【プル・ザ・シェイズ・ワン・ナイト】

◇R-18作品◇
本作にはインモラルな表現や性的描写が含まれています。
◇猥褻がある◇


 POW POW POW……遠く響く剣呑なサイレン音。宵闇をより暗澹たらしめる、重金属の雨。『ヤスーイ、スゴーイ』『エレメンタルな』『ヤチマエバ』の文字を踊らす電子看板の光が行燈めいて夜に霞む。蒙昧の群衆を貪る、貪欲の電脳都市。眠らぬ喧騒の夜景。

 ……ネオサイタマ某所にて。

 耐重金属酸性雨パーカーのフードを目深に被り、フラフラとした足取りで夜を歩く若い女が一人。微かにのぞく顔立ちは、まだあどけなさを残している。彼女の啜り泣く声は、降り頻る雨の音と、空から降りてくる電子オイラン音声の宣伝文句に掻き消されて、彼女自身にも聴こえやしない。

 バチバチと明滅する街灯から逃げるように、闇へ、闇へ、より暗い闇の方へと落ち延びていく。そうして、人気の無い路地裏へ。錆びて赤茶色に剥げたトラッシュボックスの側に潜り込むように蹲り、レザーの鞄から小さな瓶を手にして、中からカートゥーンキャラクターを模したカラフルなラムネを取り出す。

 ラムネ……否、それは違法薬物の錠剤だ。安価でカジュアル、実際そこいらの『薬局』で簡単に手に入るシロモノを口に放り込み、舌の上で転がし溶かし……溶け切る前にまた新しく口に入れ、噛み砕き。それから、パーカーのポケットのファスナーを開け、IRC端末を物憂げに取り出した。

 蜘蛛の巣じみてヒビ割れた液晶を忙しなくタップし、無意味にログを読み漁り、既知の連絡先を衝動的に消していく。IRC-SNSのアカウントのアイコンを黒一色に染めていくつか言葉を電脳空間に放り投げた後、少し考え込んでから、発した言葉を全削除した。ヤバレカバレめいて、流れで自身のアカウントも抹消した。

 そうして、彼女は独りになった。……もう何度目かわからない、独り。そう昔でもない筈の学生時代が妙に懐かしく思える。クラスメイトも教師も、その顔と名前は朧気だ。何をして生きていきたいのかわからないまま、無益な時間だけを過ごして、何となく社会に出た。後は無軌道に、その日暮しに、ただ息を吸って吐くだけ。

 そういう人生の中で、彼女はいつも孤独だった。その孤独を、寂しさを埋めるためにIRC空間にダイヴし、繋がりを求め、強く求め、離れたくなくて、縛りつけて……そして、逃げられていく。チャメシ・インシデントであるが、別れは何度訪れても悲しいモノだ。そんな感傷を嘲笑うために、冷笑するために、錠剤を服用して自分に酔う。

 遥かに良い。……嘘だ。あんまり、良くはない。気持ち悪い。吐き気がするし、目眩もする。頭なんて、カチ割られたんじゃないかと錯覚するぐらい痛い。安価なラムネ・ドラッグを口に放り、舌の上で転がす。今度はなんとなく、しっかりと溶かしきってみる。少しだけ不快さが和らぐ。意識が朦朧としてくる。少し、良い。

 三角座りになって、両膝の間に顔を埋める。冷たい。『ヘルシーで美味しい、アッお得!スコーヤ・コーポ、強く推薦ドスエ』『安い、安い、実際安い』……遥か上空でサーチライトを振り翳しながら浮遊するマグロ・ツェッペリンが、電子オイラン音声の宣伝文句を、雨音を裂きながら垂れ流している。

 それすら、彼女にとっては曖昧で、虚ろだった。『……労りの……』『清く……社会的貢献……』『これでもっとバリキ……』音、音、音。「ドーモ」音……音?違う、声。男の声。生身の声だ。女は顔を上げた。いつの間にか、彼女の眼前には、長身痩躯の男が立っていた。

