うらうら占い師のうららさん ~クリスマスに呪われて~
カルチャークールの美術講座後の、飲みの席での事だった。
「うららさん、占い出来るんだって?占ってよ。」
幹事役の佐藤さんにしか言ってない事だったので少し動揺した。
佐藤さんと二人きりの時に話したことなので、こっそり教えたつもりだったのだが、幹事の佐藤さんは、いとも容易く、このコンサバ女子に話してしまったらしい。
正直名前も覚えてないこのコンサバ女子に私自身は嫌悪は無いものの、相手からの明確な敵意を感じていた。
講座中私の絵の発表の際「何か、アニメタッチですよね~、私アニメ何か見ないんですけど~ていうか~」とか舌ったらずに講師にのんのん文句を垂れてたからだ。
講座前席に付く際も、先にいた私の前の席に座ったかと思うと、私が座るところの無い後から来た受講生に荷物を退かして場所を譲ったところ、振り返って睨んできたのだ。
私は直接彼女に手を出した覚えも無いし、声さえかけてないのに、何なんだろうと身構えてしまう。
そう、身構えてしまうと言うだけで、決してむかっ腹が立ったりなどしていない。
彼女はあれこれ人の事には文句を言うわりに自分は作品をだしていなかったみたいだが。
「良いですよ。」
仕方ない。みんなの視線が私に注がれていた。断れる雰囲気ではない。
二千円もサークル活動費と別に、今の食事代だけで会費を払っているんだから、ご縁の一つや二つ大切にしないといけない。
「恋愛について見て欲しいの。」
胸の内は少しもやもやしたものの、私は携帯を手に、その人の生年月日と出生地を聞き、生まれた時の星の配置図を割り出した。
この星の配置図はホロスコープと言い、現代では素晴らしい事にネット上で『無料ホロスコープ』と検索すれば、色んな種類のデザインの検索機能を使用できる。
ホロスコープを見ると、何時、何処の星座に、どの天体があったのか分かる。
そこから星座と星同士の関連を見て占う。
個人鑑定に使う場合、勿論その人の生まれた日のホロスコープを見る。
今は、占い師でなくても、ネットで幾らでも自己鑑定出来る豊かな時代なのだ。
勿論、星それぞれの意味合いを知らないと星の配置だけでは、物事を読み取る事が出来ない。が、アナログ時代の人が、一々分厚い本で出生時間と星の位置を確認してたのを思うと、とてもありがたい機能だ。
かと言え、検索には通信費がかかるのであんまり申し出は嬉しくなかった。
占いが、サイトや雑誌で飽和状態になっている現代、一人一人の星回りを見る苦労何て、一般人には分からないだろう。
まぁ小慣れた占い師ほど、四柱推命で年柱しか見なかったりするが、それだと同年代みんな同じ運勢になってしっまう。
私はそう言った大雑把な事はしないと言うプライドがある。
その人、個人に今必要なメッセージを自分なりに探す。それが私のポリシーだ。
私は画面を睨みつけながら、特徴的なポイントを探した。
「頭の良い男性が好みの様ですね。」
「それだと、好みの男性についてにあるんじゃない?」
どうやら彼女は恋愛でなく、恋愛運についてのアドバイスが欲しいらしいのだなと、何となく推測する。
ていうか、投げかけた事に対して、恋愛的要素を広げて欲しかった。
他者を思い通りにしたい癖に、自分は他人の思い通りにならないぞ。と、決め込んでいるような、不遜な気配を感じてしまう。
言葉をじっくり探したいのに、周りの視線がうるさい。
次第に音もなく不安が込み上げてくる。
占い師としてはどうしたって若い私に見てもらって、それでいいんだろうかと疑問が浮かぶ。
その人のホロスコープはこれと言って悪い処は無かった。
ただ、考えすぎるところがあり、物事を脳内で処理してしまう為、余り自分からは行動しないのだろうと読み取った。
まぁ、そんな直接的に言えるほど、自分も対した行動をして来たわけじゃないのだが。
はてさてどう伝えたものか。
「頭で結論を出すところが多いので、もっと動いて行くと、答えが変わっていくと思いますよ。因みに近日で恋愛運が良いのは、来週末辺りです。」
占われたコンサバ女子だけでなく、彼女の両脇に座った男性陣も、「「ああ」」と声を上げていた。
その『ああ』が何を指しているのかは分からなかったが、この三人は隣り合って座るだけ仲が良く、ある程度の事情を知ってるのかも知れない。
「じゃあ、もっと他に恋愛運が良くなる事とか無いの?」
まだ、質問するのか。と、心の中で思いながらも、初めての飲み会でその場の空気を壊す事は難しかった。
この人はわりと見た目も可愛いし、コンサバな服でうけも良さそうなのに、本人は運が良く無いと感じているらしいことが、言葉と表情から読み取れる。
私は周りに気付かれないように、声を殺して溜息を着くと、携帯をいじった。
それから、その人の星の配置図と現在の星回りが一緒になっている二重のホロスコープを新しく出した。
「そうやって間を取って、時間稼いでるんでしょ?占いの料金て時間制だもんね?」
人が真剣に占っているというのに。こういう事をほぼ断定的に口にする人がいる。
そもそもタダで占っているだけで有難いと思っても良いくらいなのに。
現代人はあることが当たり前すぎて、感謝が足りん奴が多すぎる。
だからって、それを口にしたところで、感謝を強要してると言い返されるのが落ちだ。
こっちは相手の自尊心を傷つけない範囲で、十天体の星からその人へのアドバイスを、今、動いている星の動きに合わせ、伝えようとしているのだ。
真剣に人に尽くそうとするほど、ケチをつける輩が多いのはどうしてだろうか?
