【タイム・ウェン・ザ・シグナルファイア・ライゼス】 ②
『刻む音楽』『固さ!』『ネコネコカワイイも』。CDショップ〈極地の音〉の軒先でバチバチと明滅する電子看板の光は然程強く感じられない。不似合いな太陽の光によって。珍しく今日の空は晴れ上がっている。数時間もすれば工業地帯から噴き上がる排煙によって再び空は薄汚れてしまうことだろう。
この束の間の晴れ空の下、一人の女が〈極地の音〉へ足を運んでいた。ユーリ・マキシモだ。彼女がつけているヘッドホンからは重々しく歪んだベース音が激しく音漏れしているが、彼女は何ら省みることなく口笛を吹く。通り過ぎていく通行人達も誰一人気にすることはない。誰もが己の世界に没頭し、他人への関心や興味を持たぬ。
〈極地の音〉の入り口、所々が割れたガラス戸を足で開け、ユーリは中へと入っていく。少しばかりキョロキョロと店内を見渡したのち、吸い寄せられるようにしてロック・ミュージックのコーナーへと赴いた。適当にアルバムを手に取っては棚に戻し、手に取っては棚に戻しを繰り返し……やがて彼女はピタリと動きを止めた。『野晒し』の最新作の前で。それを手に取り、暫しジャケットを見つめた後、ユーリはレジへと向かった。マニュアル通りの言葉を一言一句間違えることなく放つジョルリめいた店員に対し、一言も言葉を発することなく会計を済ませ、外へ出る。
既に空は若干暗みがかっていた。
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徐々に徐々に黒ずんでいく空の下をユーリは歩く。通りに面したショーウィンドウの中で大小様々なテレビがニュース番組の映像と音声を届ける。
……『ナカダミ・ストリートの連続殺人事件!実際すでに6人もの犠牲が出ており大変アブナイ!マッポは無能。そして政府の怠慢な!速やかな政権交代を』『今年もタマ・リバーに現れたラッコ!カワイイー!』『怪奇を追え!ネオサイタマの地下、下水道にひそむ触手UMAの実態を』……。
ショーウィンドウの前を横切る人々はやはり無関心。『大きなサイズ!』『画質が綺麗です』などの謳い文句が書かれたノボリは無情に翻る。ユーリ・マキシモもまた、他の多くの人と同様にその場を素通りし、交差点へと向かう。次はどこへ向かおうかと考えながら……。
「ユーリ=サン?」
そんな彼女に呼びかける女の声。音漏れの激しい爆音のヘッドホン越しに、ユーリの聴力はその声を聞き取った。声の方を見やる。ショートカットの黒髪の女。ユーリはヘッドホンを外し、彼女の姿を不思議そうに見つめる。
「エーット……リンセ=サン?」
「やっぱり!ユーリ=サン!」
交差点へ差しかかろうとする場でリンセ・イノハラは通行人を掻き分けユーリの元へ向かっていく。呆けたような顔でユーリはリンセを迎え待つ。ほどなくしてふたりは顔を合わせた。そして並び歩きながらたわいのない会話を数分ほど交わしたのち、どちらが言うでもなく、駅前の喫茶店へ向かい出すのだった。
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喫茶店『大窯』にて。
「アタシ、コーヒーで」
「私、アイス・マッチャ」
手短にオーダーを終え、窓際の席でふたりは向かい合う。どちらも手に持ったIRC携帯端末に目を落としながら。
「……」
「……」
時折目を合わせはするが会話は無い。そのような状態が数分続く。やがてウェイターにやってコーヒーとマッチャが運ばれてきた。
「ドーゾ」
「「ドーモ」」
ユーリはコーヒーを、リンセはアイス・マッチャを手に取る。ウェイターは軽くオジギをし、奥へとひっこんでいった。暫しの沈黙。
「……あのさ、ユーリ=サン」
静寂を破ったのはリンセだった。彼女はIRC携帯端末を机におき、アイス・マッチャをストローで啜りながらユーリを見つめる。
「ンー?」
ユーリは顔を僅かに上げ、返事を返す。リンセは口籠もりながらも次の言葉を紡ぐ。
「エーット……色々、あったじゃん?」
「ンー、あったねぇ」
「その、もうダイジョブ、なの?」
「ンー……?ンー、たぶん」
コーヒーを飲みながら中身のない生返事を繰り返すユーリ。リンセは言葉を続ける。
「……あの件で謝りたいことがあってさ、ユーリ=サンに」
「ンー?」
「結局、一回も面会に行けなくて……その、両親が煩くてさ。受験もあったし……えっと、だから」
しどろもどろになりながらも彼女は言い、そして頭を下げた。
「ゴメンナサイ」
その様を見るユーリは数秒間、呆然とした顔をしていたが……。
「フッ、アッハハ!」
直ぐに笑い出した。リンセは怪訝そうに彼女の顔を見る。
「ゴメンゴメン。いつになくマジメな感じだったから何かなーと思ってさー、そしたらそんなこと!実際気にしてないよ!」
ケタケタと無邪気に笑うユーリ・マキシモの姿に、リンセの心中を靄が覆い始める。「そんなこと」という言葉で自身の謝罪が済まされた事実が飲み込めずに引っかかり続けていた。
「いやー、そういえばそうか。リンセ=サン、来てなかったかー。言われてみれば確かに」
あっけらかんとした彼女の態度がリンセの心の靄を濃くする。悪いことをしたのは自分なのだから、ユーリに苛立ちを覚えることは愚かだと、自らを戒める。それでも靄は晴れる気配が無い。
「……あの」
「そういやリンセ=サン、バンドはまだやってんの?」