 ワンレングスの、艶やかな長い黒髪。四角いサングラス、インディアンめいた首飾り。男は背を曲げて、手に持つ透明PVC傘を女の頭上に差し出し、彼女の顔を覗き込むように見た。彼女も彼の顔を見つめた。端正な顔立ちをした男だった。

「君、一人?ヒヒッ……俺も一緒」

「え……うん……そう、ね……」

 答えながら、彼女はボンヤリとした思考の海を彷徨う。何か、アブナイの予感がする。雨の匂いの中に、仄かに煙たい香りが漂ってきた。……ハッパ?彼は……ヤクの売人の類だろうか。カタギではなさそうだ。サングラス越しの瞳を見つめる。いや、見つめられる。吸い込まれそうだった。

「随分、シケた顔してるね……飼い犬にでも逃げられたかい……」「飼い犬」心象に溶け込んでくるような声に、彼女は危険な心地よさを感じながら短く返す。「……そんなとこ」何となく、目を逸らそうと思ったが、出来なかった。

「そりゃあ、災難だったね」

 男はケタケタと笑って屈み込み、彼女の手元に傘をやる。

「これ、あげるよ。そんなパーカーだけじゃ、風邪引くぜ……夜遅いしさ。早く帰ンなよ。それに、こんなとこにずっと居たら、コワイ輩に取って食われちまう……」

「コワイ輩?お兄さんみたいな?」

 男は肩をすくめ、彼女の手に傘を握らせて立ち上がった。雨粒が彼の肌を濡らす。

「冷たッ……くないなァ。生ヌルいや……」

 わざとらしく手をヒラヒラと振って、「じゃあね」と穏やかな声音で一言残し、重金属酸性雨のなかを平然と歩いて立ち去って行こうとする男の背を、若い女は呆然と見つめた。それから彼女も立ち上がって彼を呼び留めた。

「ま、待って」

「ン……どしたの?」

 男は首を巡らせ、蠱惑的な微笑みをたたえた秀麗な顔を彼女に向けた。女は息を詰まらせながら口を開く。

「ね、お兄さん。時間……ある?」

 破滅的な予感を確かに感じながら、それでも彼女は心を躍らせた。ささやかで小さな幸せを願ったところでこの街は見向きもしやないが、破滅願望にだけは涎を垂らしてすぐさま駆け寄ってきてくれる。彼女の危うい期待に満ちた眼を見やり、男は薄ら笑いに眼を細めて言葉を紡いだ。

「時間?時間ならあるよ、ずっとね……俺、呪われてるからさ、実際……ヒヒヒ……」どこか超然とした、不思議な物言いだった。

 彼の発したその言葉の意味は、彼女にはよくわからなかったが、その奇妙なアトモスフィアだけはやんわりと伝わってきた。浮かび上がってきた様々な疑問をニューロンの端に追いやって、彼女は背を伸ばして爪先立ちになって痩せた男と傘を共有しようとした。

 彼はその手の傘を悪戯っぽく取り上げ、同じ傘の下を彼女と二人、並び立って歩き出した。他愛の無い会話を交わしたり、互いに無言になったりしながら、うらぶれたサルーンに入る。男は小慣れた様子でドリンクオーダーを通す。彼女は、彼と同じものを頼んでみた。そうして、知らない味や香りをしたサケを呷ってみたり、スシーシャを吸引して退廃的娯楽に酔いしれたりして、時を過ごした。

 ……店を出て暫く。人気も疎な、ネオサイタマの寂寥を二人は歩く。段々と、雨足が弱まってきた。濡れたアスファルトの水滴を革靴に跳ねさせながら、彼らは憩いの宿の前で足を止める。「ね、ね。お兄さん……」女が子供じみて男のシャツの裾を掴み、上目遣いに彼を見やった。

 男は微笑み、透明PVC傘を閉じた。彼女の眼を見据えながら彼は言う。「どうしたの?……どうしたい?君は、俺に、何を求めてる……」謎めいたアトモスフィアを帯びた言葉に、女は返答に窮した。程なくして、辿々しく言の葉を空気に乗せ始めた。