携帯を両手に抱え、俯いた私の背中の空気が静かに重くなっていく。
2000円も払って、まだ何にも食べ物を口にしていないけど、早く帰りたかった。
しかし、ここで激怒するほど元気も無ければ、幼くも無い。まぁ、他人何てそんなもんと自分を思考で戒めた。
ケチを付けて来た男性は確か同い年くらいだったハズだ。派手な格好はしてないものの、存在感がある。確か名前は鶴上。
彼は清潔感のある格好で、黒を基調とした服装をし、一軒大人しそうに見えた。
と、言うより見せているんだろうなというのが私の勝手な感想だ。
その後も、のんのんと騒がしい中、星を読んだ。
1人目で切り上げたかったが、他の人にも占って欲しいと言われ、三人くらいまで占う事にした。
私は三人目の鑑定が終ると「眠くなったので帰ります。」と言って誰よりも一番に飲みの席を離れた。
最後に占った眼鏡が知的な、釣り目の大人のお姉さんだけは、生真面目な態度で恭しく私に頭を下げ「ありがとうございました。」と言ってくれた。
その一言だけで、大変だったけど、まぁ良いかなとも思ってしまう。
居酒屋の下駄箱まで行くと、講座の一人が私を追いかけて来た。
「他にも占って欲しいって、言ってる人がいましたよ?」
金払えよ。と、心の中だけで思った。
「そうなんですね。すいません。私それ程実力が無いので、三人も見ると頭が疲れちゃうんです。」
私は出来るだけ申し訳なさそうに身を縮めたが、心の中では、まだただで占わせるつもりか、こん畜生と思っていた。
「僕も麗辺さんと同じ駅に住んでるんですけどぉ。」
お前確か妻子持ちじゃなかったか?
一瞬自分でも、目が半眼になるのが分かった。
私の自意識過剰かも知れないが、何となく、目の前の男の目つきがやらしい気がした。
講座前に確かに、彼が自分の家族の話を他の人としているのを、私は見ていた。
「そうなんですね。近くでお会いしたら声をかけてください。」
声をかけるなとも言えないので、取り合えずの社交辞令を込め、私はそう言った。
女好きそうな顔をしているが、悪い人では無いので、二人っきりにならない限り変な事は無いだろう。
声をかけられたのは素直に嬉しかったので、笑顔を返しておいた。
「素直な気持ちだけあれば良いのに。相手の下心なんかに気付かなきゃ、こんなにもやもやしないのにな。」
身も縛れる十二月の帰り道。世は正に絶賛クリスマス。
今年も結局一人ものだった私。
シングルベルシングルベル鈴が鳴る。
短大に入れば恋の一つも出来て、誰かを好きになる喜びで頭いっぱいお花畑なって、人生がガラッと変わるかと思ったが、一向にそんな気配は私の人生に訪れ無かった。
そればかりか、大学生になって私服で出歩くようになり、サラリーマンのおっさんや、既婚者からお声を頂く事が増える始末。
何だか高校の時よりも、男性への警戒心が強くなった。
そういう自分が女として自意識過剰な様で、恥ずかしくも思うのに。
今回も大学の美術サークルが飲みサーだったから、わざわざよそのカルチャーセンターの美術講座に来てみれば、何か変わるかと期待していたが、実際は学生も社会人もそう変わりなかった。
講座中、講師が話してるのに、ひそひそ話す女学生。
携帯でゲームをしてバレてないと思ってる男。
そんな集まりの中、序列が合って、みんなそこに付き従う事で組織をなしている。
人数にモノを言わせ、誰かが賞を取ればみんなのモノになると信じ、それでいて飛び抜けた作品があれば頭ごなしに叩くのだ。
お山の大将と、他人の批評ばかりで、自分自身の作品を作ろうとはしないサルの群れ。
チラシ広告を見て期待して入ったのに、個性も多様性も感じられない。とても退屈な講座だった。
義務教育なら仕方ないが、お金を払って時間をかけてまで付き合ってられない。
急いで予約したり、断腸の思いで財布を開いた私の労力と費用を返して欲しい。
しかし、そうやって文句を頭の中で並べ連ね、自分を正当化し、思考の中に引きこもる私自身も、変化が恐ろしい臆病なサルの一匹に過ぎないのだと、理解している。
私はカップルが通り過ぎていく道の真ん中で立ち止まり、大きく道端に息を吐いた。
人生をどうしようもなく変えてやりたいのに、どうしようもなく変われない自分がいる。
そうこうしながら惨めな思いで、てくてく賑わう都内のライトアップされた通りを、独りで歩いた。
すると、私よりもっと惨めそうな男が一人、道端で露天を出しているのを目にした。
その男はサンタクロースの格好をし、白いひげを付けている天然パーマのおじさんだった。しかも、仏頂面で座っているので、道行く人が避け歩いている。
