自分と向き合う旅③

私は今、自分が持っている閉鎖的な性格と調和的な性格を入れ替える方法を模索している。(割合的には7:3)

理由は天命を知った後、逆にした方がいいと言われている気がしたから。

今でも表向きはできているけど、仕事やモラルだからであって本心からやっているわけではない。
それを自然にせよ、ということだろう…

私が閉鎖的になった理由は、器用で直感が鋭いことが原因で起こる人の負の感情に巻き込まれ、それに関わるのが面倒になり結果その場から去る。
しかし、また新しい所でも同じことが起こる。

ずっとその繰り返しでスキルだけ増え根性も強くなったけど、人を信じる気持ちや感情が失せてしまった。


人の負の感情は妬みと焦り、自分を護り正当化のために起こるものが多く、当たり前、依存、不安などが追加され攻撃される事が多い。

攻撃の詳しい内容は書かないけれど、自分を守るために人の本能が起こす感情はすごくこわい。

ただ感情をぶつけ攻撃してきても、今まで誰一人としてその現状を逆にどうにかしようと努力した人はいなかった。

感情をぶつけ周りとグルになり攻撃力を強めはするものの、自分のスキルを上げようとか、考え方を変えようという人はいなかったなと思う。

各々の心は良くても、人は何か困った事に直面したとき根が弱いと自分の負の感情に負けてしまうのかもしれない。

でも小さい時から心温かい人と関わることが少なく、私の周りにそんな人が多かっただけで、実際良い人はたくさんいると思う。

ただ個々は良い人が多いと仮定して全体を眺めたとき、もうちょっと気づけばもっと良い循環をするのになと思うことは多い。

今はほとんどの人が自分のことやスマホに必死で、周りを見れる人が少なくなったなと思う。

個々がお互いに少しでも思いやりや当たり前じゃない意識を持つことで、きっと人の気持ちも流れもスムーズになる。
でもこれはたまたま気づくのではなくて、意識することが大切。

ちゃんと意識することで、今まで見えなかったものが見える。

本当はこういう世界がもっと広がり、心温かな循環が増えればいい。
人のほんの些細で小さな思いやりが、結果として大きな流れになるわけだから。

そして気づいた人が思いやりを持って何かをしてあげた時、してもらった人はそれに気づいても気づかなくても、当たり前だと思わないで欲しい。

多分、多くの人が見えない思いやりで何かをしている事は多い。
例えばすれ違う人がスマホを見ていたので、よけたとか。

でもよけてもらった人は、自分がぶつからずに歩けているのは相手がよけてくれたからとは気づかない。(気づいている人もいるけど)
それを当たり前に歩けていると思わず、色んな人の見えない思いやりがあるからこそ、無事に過ごせていることを心の何処かで忘れないで欲しいなと思う。

ただ気づかず見えていないだけで、人は1日が終わるまでに誰かの思いやりや恩恵を沢山受けて生活している。
(逆に不親切や無情、負の感情も受けているが…)

そういう事を常に感じられると、本当の感謝が理解できるのかも知れない。

この世には当たり前なことなんて、きっと何一つない。

自分の知らない所で色んな人の思いやりがあり、無事に過ごせていること。
それは今だけでなく、ずっとずっと前の時代から続き今を作っている。

自分が存在するのは自分のご先祖様だけではなく、関わりがなくても見えない人の多くの助けがあったからこそ、長い道を経て今があると思う。

自分だけで生きているようで、実は見えない多くのものや人に支えられて生きているはずなんだから。


多分それは単に良い人からだけ受けるものではなく、そうでない人からも受ける事でも意味がある。

感謝や人の本心を踏まえて、人と関わることを実践すると色んな事が活きてくる気がする。


では私は何をしていくべきなのか。
人に心を開くには、まずその人の事を思って受け入れる。

私には常に相手との間に壁があるのでまずそれを取っ払う。

自分が心のどこかで苦手だとか負の感情を持っていると、きっとどこかで相手に伝わるから、誰にでもまずプラスの気持ちを忘れない。

そしてその気持ちのまま言葉を出す。
これが思った以上に表情だったり、声のトーンだったり非言語が変わる。

本当に困った時に発する”ありがとう”と、適当に”ありがとう”と言った時、言う側は気づかないかも知れないが、受け取り側は絶対に違いを感じる。
これは言葉ではなく非言語の力だと思う。

多分これは多くの人が感じた経験があると思うけれど、実際これを意識して言葉を発している人はどのくらいいるだろう。

人は言葉で理解しているようで、非言語との割合は、言語が7%、非言語が93%と言葉より実は色んな感覚で多くのことを察知している。

そして言葉が話せるから何でも話せはできるけれど、どんな立場でどの感情を持って何を話すかを意識して話している人は少ないと思う。

それを考え伝えることで、相手の捉え方は大きく変わる。
結構人は感情の赴くまま言葉を出してしまっている。
それが相手に伝わっている。

感情をぶつけたくなるが、そのままぶつけるのではなく、その感情を起こした本心がきっとあるハズ。
また相手にも本心があるハズ。

相手やものの本質を見極めるのと同じく、気持ちにも本心がある。
それを意識し、しっかり考えることはとても大切。

また言葉を選ぶ時は、これ以外にも相手の背景も考えるといい。
それには観察と気づきが必要。

案外人は相手の気持ちがわかっているようで分かっていない事が多いし、その人自身や背景をしっかり見てわかっていない。

そうやって色々考え気持ちが入った言葉を発し相手に伝わるから、言霊ってものが存在するのでは無いかと思う。


もちろん、どんなに考えても良い状態で話が終わらない時も多々ある。
気の合わない人、聞く耳持たない人もいる。
相手を理解できない時もある。

それでもみんな同じように接する。
やるべきはただそれの繰り返しだけかも知れない。

自分がどんな人にもちゃんと接していれば、いつか何かが変わる気がする。
いつの日かそこに小さな循環の渦が生まれるハズ。
自分から先に発することで。

自分が変わらなければ人の態度も心も変わらない。
変えたいと思うなら、やはり動くのは自分だ。

簡単ではないし努力は必要だけど、人は意識して続ける限りいつの日かそれが無意識にできるようになる。

そうなった時、きっと私の閉鎖的と調和的は入れ替わり、八百屋のオヤジのように無意識に笑顔で誰にでも接することができているのではないだろうか。

そこをゴールにして1歩ずつ歩いていきたい。


私がこれを書いたのは、HIRONOMICHIさんのこの投稿を読んだときに、ある言葉がふと降りてきたからだった。

電車の中で読み終え降りようとしたとき、
人と同じ位置に居てはいけない。常に1番後ろや上から全体を観察し色んなことに気づく。

意図して人に全てを譲っている内に何かが変わってくる。
その力は違う方向に活かすものだと。

無駄な器用さや直感は自分を苦しめる足かせなのかと、ずっと思っていたけれど、少し救われた気がした。

今回は長くなったので次回で母や家族についての関連を書きます。
家族は他人と違い、とても厄介だと思う。


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