【タイム・ウェン・ザ・シグナルファイア・ライゼス】 ①
ブブーンブンブン……低く重たい陰鬱な電子のベースラインが流れる店内。ここは『カナリタノシ』。ナカダミ・ストリートに位置する娯楽施設だ。利用客はサボタージュ・ヤンクやヨタモノ、ドラッグの売人……アナーキーの箱詰めである。
その隅に位置するアーケードゲーム・コーナー。筐体の前でイビキをかく浮浪者や、独り言を呟くギークがポツポツと居るだけの客入りの少ないコーナーだ。
ゴタゴタと並ぶ筐体の一つ、〈アクションの凄み:闘い!〉の画面上を粗いドットで描かれたカートゥーン・キャラクターが走る。筐体の前に猫背で座るのは若い女だ。彼女は灰色をした三白眼の瞳で画面を見つめながら、淡々と手元のボタンを押す。CRASH !!! CRASH !!! チープな効果音が響く。
『ポイント倍点!』『ヤッタ』『イチモ・ダジーン』。次々にデジタル画面にチカチカと明滅する文字と、音割れの激しい雑多な効果音。スコアが跳ね上がり続ける。若い女は無表情で淡々とボタンを押し続ける。やがてカートゥーン・キャラクターが悪の根城を破壊し、ヒロインを救い出すと、愛と友情を謳った陳腐なエンドロールが流れ出した。
「ンー……」
若い女……ユーリ・マキシモは目を瞑り、両腕を上にあげながら大きく伸びをした。『コングラッチュレーション!幸せな』彼女がゲームを終えると、筐体が電子オイランの声を吐きタイトル画面へと戻っていく。
明滅する画面の明かりにユーリの姿が照らされる。ヘソを出したトップス。ショートパンツにボーダー模様のストッキング。灰色のセミロングの髪。前髪は綺麗に切り揃えられている。右耳には肌の面積よりも多い夥しい数のピアス。三白眼と、灰色の瞳。
彼女はその瞳で辺りのアーケードゲームを退屈そうに見渡した。片手で一枚のコインを弄びながら。
「……ファーア……」
ユーリは欠伸をしながら席を立つと、背に『不埒』とプリントされた黒ジャケットを羽織った。次いで捨てるようにして床に置かれていたバットケースを持ち上げ肩にかける。
「帰るかぁ」
彼女はひとりごちると、再度辺りを見渡し……退屈そうにコインを弄びながらアーケードゲームエリアを去っていった。
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「アイエエ……」
青年、ミダマ・キチイは震えていた。何故か?
「ミダマ=サン、カネ。ハヤク!」
モヒカン頭の男がパチンコ席に座りながら、酒焼けした声で彼を急かす。
「クルダ=サン、もう無理です」
ミダマは震えながら答える。
「ア?」
クルダと呼ばれたモヒカン男が凄みを効かせた。直後、ミダマの周りを危険なアトモスフィアを放つヨタモノ・パンクス達が囲む!コワイ!
「アイエエ!」
ミダマは失禁しそうになるのを堪えながら涙ぐんだ。そこに酒焼けした声が突き刺さる。
「カネ、カネ、カネだよ。俺らマケグミだからさ?カチグミで親友のミダマ=サンが恵んでくださるのが道理ってもんでしょ?」
ナムサン!何たる理不尽!
「ケイコ=サンもそう思うよな?」
クルダは側に立つ女を抱き寄せながら言う。
「ハ、ハイ……」
ケイコと呼ばれた女は目を伏せながら控えめに頷いた。
((ケイコ=サン……))
ミダマの心中は暗い。ケイコは彼が想いを寄せていた女性だった。何度かアプローチをしていたところをクルダに目をつけられ……結果このありさまだ。ブッダ。
「ケイコ=サンも言ってるぞー。ハヤク!」
「「ハヤク!ハヤク!」」
周りのヨタモノ達が騒ぎ立てる。ドクン!ドクン!音を立ててミダマの心拍数が上がっていく。恐怖と怒り、恥辱、様々な感情が彼を襲う。そして、
「ア、アイエエ……アイエエエエ!!」
ミダマはパニックを起こし、駆け出した。死に物狂いで囲いの一点を突破!そのままヤバレカバレに走り出す!
「アッコラー!?」
クルダが怒号を飛ばす。ヨタモノ・パンクス達が鬼の形相でミイダを追う!『カナリタノシ』の薄暗い照明の下、逃走劇が始まる!
