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マヤ・美と愛の星にふりまわされた?

マヤ展に行きました。
 
 どうしても行きたくて、最終日になって急いで朝から行きました。
 
 特に興味を惹かれたのは、マヤの文明が金星を尊んでいたという点です。
 
 最近私はマヤ歴に興味を持っているのですが、その計算されたサイクルに驚くばかりです。
 基本4色と13日ごとのサイクルでめぐるのですが、どうしてその順番なのかという理由がしっかりあり、起承転結と、1から13の思ったことが現実化するまでの過程が分かりやすく解読されています。
 
 
 マヤの信仰で言うと、人間はトウモロコシから出来たことになるので、マヤの全部を推奨することを私はしませんが、合理性と創造性を併せ持った、かなり豊かな文明だったと言えるでしょう。
 
 それが、何故滅んでしまったのでしょうか?
 
 展示では、農耕でなく、戦争による反映を求めたためとありました。
 それは、近隣諸国も嫌気を示すほどだったということです。
 
 陰ながら努力するよりも、他人から奪って力を誇示するほうが、手っ取り早いという、浅はかな考えを、国民を導くべき上層の権力者が持ってしまったのでしょう。
 
 


 上の画像は、交易のため海とマヤの内陸地域を行き来していた商人の死への弔いのために作られた土器です。
 
 内陸では取れない、貝が丸くふちに飾られ、鳥の顔がセサミストリートのキャラクターのように愛嬌があります。
 この商人が亡くなってしまった、憂いや、思い出すときの喜び、作り手の優しさや切なさ、これが紀元前からあり、今も現存しているという驚きで、私は見ていてとても幸せな気持ちになりました。
 紀元前の他国の人も、同じ人間だったんだと感じます。
 
 戦争ばかりして、他人から奪っていた民族とはとても思いません。
 最初から戦争ばかりしていたわけではないのが伝わってきます。
 もしかしたら、作ったのはマヤではなく、外の人間の贈り物かも知れませんが、これを何世紀も残すだけの気概があったのだから、情感というものが存在したハズ。
 
 そもそも、暦は農耕のために作られたものです。
 どの星がどの位置に来た時、雨が来やすいとか、そろそろ乾いた風がくるとか。
 その季節や時期の性質が、その時生まれた人間の性質になる。
 それが占いです。これは東西どの占いも同じはずです。
 
 マヤは金星の移動で、いつ敵に攻め入るかを決めていたそうです。
 たぐいまれな創造性があったのに、悲しいことですね。
 
 結局のところ、そういった天文学や占いに富んだ権力者が、それがどうしてそうなのか理解出来ない下々の心を、占いを用いて洗脳したんじゃないかと、私は感じます。
 そして、伝統に乗っ取って動くだけで、どうしてそうなのか?
 自ら根拠を学ぶことをしなかったのではないでしょうか?
 
 それは、どうして言われた説教が正しいのかも分からないのに、それに他者をコントロールする力があるから正しさを訴えるような、そんないやらしさを私は感じてしまいます。
 
 違和感があったとして、家族のため、国のためと言われれば、言うことを聞いてしまうのが、社会的動物である人間の悲しいところです。
 
 人間は考える。それがいつも逆に騙される要因を作る。
 でも人間を騙せるのは人間だけ。
 
 自然は嘘を付かないのだから、もっと農耕に接してれば違ったのかも知れません。
 
 余りに熱い地域なので、農耕を諦めたのでしょうか?
 
 それは定かではありませんが、それが嫌なら、もっと住みやすい地域に移動しても良かったはずです。
 どうしてそれをしなかったんでしょう。
 もしかしたら、戦争は出来ても、へりくだって仲良くしようと他国に頼むのは、恐かったのかも知れませんね。
 親世代の文化の中で生きようとした結果、それ以上の反映が見込めなかったのかも知れません。
 
 正直今の日本も、滅びたマヤと似ているところがあると思います。
 
 現代あらゆる情報がネットで共有でき、交通設備も整っている。
 なのに、貧困の格差が広がっている。
 世の中は物で溢れているのに、それを買えずにお金を盗む人がいる。
 
四季に恵まれた、黄砂も少ない、肥沃な大地のハズの日本が、自足自給率が低いことを考えると、情報社会によって風化していく未来も、あり得るのだと思います。
 
 
 だからと言って、私自身が農業に行き成り入るということは、まったくではないけれど難しいと思います。
 
 逆に迷惑をかけそうです。
 
 ただでさえ、野菜や牛乳が売れないと、処分しなきゃいけなかったり、その処分にもお金がかかったりするのに。
 
 食べ物がなくて困っている人がいるのに、経済的な理由で飲食物が処分されるなんて不思議なことですね。
 
 餓死した分。労力がなくなって衰退すると思うのですが、違うのでしょうか?
 
  金星が伝えたい本物の美意識はなんだろう?
 数字や権力といった力で、気に入らない相手を打ち負かしても、自分が相手より正しく強く、神聖だと誇ることでしょうか?

 醜いことに慣れて汚れ仕事をしてやってると、自分を自負してるつもりの勘違いはよくありません。それはただのおごりです。
 
 この世でもっとも美しいのは、感謝や謙虚さだと思います。
 それが孤立しない美意識を生み、成長を手助けするからです。

 ちなみに、西洋占星術では天体の意識が育ちやすい時期があります。
 金星の美意識や愛が育ちやすいのは、15歳~25歳です。
 これを金星期と呼びます。
 金星は太陽系の10天体で唯一地球に一番近い大きさをした星で、そのことから『地球の姉妹星』と呼ばれます。
 そのせいか、金星期に聞いた曲を一生聞き続けたり、この時期のファッションを一生続けたりしやすいと言われます。
 金星期身近にあったものが、自分を映し出す『鏡』になるんだと思います。
      金星のマーク♀は銅や鏡を表しますしね。


 最近私は、生贄文化があったとしても、創造的で、神聖だったはずのマヤの崩壊に、今の日本が重なります。
 誰かのために働いて来たハズの労働者が過労死し、それが何年も終わらない日本に、鏡写しの感覚を持っています。

 直観が良い若い子たちは、流行りものに騙されず、すでに農業に就職するなどしていて、すでに古い世代だけが、古い文化に取り残されつつあるのかも知れませんが。どうでしょう。目に見える見込みが私は欲しいです( *´艸`)<欲張りなので

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