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耳鳴りで思い出すもの


わたしが覚えている一番最初の
アパートでの話。


未就学児であったけれど
小児喘息の弟がいたので
1人でお留守番をするということが
時々あった。

わたしが昼寝している間に
母が近所へ買い物に行くということも。


1人で部屋にいると
必ずと言っていいほど
耳鳴りがしていた。


ポーッという聴力検査の時の
信号音に似た音

金属音のような
キーンと頭に響くような
耳障りな音。


どちらも頭の中に響いてきて
「耳鳴り」という言葉を知らないわたしは
母にうまく伝えられず
なんの音もしないわよ、と流されていた。


あるとき昼寝から覚めて
1人でいることに気づき
ひとしきり泣いた後
諦めて寝転がって天井を眺めていると
また耳鳴りがした。


またアレだ…


鳴り出したら自分では
どうすることもできやしない。
静かになるのを待つだけだ。


半ば投げやりな気持ちで
天井を見上げていたが
ふと、天井の一角が妙に気になった。


当時住んでいたアパートは
なぜか黒いもやを纏っているように
わたしには薄暗く見えていた。


外観もエントランスも
エレベーターの中も
アパート全体に
薄暗いもやがいつもあるように
感じていた。


それが赤ちゃんの頃から
日常だったせいか
不気味だとも恐ろしいとも
思ったことはなかった。


アパートの空気自体が
黒いもやのようだったのだが
今、わたしの寝ている部屋の
天井の一角に
黒いもやが集まっていくような気がした。


なんだろうと眺めていると
薄いもやが集まって
渦を巻くようにクルクル回りながら
壁の中に吸い込まれていく…


消えたかのように見えたそれは
ゆっくりと壁の中から姿を現す。


そう、はっきりと形を成していた。


壁の中から出てきたのは
黒いもやでできた
大きな大きな顔だった。


大きな顔が
天井近くの壁から
スライドするように
ゆっくりと現れる…


ひとつ…
ふたつ…
みっつ…


ひとつは般若のような
鬼のような顔

そのほかは人のような顔だが
男性とも女性ともわからない
目鼻口はわかるが
元がどんな顔なのかは
全くわからない。

般若のような鬼のような
異形のそれは一体のようだが


他の元人間だったであろう顔たちは
集合体といった感じがした。
幼いながらもわたしは
ハッキリとそれを感じ取っていた。


黒いもやでできたような
大きな顔たちは
こちらを眺めてニタニタ笑っていた。
何をするでもなく
ただただ笑っているのだ。


わたしは呆然と眺めていた。
怖いとか不快だとかいう感情はなく
空っぽな気持ちで
眺めていた。


しばらくして
大きな顔は全て
元の壁の中に消えていった。


さっきのはなんだったのか…
そっと大きな顔が出ていた天井の下へ行き
壁を見上げる。

いつもと同じ天井と壁だ。
なんの異変もない。


気がつくと耳鳴りも聞こえなくなっていた。


それ以来、わたしは
あの不気味な大きな顔を
見ることはなかった。


あれは一体なんだったのか…


誰にも言えないけれど
確かにこの目で見たのだ。


大きくなって知ったのだが
そのアパートでは
葬儀がとても多かった。


自死だとか…
無理心中だとか…


時々、黒い服を着た人が
俯いて並んでいたのは
そういうことだったのかと
知ったのは大人になってからのことだ。


いろんな良くない感情が
集まってできたのがあの顔たちだったのだろうか…


謎は謎のままである…。


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