色んな意味で見ていて痛々しく寒々しい。
私は最初その男の姿を三メートル程離れたところから観察した。
机に手相10分1000円と貼ってある。
今年最後の愚痴を吐くには、まぁまぁお得な額。
私は占うのも、占われるのも大好きだ。
そしてそれより好きなのは、付け焼刃でプロ占い師ぶっている素人の、上げ足を取る事。
裕福円満な家庭に生まれ、安全な道を歩いて生きて来て、生活に余裕が出てから占いを勉強し、大した鑑定も出来ないのに、自信満々で自分より若い子を諭そうとする人間を見ると、笑けてくる。
年を取っているというだけで、功労者ぶり、わかったつもりになっている。そういう輩の何たる多い事か。
若者に適当なアドバイスをし、少しでも引き繋いで小銭を稼ぎ、自らの虚栄心を満たそうとする。そのやり口を見抜き、度肝を抜かしてやるのが、事の他愉快だ。
大概の占い師はこんな若輩の私が、自分より占いに精通してるとは夢にも思うまい。
「すいません、占ってもらっても良いですか?」
私は意図的に眉を下げ首を傾げ、声のトーンを落とした。
占いなんて何も知らぬ、存ぜぬという顔で、サンタクロース姿の男の前に座る。
サンタ男は、眼鏡の隙間から私の顔を覗き見た。
「…何ですか?」
「いいや、大きな不運を背負われているなと思いまして。」
このサンタ男は人相学も出来るのだろうか。
生憎人相学も私はそれなりに学んでいる。
「そうですか?両サイド均一の取れた顔だと思います。障害になる様な相もありません。」
「つまり、君は人相学を知っているんだね。」
しまった。少し飲んでいたせいか、つい自分から情報を漏洩してしまった。
「取り合えず、私の手相を見て頂けますか?」
ここで尻込みするのも、負けたようで嫌だった。
私は笑顔で自分の両手を、サンタ男に差し出した。
サンタ男は、私の両手首を掴み、眼鏡の奥底から、しげしげと私の手の内を覗き込んだ。
そして、顔を上げると、サンタ姿に似つかわしくない厳しい面持ちで私に告げた。
「このままだと、君は大切なものを失うぞ?」
唐突で直球な言葉だった。
「どうしてですか?私、人に迷惑をかけるような事は、何一つしていませんよ?」
「でも、自分の人生を思うように愛せていないだろ?」
解ったような事言いやがって。心の中で毒づいてた。
だけど、サンタ男の声音は柔らかく、眼差しは真剣だった。
このサンタ男は、たかだか千円の占いに、たかだか通りがかりの年若い私に、本気で人生を問いかけていた。
こんなどこぞの大型総合スーパーで売ってる、ぺらっぺらなサンタ衣装を着た奴、絶対ど素人だと踏んだのに。
その後はそのまま押し黙ったまま、サンタ男の鑑定を聞き流した。
「…わかったかい?」
「はい。ありがとうございました。」
私はさっさと千円を財布から出し、机の上に置くと、その場を足早に立ち去った。
見知った歩道の階段を急いで駆け上がる。
「あっ!」
左足先が階段を踏み外した。
何とか右後ろ足で踏み込み、すっ転ぶのを防いだ。
そうしたものの、不自然な着地で右足を捻ってしまう。
鈍く、筋肉を強張らせるような痛みが、くるぶしから上へ込み上げてくる。
「私の人生、こんなんばっかりじゃん!」
誰もいない階段の隅で私は叫んだ。
これが私、麗辺仁奈の二十歳のクリスマスイブの事だ。
クリスマス二十五日の朝。
変わらない朝が来た、虚しい朝だ。
何の代わり映えもしない、憂鬱な朝。
私の枕元にサンタは来なかった。
いや、子どもの頃から、信じてはいないし、二十歳になって今更、来られても困るんだが。
憂鬱な思いで薄っぺらい布団から立ち上がり、見慣れた天井を仰ぐ。
他所から聞えてくる生活音に耳を傾けながら、やり切れない胸の内を抱えたまま、「うぉっ」っと、鈍い声を上げ身体を布団から起き上がらせた。
私はうらうらと気だるげに布団からでてシャワーを浴びた。
昨日は変なサンタ男に会ってしまったせいで、やたら疲れ、帰ると、シャワーも着替えもしないまま、布団に潜り込んでしまった。
私は布団の毛布を洗濯機に押し込むと、そのまま着ている服を脱ぎ、それも一緒に入れて回した。
シャワーを浴び、身支度する頃には洗濯機も回り終わる。
掛け布団も年明ける前には、コインランドリーで回したいと思う。
私はシャワーを浴びて頭をタオルで拭きながら、冷蔵庫を漁った。
しかし冷蔵庫を開けると、納豆以外の食材が一つも無かった。
納豆も悪くないが、今は甘いものが欲しい。
私はシャワーを浴びると、お気に入りのパーカーを着て、近くの業務スーパーに向った。