何かを言おうとしたリンセの小さな声は気づかれることなく。ユーリの問いに遮られる。心に抱えてきた罪悪感と、その告白を何ら気にかけることなく流されてしまった……リンセは益々黒く染まる心中の靄を悟られぬよう、努めて明るい顔を作った。
「……冗談!誰も真剣にやってなかったでしょ。誰も練習来ないし、自然と解散って感じ」
「アー、まぁそんなもんか」
「で、そう言うユーリ=サンは何かやってる感じ?パンクス?」
ユーリの服装を指差しながらリンセは問う。ユーリはまたケタケタと笑った。
「アッハハ!何もやってないよー、『野晒し』は聴いてるけど。ってか今更だけどさー、よくアタシのことわかったね?」
灰色の切り揃えられた前髪をわざとらしく弄り、ユーリが小首を傾げた。リンセは顎に手をやりながら答える。
「うーん……アトモスフィア……佇まい?」
「アッハハ、何それ!」
そのままふたりは楽しげに会話を弾ませた。靄を抱えながらもリンセは、結局のところ……ユーリとのコミュニケーションが他の何よりも嬉しいことだと改めて実感したのだった。
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薄暗い部屋。光はテレビの液晶が発する僅かなもののみ。
『ナカダミ・ストリートの連続殺人事件!実際すでに6人もの犠牲が出ており大変アブナイ!マッポは無能。そして政府の怠慢な!速やかな政権交代を求む!』
ニュース音声が部屋を満たす。テレビ前のソファーに座る男はジッとその画面を見つめている。
『凶器は不明な。近隣の野生化したバイオ動物による殺傷可能性』
「……なあー、コンノ=サン」
テレビ画面を睥睨しながら男が不意に口を開いた、足元へ向けて。足元?そう、足元である。血みどろで蹲る痩せた男へ向けて。
「アイエエエエ……」
コンノと呼ばれた男は枯れた声を漏らすのみだ。テレビ前の男は舌打ちをした。そして左腕を威圧的に振り上げた。
「コンノ=サンよぉーっ、聞こえてねぇのかあー?」
「アイエエエエ!」
「俺はお前に話しかけたんだけどよぉーっ、無視するのか?アァ?」
「スミ、スミマセン……!」
ガクガクと恐怖で震えながら芋虫めいてフローリングの上をもがくコンノ。液晶テレビの光が、コンノを脅す男の顔をボンヤリと照らす。メンポをつけた鋭い目つきの男……メンポ?然り、メンポだ。即ち……ニンジャ!
「イヤーッ!」
ニンジャはコンノへ向けて左腕を振り下ろした。鈍い金属製の光を放つ巨大な爪が闇に瞬く!
「アバーッ!」
SLASH !! コンノの右腕が切断された!噴き出す鮮血がフローリングに新たな血溜まりを作る!
「フゥーッ、スッキリしたぜ……なぁコンノ=サン」
「アバッ、ハ、ハイ……」
目を白黒とさせながらコンノは必死に返答を返す。ニンジャは意に介さず言葉を続ける。
「こんなにニュースに取り上げられちまってさあー、コワイだよな」
「ハイ……」
「一旦やめたほうがいいかな?って思ってんだあ、俺。大々的に報道されると動きにくいしよォー……だからキリのいいところで活動休止しようかな?ってさ」
「ハイ……」
手持ち無沙汰気味にカチカチと左手の巨大な金属製の爪を鳴らしながらニンジャは淡々と話し続ける。コンノは意識を手放しそうになっていたが、静脈に刺されたZBRアンプルがそれを許しはしなかった。
「お前で7人目なんだが。キリ、いいか?」
「ハイ……」
「イヤーッ!」
「ハイ……アバーッ!?」
SLASH !! コンノの左腕が切断された!噴き出す鮮血がフローリングに新たな血溜まりを作る!
「フザケるんじゃあねぇぜ!コンノ=サンよォーッ、7だぞ?奇数だ!5ならまだしも!」
ニンジャがワナワナと怒りに震えながら荒い息を吐き、コンノの背を踏みつける。
「アバ、アババ……!」
「8人だ!8なら偶数でキリもいい!そうだな!?」
「ア、アバ、ハイ!実際そう思います!」
「イヤーッ!」
「アバーッ!!」
SLASH !! コンノの右脚が切断された!噴き出す鮮血がフローリングに新たな血溜まりを作る!
「イディオットが!8人だと!?中途半端だろうが!それならあと2人殺して10にした方がキリがいいだろうがッコラー!」
「アバババーッ!!ハイ!10人がいいと思い、アバーッ!」
「イヤーッ!」
SLASH !! コンノの左脚が切断された!噴き出す鮮血がフローリングに新たな血溜まりを作る!
「アバババーッ!」
喉が張り裂けそうなほどの絶叫!ニンジャは爪にべっとりと張り付いた血を振り払い、息を吐く。
「フゥーッ……落ち着いてきたぜ。ヨシ、10人だ。それで一旦身を引こう。何事も謙虚に、控えめに。それが人生で最も大切なことだ。『ブッダはお前を見ている』。そうだなコンノ=サン」
「……」
最早打ち上げられたマグロめいて口をパクパクさせることしかできないコンノをニンジャは不快そうに睨み、左手を瞬かせた。
「イヤーッ!」
「アバーッ!!」
SLASH !! コンノの首が切断された!噴き出す鮮血がフローリングに新たな血溜まりを作る!
部屋一面に広がるブラッドバスを満足そうに見下ろすと、ニンジャは住人の居なくなった部屋を後にした。
『今夜ハッピーハッピー今夜!シアワセ!タノシイ!』
ニュース番組が終わり、ネコネコカワイイのCMが流れ始める。取り残された液晶テレビは誰に届くこともない映像と音声をいつまでも垂れ流し続けていた……。