意識の差の話
白羽です。最近の話です。
「意識高い系」って言葉、ありますよね。
私は、この言葉は中身が伴ってるか否かに関わらずそういう感じの人のことを指すんだと思ってたんですけど、どうやら違うみたいです。
まぁ「意識が高い」と「意識高い系」の違いが、中身が伴っているかどうかだったとしたら、結構無慈悲じゃないかなと思いはしますがね。
ダニング=クルーガー効果というのもありますし(調べて出てくる画像をみたら多分わかるはず)。
学のない私でも解るくらい極端な「中身が伴ってない方の意識高い系」というのが、この世に正直結構存在します。
更に、そういった人々の多くは、さっき言ったダニング=クルーガー効果でも示されているように、初心者に毛が生えた程度で驕り高ぶっているに過ぎない、というのが事実で、正直人間の性であるから罪を追求することも出来ないんですよね。
例えばプログラミングでいえば、500行とか、その程度のプログラム1個で騒がれると、内心大した量じゃないのにな……なんて思いながら適当に受け答えをせざるを得ないので、結構しんどいです。もちろんそれが20個も40個もあると言われたら、一人で作ったとしたら結構多いと思いますが。
それに、学生の書くコードですから品質は滅茶苦茶です。一行200文字なんてざらにあります。
オライリーのリーダブルコードでも読んだらどうなの?って話ですよね。
私も学生の身ですけどね。
そんな訳で、最近は学校に行くのがとても億劫です。競技プログラミングをさせてください。
……というのはさておき、私は思います。
自分なら寝起きでも書けるようなプログラムを、学校にいる8時間かけて必死そうに書いても終わらせられないような同級生が居ます。
私は、自分の技術レベルが世界全体を見てどの程度の位置にいるのかということに、とても悩まされます。到底分かったものではないので、いつもさもそういうことを考えています。
しかし、他の誰も、そんなことを考えすらしません。県や市の間、友人の間程度の視野しか持っていません。
(AtCoder は全世界のユーザ内での順位が見れるので、もしかしたらそういう指標にはなるかもしれませんが)
ただ、だからといってそんなことをその同級生たちの前で言うのも、少しどころでなく気まずい結果になるだろうなと思うと、どうしてもできません。
そんな配慮なんていざ知らず、彼らは僕に向かってほんの数百行のプログラムをさも大きな成果の様に自慢してくるので、私は疲れてしまいました。
それが、僕が一日に4桁行のプログラムを書いた日にも、重大なバグをいくつも潰した日にも変わらずやってくるので、本当に疲れています。
正直、意識の差とか言うけど、こんなに差が付くなんてありえなくね?
まぁ、初期ステって言われたら、それはそこまでなんですけども。
でも私は、初期ステータスを理由に他人と差がある状態を認めてしまう人間は嫌いです。
初期ステータスを理由にして、自分との実力差を仕方ないことだとか言っておきながら、また別の機会では、そういう実力差のある人間に対して羨むような言葉を発する人間は、厄介で鬱陶しいです。
でも、私が今まで生きてきた世界には、そういう人間ばかりが溢れていました。
日頃から私に、まるで自分は仕事ができますよみたいな発言をし続ける割に、プログラムは一行80文字や120文字までという規約が一般的であることすら知らない。そんな人間をたくさん見て、たくさん振り回されて、たくさん自分の作業をダメにされました。
まぁ、4月から社会人として業務でプログラミングをする人間になるので、こんな滅茶苦茶な人間とは関わらなくて済むようになると思っているのですが。
でも、私は社会に対する不信感を抱いています。
私の同級生もほとんどが私と同時に、専門学校を卒業します。最低最悪なコードを信じられない程の遅さで吐き出し続けるような人間が、野に放たれるとしたら、企業も大して綺麗なプログラムは書いていないのではないかとすら思えてしまいます。
何を以て綺麗となすか、という戦争は、また別の話なのでここではおやめください。
ネット上ではとても有名な企業や、技術レベルの高い企業の社員がQiitaとかに有益な情報を垂れ流し続けているのですが、
これがもし日本における上位ほんの一握り程度の企業でしかみられない光景だとしたら、さっさとこのクソ田舎から抜け出さなくてはなりません。
私は、今の日本全体の技術レベルが大体どんなものなのかも、知ろうにもよくわかりませんでした。学がないのです。
誰か、もう少し早くこの事実に気付かせてくれていたらなぁ……なんて思う時もありますが、他力本願は良くないですね。
こういう状況も、私が競技プログラミングを好む理由の一つです。なぜなら、皆お互いの年齢を気にせず数学とかプログラミングに打ち込み、知識を共有しあっているんです。理想的だと思いませんか?
まぁ、というのはさておき、そんなわけで私は「意識」って言葉自体もちょっと嫌いになってしまいました。何故なら、そういうどうしようもない同級生たちが揃って「意識」って言葉を使ってくるので。
意識という言葉自体が独り歩きを始めて半分ミーム化してしまい、本来の様々な意味をもつ「意識」という言葉が「高低の付いてるよくわからんアレ」の一つだけを指す言葉になりつつある感じがしています。それ自体も正直良くないことだと思います。
そして、それ以上に、その言葉を頻繁に使う人間ほど、致命的なほどに行動が伴っておらず、ただただストレスだけを与えてくるような人間であることが多いです。
もはや、ここで私が言っている「意識」とは、ただのジョークに過ぎないです。その程度の言葉に成り下がってしまっています。
もしかしたら、私がこれを言うよりももっと昔からそうだったかもしれませんが(SNS上で「意識高い系」に(笑)を付けて嘲笑するような文化はだいぶ前からあったみたいですし)。
意識という言葉の使い方を正したいとか、そういうことは私は思っていません。
ただ、何が悪いのか知りたいです。
教育の質が悪い、すなわち、私がこんなクソど田舎に生まれてしまったのが悪いのか。
はたまた、私が何か致命的に間違っているのか。
きっとこれからも、こんなことをずっと考えながら生きていくと思います。
もし社会人になって、この悩みから解放されたら、また違ったことをここに書き殴るかもしれませんが。
そんなわけで、今日はここまでとします。
おやすみなさい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?