業務スーパーへ行くと、お目当だった苺のパックに半額シールが貼られていた。
これは、普段誠実に生きてる私への、クリスマスプレゼントに違いないと思い、3パックカゴに入れる。
るんるん気分でレジの列に並ぶと、右足首に変な痛みが走った。
昨晩捻った時から違和感が続いていたが、今やっと『やばい』と思った。
ほっとけば治るんじゃない?と思っていたが、どうやら甘かった。
足の起動を阻むような鈍い違和感が、骨の下まで浸透している。
やはりこれは、ちゃんとしたところで診てもらわないといけない。
自分がカゴに入れた、半額の苺や、お安いお勤め品の野菜を見やる。
こうやって、しっかり節約はしているわけだ。自分を整える事を疎かにすると、生活がガタガタになってしまう。
治療費がいくらかかるか考えると恐ろしいし、お金は勿体無いけど仕方あるまい。
そして私は業務スーパーの帰りがけにある『多抜鍼灸整骨院』に、その日初めて立ち寄った。
お店のドアを開くと、ドアチャイムがカランカランと軽やかに鳴る。
左側にカーテン奥から、白衣姿の男性が出て来た。
「スーパーの帰りですか?十分待ってもらえますか?」
その先生は私の大事な食料を冷蔵庫で預かってくれた。
ビニールの中身の半額シールを見て、クスリと小さく笑っている姿が、嫌味なく、可愛かった。
整骨院は先生が1人いるだけらしく、受付横の椅子に女の子が1人座っていた。
その子はどうやら今施術中の人を待っているらしい。
その女の子は上品な瓜実顔で、色白で、私と目が合うと遠慮がちに会釈し、微笑み返してくれた。
その子の隣に座るとまるで、静かな茶室にいるような、穏やかな気持ちになれた。
そうしてカルテを書いて、規約を読むなどもしていると、十分はわりと直ぐに過ぎて行った。
しわしわのおばあさんが、よっちら、おっちら、腰を重そうにしながら、施術室から出て来てこられた。
待っていた女の子は、お孫さんらしく、亀かナメクジを彷彿させる速度で動く老婆の手に、自分の手を添え、院の外へ誘導した。
院を出る際、振り返り会釈する姿は、見返り美人の絵姿の様だった。
それから私は先の方がいらしたのと反対側の施術室に促された。
施術室は、店内の左側と右側で別れて二つあり、壁とカーテンで仕切られている。
「では、麗辺さんよろしくお願いしますね。」
施術室に入って来た先生を改めて上から下まで見た。
先生は私には少し不思議な人だった。
何が不思議かと言うと、凄く『普通』に見える人なのだ。
全くクセというものを持ってないように見える。
人間あって七癖。と、昔の人は言ったもんだ。
私はその言葉はどんな人間にも当てはまると信じている。
だから、こういうクセの無い人間を見ると、どうやってそのクセを打ち消しているのか、勘繰りたくなる。
先生は身長は180センチくらいあり、多分白衣で見えない身体は、それなりに筋肉質だ。
なのに、全く威圧感無く、温和な笑みを浮かべ包容力さへ感じる。
何だか人慣れした熊が人間に上手く化け、『普通』の人間を演じているような、そんな印象を受けた。
「では、足を見せてもらいますね。」
「はい。…あ。」
施術ベットの上で靴下を脱ぐと私が捻った足首は青紫色になり、リンパ節周りが貼れていた。
「「ああ」」
意図せず先生と声が重なってしまった。
怪我の原因が他ならぬ自分自身にあるとに、心底落ち込んだ。
今この時まで、こんなに腫れてた事にも気が付かない自分にも、呆れて腹が立ってしまう。
シャワーだって浴びていたのに。
初対面の男性にカラスの行水程の入浴しかしていない事がバレてしまったではないか。
自分で自分が恥ずかしい。
そもそも、ずっと二千円の安い靴を履きまわし、何度か躓く事が有ったので、危ないとは思っていたが、こんな事になるとは思わなかった。出費が重なる事を思うと、高い靴は買おうとは思えなかったのだが、こんな事になるのなら、ちゃんとした靴をいささか費用がかかったとしても、買うべきだったと後悔する。
思えば、気にせず歩いていれば、自分の身体が慣れ、何とかなると楽観を盾に違和感に蓋をしていた。それが怪我の原因の大本だ。
そういう楽観的思考で、違和感を誤魔化して、貧乏性や根性論を正当化し、問題に蓋をして、何時も後で後悔するハメになる。
私のそういうだらしのない性格が、今回の怪我を招いた。
こうして貧乏性が貧乏を引き寄せる。私自身が良い例。
私が自分の思考に閉じこもったまま、自分足の青あざを眺めたまま暫く唖然としているのを、整骨院の先生は馬鹿にするでも同情するでもなく、ただただ眺めていた。