「わ……私、一人は嫌だから。寂しいもの……だから、ね?ね、ね……二人で、いよう?」

 そうせがむ若い女の肩へ男が細い腕を回した。「いいよ」、と一言、静かに呟いて。彼女は彼に寄りかかって、快楽の耽溺に胸を馳せ、安堵の吐息を漏らした。そうして二人は、しじまに包まれた宿の方へと連れ立って、歩みを進めた。

◆◆◆

 ネオサイタマの場末、ドクロめいた月が見下ろす夜のしじまに眠る宿。ハッパの燻る香りに満ちたその一室に、二人分の交わり重なる影。片方は、まだあどけなさの残る顔立ちをした、若い女。色白の肌を紅に染め、髪を乱して切なく声を上擦らせ、行為を享受している。

 もう片方は、シャツをはだけた……若い……若い、痩せた男。滑らかな長い黒髪をもった、容姿端麗な男だ。端正なその顔に微笑みをたたえ、優しく諭すような声音で女に語りかけ、時に揶揄い、共犯じみた悦楽へと彼女を誘う……。

◆◆◆

 ……「ね。もっと、しようよ」同じベッドに二人。若い女は男の薄い胸板にしなだれかかり、彼の首から下げられたインディアンめいた首飾りを弄びながらねだる。「ね、寂しいよ……」男はそんな彼女の頭を撫でて、言葉を紡いだ。

「ワカル、ワカル……寂しいのは嫌だよなァ。俺も、ずっと独りだったからさ……実際ワカルよ」

「独り?アナタが?……ホントに?」

「ヒヒ……ホントさ、ホント。俺が嘘吐くようなヤツに見える?」薄ら笑いを浮かべる彼の顔を、サングラス越しの瞳を見つめ、女は溜息混じりに口を開く。「私はなんて返したらいい?どう答えたら、アナタは喜んでくれる?」男は目を細めた。

「さぁね。君の言葉だろ、君が考えなよ……だいたい、俺、何言われたって喜ぶよ。君の言葉ならなんでも……」二人は顔を見合わせた。一瞬だけの静寂。

「いや、今のはクサイな……無いかな」「無いね」「無いなァ」言い終えて、互いに小さく笑いあった。それから一呼吸置いて、女が彼の身体を少し離れてベッドの側に手を伸ばした。瓶詰めのカラフルな錠剤を適当に手の上に開け、無邪気に笑いながらそれらを噛み砕いて飲み込む。

「よしなッて……まだ若いんだからさ……」

「若いからできるの。これしかできないから、若いの」

「オーバードーズってさ、楽じゃないぜ……頭が割れそうになるし、吐き散らかして胃も喉も血だらけさ……コワイ、コワイ」

「知ってる。別に、楽になりたいわけじゃないもん」

 女は男を見つめながら物思いに耽る。彼は時折、謎めいたアトモスフィアを漂わせる。見た目こそ若いが、その言葉の幾つかは、何処か神秘さを帯びて、超然としていた。それが危険な魅力を醸し出していて……彼女はそれに惹かれ、虜にされていた。何度目かわからぬ破局に打ちひしがれて、路地裏で泣いていたところに声を掛けられ……それからまだ、数時間しか経っていないというのに。

「ねぇ、アナタ、何者なの?」

 彼女は自身のニューロンがヒリつくのを感じながら、率直な疑問を投げかけた。獣の本能めいた危機感に心が騒つく。それでも、彼女は問いかけた。男がわざとらしく小首を傾げる。

「何者?何者って、何だい。変なこと訊くね……まぁイイよ、答えてあげる」飄々とした声音で彼は嘯く。「じゃあ、こんなのはどう?俺はしがないバンドマンのプロデューサーで……夢やぶれて落ちぶれたロクデナシ。で、今は同じ様なロクデナシと連んで、孤独を紛らわせてる……どうかな?」