「アイエエエエ!もう嫌だ!こんな人生……」
ミダマは涙と鼻水を散らしながら必死で駆けた。だが彼の脚力とヨタモノ・パンクス達とでは天と地ほどの差がある。刻一刻とその背に暴漢の魔の手が迫る……!
捕まってしまえば即座に囲んでボーで叩かれ、更に惨めな人生が送ることになるだろう。それだけは嫌だ!その一心でミダマは駆け続け……目を見開いた。曲がり角から現れる人影。
「アイエエエエ!アブナイ!」
「ンー?」
人影は呑気そうにミダマの方へ首を動かした。直後、その細いシルエットにミダマが勢いよく衝突した。
「アイエエエエ!」
「オ、オオ?」
人影がぐらりと蹌踉めく。一方ミダマは勢いそのままにブザマに床に倒れこんだ。
「ゴ、ゴメンナサイ!ゴメンナサイ!」
彼は床に這いつくばるようにして謝罪する。その時、ミダマは漸く目前の存在の姿を認めることが出来た。若い女の姿を。
「ダイジョブ?」
女……ユーリ・マキシモは何ら動じることなく彼に声をかける。
「エッ、あぁ僕は」
ダイジョブ、そちらこそ怪我はないですか。そう聞こうとしたミダマを女の声が遮った。
「いやそうじゃなくて。あっち、あっち」
ユーリは顎をしゃくり、ミダマの後方を指す。ミダマはハッとしながら顔を青ざめそちらの方へゆっくりと振り向いた。そこには恐るべきヨタモノ集団、そしてそれらを掻き分け出で、酒焼けした声でがなりたてるクルダ!
「スッゾコラーミイダ!」
「アーアアイエエエエ!!」
ミイダはガクガクと震え、無意識のうちに思わずユーリの細い脚に縋り付いていた。
「ンー?」
ユーリは首を傾げながら彼のブザマを見下ろした。そして目前で今にも飛びかからんとするクルダ達の方を見、露骨に面倒そうな表情を作った。
「アー……」
「オイ、姉ちゃんよー。そいつこっちに渡してくれや」
額に青筋を浮かべながらクルダが進みでる。手で『こちらへよこせ』のジェスチャーをとりながら。ユーリは口元に手をやり、暫し沈思思考した。うわ言のように助けを乞いながら足元で小動物めいて震え蹲るミダマと、凶暴な肉食獣の群れめいたヨタモノ・パンクスを交互に見る。
「テメキイテッカッコラー……?」
ドスを効かせた酒焼け声!拳を合わせ、威圧的にパキパキと骨を鳴らすクルダ。ヨタモノ達も各々臨戦態勢を取り始める。ユーリは肩を竦めた。そしてその場で屈み込み、顔をミダマの方へ、グッと寄せた。
「アイエエ……?」
ミダマは己の荒い息がかかるほどの距離にあるユーリの顔を見つめた。こんな距離に異性の顔があるのは彼の人生で初めてのことだった。疾走によって高まっていた鼓動が更に高まる。ユーリはそんな彼にニコリと微笑むと、華奢な腕を伸ばし、手を差し出した。
「ハイ、ドーゾ」
「え?」
差し出された色白の手がミダマに何かを握らせる。彼はゆっくりと己の掌を開き、その中を見やった。鈍色の光を携える一枚のゲームコインがそこにあった。
「あの、これは」
「イヤーッ!」
「アイエエエエ!?」
戸惑うミダマの疑問に答えることなく、ユーリは彼をケマリめいて蹴り転がした。アワレな小動物はゴロゴロと転がり、何かにぶつかって止まった。ミダマは恐る恐る見上げる。にこやかな顔をしたクルダと目が合った。
「ア……アイエエエエ!!」
再度の絶叫!滝のように涙を流し、失禁!ブッダ!