勿論実際は何を考えているのかは分からないが、先生ははっと我に返った私と目が合うと、リラックスするように促し、淡々と施術を始めた。
大人しく、施術ベットに横になりながらも、私は内心そわそわしていた。
思ったより酷い状態だった。
どれくらい治療費がかかるか分からない。
今後の出費を考えると、とても恐しかった。
借りてきた猫の様に大人しくなった私に先生は苦笑い。
「青くはなっていますが、自然に治っていきますよ。3週間ほどかかると思います。」
先生に怪我をした足を掴まれた。
大きくごつごつして、温かい。
しっかり握り込んで来るのに、握力を感じるわりに痛みは無かった。
全く威圧感が無い。本当に不思議だ。
こんなに背丈も肩幅もあって、筋力もあるのに、どうしてこんなに他者に抵抗感なく、安心を与える事が出来るんだろう。
私もそんな人間になりたかった。
私は初対面の人と会話が途切れると、普段は不安になって、もっと話題をふらなきゃと思うのだけれど、この時は黙って身体を預けられた。
施術ベットに横たわったままの体勢で、先生に足裏から身体を押されると、腰骨が上がるのを感じた。
私は座る時、右のお尻だけに体重が偏る癖がある。
先生は診断も施術も的確だった。
無駄もむらも無い。
こんな腕前の人に見て頂いて、幾らかかるやら。分からないけど、先生の施術を受けられたのは、凄くラッキーだ。
会計に、先生がカウンターに印刷したての領収書をトレーに乗せた。
私の見間違いだろうか、六十分の施術にしては、数字が小さいように見えた。
それか、0の表示間違いかも知れない。
「今日の施術代です。」
訝しる私の顔に微笑みかけながら、先生ははっきりと言葉にした。
良いんだろうか。
普通そんな事されたら、また安くしてくれる事を期待して、ここへ来てしまうでは無いか。
それとも若いのに、寂しそうな私に同情してくれたんだろうか。
それでも私は良いんですかと言いながら、目の前の領収書を提示された瞬間から、それ以上の額を払う気は既にさらさら無かった。
思わぬ徳をし、るんるん気分の私は、帰り道、お気に入りのパン屋に寄った。
ここのクリームハットと言う生クリームの挟んである甘い菓子パン。
このパンに苺を挟んで食べるのが、私の優雅な楽しみだ。
彼氏もいない、将来も決まっていない。友達も少ない。頭がいいわけでも、体力があるわけでも無い。
だから、派手な遊びは余りすることが無く、趣味といったら食べる事になってしまう。
私はお気に入りの紅茶を入れ、お気に入りの青いお皿に、パンと苺を並べると、コタツの上にそれを置いた。
大好きな生クリームの間にフォークで苺を挟んむ。
最初から入っているより、こうして自分で挟む方が美味しい。
この位の幸せが、きっと私何かには相応なのだろう。
彼氏や大勢の友達と過ごすというのは、私何かには見合わない幸せなんだ。
そんこんな自虐を考えながらも、甘い束の間の高揚に浸るため、私はパンに齧りついた。
表面は固く、中はふわふわ。
そしてその時気付いた。
自分自身の身に起った異変。
「味が、しない。」
私は味覚を失っていた。
「このままだと、君は大切なものを失うぞ?」
昨晩サンタ男に言われた言葉が、鼓膜の内で響いた。
そうしてクリスマスに呪われてからの7日間。私は死んだようだった。
新年が来て、1月が来て、2月が来れば、また歳を取ってしまう。
何の成果も無い二十歳の一年だった。
彼氏もいない、将来も決まっていない。友達も少ない。頭が良いわけでも、人より体力があるわけでも無い。
だから、派手な遊びは余りすることが無く、趣味といったら食べる事だったのに。
その私から、味覚が無くなった。
なのに、味覚を失ったというだけで、食欲が無くなったわけでは無い。
お腹が空き、仕方なく何かを口にする度に、私の胸の穴は広がった。
病院に行った方が良いと分かっているが、何課に行ったら良いか分からない。
もしも、精神的なモノだったらどうしようかとも思う。
酷い精神障害などと言われた日には、私は家の外に出て呼吸する事も難しくなるだろう。
刻一刻と迫るニューイヤー。
私は、本棚からお気に入りの写真集を出し、それを眺めながら自分を慰めた。
それは夏の季節の海や山々の小さな生き物を撮った写真集。
さなぎから、地上に出て、7日間しか命の無い蝉に自分を重ね合わせ、自分を憐れんだ。
そうこう落ち込みながら不規則な生活をしていたら、一週間はとっくに終っていた。
徹夜でネットサーフィンをした夜の後、ふと久しぶりに携帯の充電をし、起動させると、12月31日という表示を目にし、つい二度見してしまう。
