書かないけど。
叔父は何度もずっと同じ話をした。
なにかをたずねると最初から「だから~」とつけた。「なんでそんなこともわかんないの?」という意味を含んでいたんだろうか。いつも説明する前からそうつける。
直感的な人だった。そして直感的な気づきが、他人からもたらされれば憎まれることも知っていただろう。
自分が30代になってわかったけど、叔父は自分の声じゃなくて、頭の中の他人の声がうるさい人だったみたい。
私の父の会社からお金を取り、死ぬほど恐い脅しで揺すったと父が言っていたけれど、死んでしまったので定かではない。
今私に分かるのは、血がつながっていても別の人間なんだということ。それを感覚で細胞レベルで分かって少し嬉しい。
彼らと同じDNAレベルの冷酷な部分も、私の一部であり、叔父や父を知っているというだけで、その要素を客観的に扱えると感じられる。
自分の持ってしまった残酷さに振り回されるのでなく、他者のために能動的に扱うんだ。
すでに備え着いたモノを取り外すのは難しいから。
言葉は刃物と一緒だ。使わなければ傷つかないけど、使わないと自分の力で生きていけない。
使い続けなければ、ふとした瞬間に誰かを傷つけかねないから、扱い方を学ぶ必要がある。
叔父はしっかり生きている内に報いを受け、罪を償い、Sさんというモンスターを自分が怪物になって止めたんだと思う。
きっとこんなことここに書いても痛いとしか思われないかも知れない。
しかしその事実を知っていることで、私は良い人に思われたいだけで実際は働かないで利益だけ欲しい人と、純粋に本当に良い人の違いが区別できるんだ。
それに悪人にも必ず良心があると分かって私は嬉しいんだ。
私にとって叔父は、あくまで嫌な奴であって、悪人ではないのだけれど。
いや、邪悪だったから、言い方変えても変わらないかな。
叔父に最後にあった日。私は叔父が十分苦しんだことを知った。
私は叔父に触れながら、心の中で「もう良いよ、お疲れ様」と言った。
翌日、叔父は亡くなった。
そんなことがあっても私は生きてもっと今よりも幸せになりたいと思っている。
自分のことが好きだし、私を好きになってくれた人とまだ一緒にいたいから。
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