「子守はちゃんとしときなよー?」
ユーリがヒラヒラと手を振りながら飄々とした声を届けると、クルダは邪な笑みを浮かべながら答えた。
「オー、助かったぜ!実際手のかかるベイビーでよォ……」
そして恐怖に顔を歪めるミダマを睨みつける。
「しっかりと躾をしなきゃあーなあーッ?」
「ア……アア……!」
ヨタモノ達が次々と囲いを作っていく。ミダマは救いを求め、ユーリの方を見た。視線に気づいた彼女はキツネ・サインを片手で作り、悪戯っぽくウィンクをすると、何事もなかったかのようにその場を去って行ったのだった。
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後方で轟く悲鳴と怒号を背に、ユーリ・マキシモは歩く。その背に一人のヨタモノが忍び寄る。クルダのグループの一人だ。彼は淡々と歩く女に声を掛けた。
「なぁ、アンタ」
「ンー」
振り向きもせず、見向きもせず、歩みを止めることもなく、ただ退屈そうな声を返す。ヨタモノは舌舐めずりをしながら彼女の小さな肩に手を置いた。
「俺と遊ばねぇか?ヘッ、ヘッ……」
下卑た声と荒い鼻息がユーリのうなじを撫でる。彼女はやはり動じることなく返事をした。
「前後?」
「ア?……あぁ実際そうだ。話が早くて助かるぜ」
「別にいいけど、カネあんの?」
「アァ?」
ヨタモノはドスを効かせた重低音の声を響かせ、首をごきりと鳴らした。暴力で全てを解決せんとする姿勢だ!ナムアミダブツ!
すると漸くユーリが足を止め、彼の方を振り向いた。その手には開かれた革財布が。ヨタモノは目を見開いた。それに見覚えがあったからだ。常に身につけているはずのものであったからだ。反射的にポケットに手を入れる。何も無い!
「い……いつの間に!?」
動揺を露わにするヨタモノを前に女は平然とした顔で財布を通路に投げ捨て、大げさに呆れのリアクションをとった。
「いや全然無いじゃん。無理、無理。論外」
「ザッ……ザッケンナコラー!?」
ヨタモノ逆上!彼女の肩に置いた手に力を込め、もう片方の手で殴りかからんとする!
「イヤーッ!」
「グワーッ!?」
……悲鳴をあげたのはヨタモノの方だった。彼の体が突如として浮き上がり、通路の冷たい床に強かに背中を打ち付けたのだ。一体何が起こったというのか?
読者諸氏の中にニンジャ動体視力をお持ちの方はおられるだろうか。その方にはハッキリと見えたはずである。肩に置かれたヨタモノの手を思いっきり引き、殴りかかってくるその勢いを利用して軽々と彼の体を放り投げたユーリ・マキシモの姿を!
「ワ……ワッザ……?」
「イヤーッ!」
いまだ状況が理解できずに目を白黒とさせるヨタモノの顎が強かに蹴り上げられる!
「ムン」
脳震盪を起こしヨタモノ失神!そして失禁!後方でミダマをいたぶるクルダ達はこの出来事に気付くことなく、囲いの中心へ向け怒号と暴力を振るい続けている。
その様を無感情に一瞥すると、ユーリは気怠げな素振りでその場を後にした。通路を歩き、エレベーターの前まで来ると、『下へ』のボタンを押す。ゴォォン……ゴォォン……重たい音が階下から響き、鉄の箱が上昇する音が空間を満たす。暫くしてエレベーターが到着し、錆びた鉄の軋む音を立てながら口を開き彼女を迎えた。懐から取り出したIRC携帯端末の画面を弄りながら中へと入り、一階のボタンを押す。
ゴォォン……ゴォォン……。
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軋む鉄の音を伴い中途半端に開いたところで動きを停止したエレベーターの扉を鬱陶しげに無理やりこじ開け、ユーリは入口へと向かった。自動ドアが反応し、古びた電子オイランの声が流れる。『イラッシャイマセ』。入店時を想定したSEだ。見送りの言葉はセッティングされていないか、何らかの不具合で流されないのか。どちらにせよ多くの人々にとってそれはどうでもいいことだ。ユーリもまた同様だった。
開かれたドアから生緩い空気が店内に流れる。傘立てに乱雑に刺された誰のものとも知れぬ透明PVC傘を引き抜き、ユーリは重金属酸性雨の降りしきる街へと出ていった。
POW POW POW ……どこからともなくサイレン音が遠く聞こえ、それを傘に打ち付ける雨音が掻き消す。『安いを重点』『たくさんの娯楽!』上空を飛ぶマグロ・ツェッペリンのモニター、または雑多に並び立つ広告塔が陳腐な誘い文句を撒き散らす。手元に持った携帯端末、或いは網膜インプラントのサイバネアイで電脳空間へダイヴし、陰鬱な街並みから逃避する人々の歩みをケミカルな色彩を放つ電子看板が照らし出す。ユーリ・マキシモは雑踏の中へと消えていく。