一緒に祝う人もいないので、もう、焦る気すら起きない。
労力がかかる事は何一つしたくなかった。
掃除はクリスマス前に大体やっておいた。
これから細かいところを掃除するには、私の心は余りにも疲弊している。
しかし、一つくらい大晦日らしいアクションをしたくも思う。
そして年が変わる前に、一年使い通した掛け布団を洗おう事を思いついた。
私は取っておいた特大のビニールに、掛け布団を押し込むと、近くのコインランドリーに向った。
時間は早朝の5時。
きっと今なら、店内に2台だけの洗濯と乾燥が同時にできる赤いランドリーが空いているだろう。
コインランドリーに行くと、先客がいた。
先週整骨院にいた、女の子だ。
彼女も私を覚えていたらしく、あ、という顔で目を見開いた。
また彼女も今さっき来たところらしく、赤いランドリーに、質の良さそうな白の掛け布団を押し込んでいた。
私は何となく気恥ずかしい気分で隣のランドリーに自分の安物の掛け布団を入れた。
お若いのに、こんな時間から起きて、布団の洗濯をしに来るなんて、偉いなと思った。
だけど、偉いな何て、如何にも年上として、相手を上から見てるみたいだな、とも思う。
「おはようございます。」
私がうらうら考えながら、小銭をランドリーの小口に入れていると、以外にも彼女から私に話しかけてくれた。
「この前、整骨院にいらっしゃいましたよね?」
佇まいだけでなく、尋ね方も何だか上品だ。
「はい。おはようございます。」
何だか挨拶するのも照れて畏まってしまう。
数年前は自分も女子高生だったと言うのに、相手が年下と言うだけで可愛く見えてしまうのはエゴ何だろう。
「学校も無いのに、こんな朝早くから起きてて、凄いですね。」
私はどうし様も無く、言葉にして目の前の彼女を褒め称えたくなった。
「私、学校行っていないんです。」
一瞬、間が出来た。
彼女は大人びていて、口にした事実を気にしているのか、いないのか、いまいち読み取れない。
登校拒否の生徒にしては、随分社交性が高い様に思えるが。
「学校が全てじゃないからね。」
そんな風に言うのも偉そうな気がしたが、彼女が、微笑んでくれたので、まぁいっかと思えた。
見ると彼女は絆創膏だらけの指先で、教科書を片腕に抱え込んでいた。
ここのランドリーの音響は音が良い。また、最新のレーベルが流れている。
彼女はここで勉強しながら洗濯物が回り終わるのを待つつもりなのかも知れない。
「ねぇ、回り終わるまで待ってるの?良かったら暇つぶしに占いでもしない?」
私はポケットから携帯を取り出すと、今日のホロスコープを検索して彼女に見せた。
「え?良いんですか?」
彼女は喜んで応じてくれた。
「何について占って欲しい?」
「んん~。私、このままで良いのかな?って事でしょうか?」
ここで、大丈夫だよ!とか即答するのはプロではない。いや、プロじゃないけど。プロ意識はあるつもりなんだ。
私は困った顔で微笑んでから、生年月日と出身地を聞き、彼女のホロスコープを割り出した。
彼女の星周りを見た私の第一印象は、素直で真面目。しかも自発的な行動力もある。
全体的に、山羊座の力が強い様だ。
「山羊座なんだね。」
山羊座と言うと、冬至から始まるのでクリスマスとお正月の時期になる。
そもそもクリスマスは冬至のお祭りが起源。
冬至は一年で最も夜が長い日で、そこから後は日の時間が延び、太陽の力が復活していく。
だからだろうか、山羊座の人も、どんどん自分を伸ばしていこう、もっと高くあろうと真っ直ぐ道を突き進む人が多い。
「山羊座は「合理的で冷たい」って前に言われました。」
小首を傾げながら愛想笑いをする十代の女子に哀愁を感じる。
「んん~。そう取る人もいるし、そうなっちゃう時もあるのかも知れないけどねぇ。ストイックな分、脇道に逸れるのが苦手だし。努力家で自分に厳しい分、そう見られたり、そうなっちゃったりする時もあるのかなぁ。」
断定的な言い方をすると、相手の固定観念や価値観を否定する恐れがある。
彼女はあからさまには落ち込んでいないが、少し項垂れていた。
いまいち言葉は曖昧なニアンスになるが、私の目を見れば、お愛想で言ってるわけで無い。と、相手に伝わっているだろう。
「でも、わたしはそんなに努力家ではありません。」
んんん。その謙遜も山羊座さんによく見る特徴なんだけどね。「いえ、私何かまだまだなんで。」的な。
結果を重んじる山羊座さんに、下手な励ましは余り効果がない。