「へぇ……他には?」

「他?ンー、そうだなァ。俺は平安貴族の末裔で、甲斐性無しの放蕩息子……それで、事故で恋人と妹を喪って傷心中。それか……学校の教師でもいいよ。訳あって教壇を降りた知己に代わって教鞭を振るう、臨時教師……正義感に燃えて学園の闇に首突っ込んで、敢えなく解雇さ……ヒヒヒッ」

 彼はそこで一度言葉を終え、再び口を開いた。

「どれがいい?君から俺は、どう見えてる?」

 彼女には、彼の話す言葉の全てが真実のように思えたし、全てが嘘のようにも聴こえた。しかし、真贋を確かめる術は無く……確かめたいとも思わない。そんなことはどうでもよかった。

「どれでもいいよ。私、アナタともっとしたいだけ……でも、まぁ……教師は無いかな」

「ハハッ、ヒドいなァ、君から話振っといてさ……結構、考えて捻り出したンだぜ……俺、正直者だからさ……」

 その言葉を聴き終える前に、女は高まる鼓動に身を任せ、上体を起こした男の身体に覆い被さった。肌と肌が重なりあい、リズム違いの互いの心音を感じ取る。女は彼の懐に手を入れて弄り、取り出した違法ドラッグを口に咥え、彼と唇を重ねてそれを分け与える。眼を閉じて舌を絡め合い……糸を引かせて、離れあう。女は肩で息をしながら眼を開く。その瞳を淫らに蕩けさせながら。遥かに良い。

「実際、疲れてンじゃない、君……休んだほうがいいぜ」男は宥める様に、言い聞かせるように声をかけたが、女は首を横に振った。

「嫌。だってアナタ、明日の朝にはもう、居なくなってるんでしょう。ワカルよ、私」紡いだ言の葉に、はぐらかす様な相槌が返される。「ワカルよ……」彼女は締め付けられるような胸の疼きを自覚しながら、言葉を続ける。

「ねぇ、全部、全部……全部、夢ってことにしてあげるから。忘れてあげるから。……忘れたいから。オネガイ。今だけ、一緒にいて……」

 そう言ってしなだれかかる彼女を見つめ、男は……彼女の背後に手をやって、その白い背中を指でなぞった。ゾクゾクとした悦びに震える女が、微笑む彼の顔を愛おしく見やり、その目元を指差す。

「それ、取ってよ。私、アナタの眼が見たい……」

「いいよ」

 男はあっけらかんと答え、外したサングラスをテーブルへ放った。テーブルを滑っていったそれは、開けさしのコロナビールの瓶に当たって小気味の良い音を鳴らして止まった。

「これでいい?」「……うん……」

 薄赤紫の隈取に染まる目の淵。全てを見透かしたかのような、吸い込まれる様な、ヒトならざる者のような瞳に、彼女は見惚れ……宇宙に投げ出されたかのような、現実感の無い浮遊感を味わった。そしてすぐに現実に引き戻された。彼の腕に手繰り寄せられ、華奢な腰を抱えられて。耳元で妖しい声が囁く。

「それじゃあ、君の気が済むまで。寂しくなくなるまで、一緒に居てあげる」

 男は腕を回して彼女を抱き締め、細く白い首を啄んだ。彼女もまた、彼に抱きつき、そして、深く繋がりあった。ベッドが軋む。乱れる吐息。互いの体温を感じ取り、交わり、女は喉を鳴らして泣き喘ぐ。悦楽に震え、踊り、貪り、甘美な夢に浸り、溺れていく……。

◆◆◆

 ……朝。開け放たれた窓がキィキィと侘しく鳴きながら、冷ややかな風を部屋に誘う。女はひとり、ベッドから身を起こして、潤い霞む視界で室内を見渡す。

 小綺麗に片付けられたテーブルの上に残された幾許かのクレジット素子と、それから、外気と混じってなお残り香となって鼻腔をつく燻った匂い。彼女は己の肩を力無く抱いて、嗚咽混じりに呟いた。

「……忘れさせてよ」

 その声に答える者は、もういない。



プル・ザ・シェイズ・ワン・ナイト
【終】

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