自分と向き合う②
自分と向き合うと決めて色々考えてみたものの、結構難しそうだなぁと思う。
やるべき事は私の中では悟りに近い内容だ。
どんな事があっても相手を受け入れ、真意を読み取り、許し&与えることをさも普通だと感じられるようになれるかどうか。
それができてこそ、以前どうやったらできる?と悩んだ本当の笑顔でいつもいられることに多分つながるのだと思う。
私が今やっていることは本心ではなく仮面であり、そこに何かが足りない。
たぶんその何かを見つけて、自分の中に落とし込めたらできるだろうとは思う。
ただその扉を開けられたら、前が見えないくらいものすごい光が輝くイメージが見える。
直観でそう感じたのだから、もし出来たら多分そう言う世界になるよって事なんだろう。
例え今人とは上手く合わせる事が出来ても、奥底はこの器用さと直観と強さのせいで人間不信が勝っている状態で、根本を変えるって凄く難しい。
言い換えれば保護猫が周りはもう攻撃しない温かな環境下で、人に心を開けていくならならまだしも、今と同じ状態でさぁ猫さんよ、頑張って心を開けって言われているのと同じ。
でも猫さんはその環境下で何かを感じたから心を開けるのであって、その何かを自分が感じられたら、環境はまやかしで関係ないのかも知れない。
わかることは自分の根本の何かを変えないと、そう安々と変わらないって事だけど、できる人にはできるわけだし。
少ないと思うけど、そんな人はどこかに居てる。
しかも併せてやるべき介護職は、自分が望んだ訳でも興味があった仕事でもなく、経験も勘もなく精神的なハードルが高い。
でも介護職だからこそ、わかるのではないかとも思っている。
他の仕事じゃダメな気がする。
ただ漠然とわかるのは、この人間不信な方の性格を消すのではなくて、ただ今の立場を逆にして絶妙のバランスにするだけで良いはず。
逆にするとイメージは多分こんな感じに変わると思う。
①今のイメージ:一匹狼 ⇒ 穏やかで話しかけやすい
②今の行動:早い ⇒ 早くても自然
③今の表情:無表情 ⇒ 笑顔
④今の関わり:必要な時しかしないコミュニケーション
⇒その場に応じ意図した的確なコミュニケーション
救いなのは変えるべき性格の軸の破片を一応持っていて、あとは逆にできればいいだけのこと。
第一歩を身構えから受け入れの思考に変えるだけ。
そして信じること、自分を?それとも相手を?いや両方か。
多分難しいと感じているのは、信じて受け入れました、結果裏切られました。
その時自分の気持ちをどう処理していいのか、わからないからだろう。
いや、こんなもんだろ、人って裏切るもんだろって開き直り、ハイ次!ってできるかな…
そこをどう考えるかの答えが、なんとなく鍵になるような気がする。
優しくて穏やか、良い人はたくさんいるけど、多分そういうのだけじゃダメなんだろう。
言いたくない事でも言い方を考えてきちんと言える強い気持ちがないと意味がないし、精神が病んだら元も子もない。
周り全てが見えないとダメ、真意もわからないとダメ、更に一番いい方法で解決(循環)できる方法に気づかないとダメ。
自分が飲み込まれず、しっかり軸を持って良い循環に変えることができる。
多分大きく強い根があって、そこに大きな器ができて初めてできることなんだろう。
私はまだまだ器が小さいってことだ。
「裏切られました、あっそう じゃあ 今日も肩凝ったわ寝よ」ってくらいに思えないと。
すぐにできるとは思っていないけれど、一歩ずつ扉を開けられるように歩いて行こうと思う。
そしてカタカムナに出逢い、1番初めに何故か気になった30句とこの事は関係している気がする。
まず取り敢えず身近な所で、心にわだかまりがある母との関係とで、自分の思考が変えられるのかを実験してみよう。
私の心に大きな大きな壁がある母だ。
私は受け入れられるだろうか…
③に続く