現実主義だからか、誉めてもお世辞と受け取る事が多い。
う~ん。どうすればわたしは彼女の悩みを軽く出来るだろう。
いやいや、自分の『誉めたい欲』に翻弄されてはならない。これでは誉めて相手の気を引こうとする、ナンパ師のようだ。
いかんいかん、下手に私の価値観で決めつけず、今彼女の実際の生活環境を聞きだして、彼女自身の本来の希望をちゃんと引き出そう。
「今、勉強とかはどうしてるの?」
「自宅で課題をこなしています。」
彼女ははっきりきっぱり答えた。
その淀みない物言いで、課題を溜め込まず、着実にこなしていることが分かる。
「不本意な努力を省いて、限りある時間の中で、より良く成果を出せるなら、素直にそっちを選べるのも、山羊座さんの良い処だからね。山羊座さんは合理的って言うのは、そういうのを指すんだよ。学校に行かない事で、勉強や楽器の練習が捗るなら、それで良いんじゃないの?」
「え?どうしてわたしが楽器をやってるって分かったんですか?」
大人しそうな彼女が驚いて、椅子から一瞬飛び上がるのが可愛らしかった。
「その指見ればわかるよ。」
別段占いでそんな事まで分かったわけでは無い。ただ、彼女らしさを探したら、気が付いただけ。
彼女が自分の指に、目を落とた。
ふふふ、と二人の笑いが重なった。
「どんな楽器を弾いてるの?」
「…三味線です。」
彼女は口元に絆創膏だらけの指先を添えながら、恥ずかし気に答えてくれた。
山羊座は伝統を表す星座でもある。三味線だ何て、彼女の良さが出過ぎていて、素敵すぎる。
「あなたの受け答えや喋り方は、学の無い人のそれではない。普段から本を読んで、自分なりにモノを考えている人のモノだよね。」
私は自身を持ってはっきり事実を伝えた。
「そうですか?わたしの喋り方、学校の子にも、母にも偉そうだって言われたんですけど。」
「「偉そうだ」って取る人もいるかも知れないけど、偉そぶって言ったかどうかは、自分自身が一番理解しているハズだよ。これからは、そういう自負の念を、他者にも自分自身にも踏みにじらせない。って決める事が大事かな。」
彼女の目に納得や理解の色が見えた。悩んでいた色が澄んでいく。
姿勢を正す彼女は本当に上品だ。
来週、お誕生日を迎える事もあって、不安もあったのかも知れないが、少しは役に立てたみたいだ。
誕生日は星占いで見るところの、自分の生れた日の太陽の位置に、太陽が戻ってくる日。ソーラーリターンとも言う。
誕生日を迎え、新しい自分になる前に、彼女は静かに自分の中で葛藤してるのだ。
「まぁ、取り合えず、初回無料の占いはここまでで良いかな。」
私はコインランドリーの方に向き直り椅子に腰かけた。
「それにしても、大掃除の為に、こんな時間に起きて、コインランドリーに来てる何て凄いよね?」
私は再度同じ事を、言葉と意味合いを変えて褒めてみた。
「いえ、毎月、末にはこの時間に来てるんです。母が喘息持ちで、月一回はこういう分厚い掛け布団も洗濯しないと不安みたいで。」
彼女はこの前のように自分の祖母の付き添いをしているだけでなく、母親の手伝いもしているらしい。
「そういえば、ここの洗剤は自然派の環境に優しいヤツです、って書いてあるよね。」
「ええ、ちょっと神経症も患っていて、そういう事にも結構神経がすり減る見たいで、ここのコインランドリーにはとても助けられています。」
この子、めっちゃええこやん。と、私は何故か関西弁で心の中で呟きながら。そのまま彼女と並び、回るランドリーを眺めていた。
素直な彼女といると、自分の心も洗濯もののように、ジャバジャバと洗われる心地だ。
彼女は祖母の整骨院などの付き添いだけでなく、母の手伝いなどもして、決して偉そぶるところを見せない。
「香苗ちゃんはお母さんが心配だから、学校に行かないで家にいるんじゃない?」
ふ、と思いついた事を口にしてしまった。
しかし、香苗ちゃんが私の方に瞬時に顔を向け、今日私が見た中で一番大きく目を見開いていたので、私の思い付きは、確信に変わってしまう。
彼女は私と目が合うと、さっと顔を伏せた。
俯いた彼女の後頭部を見ながら、やっぱ余計な事言ったかなと、あれこれ悩み手を拱く。
すると、彼女は突然立ち上がり、何も言わずコインランドリーの外へ駆けだした。
唖然、とする私。
つい、立ち入り過ぎてしまった。
ついで、思春期の女子高生に私は何たる仕打ちをしたのか、親切の押し売り程、自分勝手なモノは無い。
私は力なく、独り回るコインランドリーの前で、肩を落とした。
「あ、あの。」
お店の自動ドアが開くと同時に、凛とした声が耳に届いた。
「これ、良かったら、どうぞ。」
香苗ちゃんは、私の目先にそっと手の中のんモノを差し出した。
どうやらかなちゃんは、私の為に、自販機まで走って行って、缶コーヒーを買ってきてくれたらしい。
手元にひょっこりやって来た、缶コーヒーの熱さに、眼球が熱くなった。
「今日、コンタクト乾くんだよね。」
私はそう言って、瞼を指先でいじった。
「あと、十分ちょっとですね。」
「そうだね。」
私達はまた、赤いランドリーの前に座り直した。
コインランドリー待ち時間の表示が5分になった時、私は少し冷めてきた缶コーヒーの栓を開けた。
「苦い!」
「え?ごめんなさい…。違うの買ってきます?」
「いや、違うの!苦いの!苦いの!」
「えええ!?」
突然私に味覚が戻って来た。
次の日元旦。私は朝のモーニングセット目当てで、朝6時半に個人経営のカフェを訪れた。
普段はたかが、コーヒー一杯の為に3百円も出さないのだが、始めてこのカフェを見つけた日、窓を通して見えた、青を基調とする店内の絵画に、つい引き込まれてしまったのを覚えていたからだ。
周りは、元旦帰りの家族やカップルだらけで、大いに賑わっている。
「苦くて美味しい。」
苦い味以外はやっぱりしないけど、ミルクの甘い匂いが、コーヒーの苦みを和らげてくれる。
以前はこういうところに来ると、セットでお得になるからと、単価の高そうな、味の濃いおかずパンを選んでいたけれど、どうせ、苦み以外わからない舌なので、塩ロールパンを選んでみた。
塩とバターの匂いが柔らかく、温かい。
琥珀色の艶々の表面と、中のふわふわの触感が口の中で遊んでいる様で楽しい。
何だか、今日になって急に、味覚が無い食事を楽しめている。
まぁ、苦味だけはあるのだけれど。
「明けまして、おめでとう。」
突如、私の平穏を破る者が現れた。
「あれ、何でいるの?」
目の前に現れたのは鶴上だった。
「何でいるのとは、御挨拶だな。」
せっかく良い気分でモーニングを楽しんでいたのに。
「オレ、ここで働いてるんだ。」
「へぇ~~~。」
全く興味が無い。お願いだから、私の貴重な美しい朝食の時間を盗らないでくれ。
「あんなに出来るのに、タダで占っちゃ駄目だよ。」
クリスマスの日の講座の後の、飲み会の事を言ってるのは直ぐわかった。
「断れる空気じゃなかった。」
私は、はっきりした口調で言いのけた。
「はは、確かにね。」
彼は何故か心底嬉しそうに、椅子に凭れ掛った。
「ねぇ?良かったらさ、ここで週何回か占いやらない?」
いきなり現れた鶴上の姿に、半開きだった私の眼は、とびっきり大きく見開き、景色を一秒前より、数ミリ鮮明にさせた。
この前の香苗ちゃんみたいに、また誰かが喜んでくれたら嬉しい。
そう、思ってしまったから。
これまでは私は占いの知識はあるものの、占い師なんてなるもんかと思っていた。
占い師は待機時間が長い上に、いちゃもんも付けられやすい仕事だ。
時間制なのに、こちらが人気商売なのにかこつけ、鑑定後に質問しまくる人、愚痴を言いまくる人の多い事ったらない。
余裕があれば良いが、相手からそう来る場合、感情の当てつけが多い。
それが思いっきり重い話だったりする。
そんな事を何で私が知ってるかと言うと、私自身が昔から続く占い師の家系だからだ。
だから私は小さな頃から見聞きしていた。お金持ちばかり相手に鑑定していた親戚の家が、天罰の様に火事になった事。父が慈善活動で占っていたら、人の良さに付けこまれ、刃傷沙汰に巻き込まれたりした事。
しかし、鶴上に占いをしないかと言われたその時は、そんなこんなが頭からすっぽ抜けていた。
喫茶店の新年の賑やかな空気を吸い込んだせいか、脳内の海馬の記憶情報が新しい何かで染められてしまった。
もしかしたら、損得勘定が強く猜疑心に塗れた私でも、かなちゃんや整骨院の先生のように、自分の力で人様に貢献出来るかも知れない。と、全身で未来を感じとったから。
「まぁ…良いよ。何回かなら」
目を逸らしながら答える私に、鶴上は満足気に両頬に両手を当て微笑んでいた。
「…そんなに見つめられると、食べにくい」
「あっ、ごめん!ごめん!」
と、言いながら姿勢も視線も変えない鶴上。
仕方なく私は俯いて塩パンの残りを口にほうり投げた。
「あ!しょっぱい!」
思わず大きな声が出た。
鶴上が驚いて目を丸くする。
しかし、そんな事を気にしてられない。
私は急いでカップの側面に添えられた砂糖をコーヒーに注ぎ、雑にかき混ぜ口に含んだ。
「あっまーーーい!」
こうして、クリスマスに起こった私の呪いは解けたのだった。