【ライフ・イン・ネオサイタマ : ケミカル・スシ・トゥ・ハー・リップス】
まず初めに、彼女は困惑した。次いで訪れた嫌悪と不快感に眉を顰め、卓上に出されたパック・スシを軽蔑の眦で見下ろす。「……これは何でございましょうか。浅学ながら、賤しき俗な文化には疎く……」フローライトの眼が見据えるは、毒々しく蛍光色に光る……スシ。スシであった。……ケミカル・スシ!
無愛想な店主は、嫌なら食うなと謂わんばかりに静かに一瞥をくれ、黙々と己の作業へと没頭する。フローライトは唇を噛み締め、眼下に居座る冒涜的な現世のスシを睨んだ。地上の任務遂行において、実際贅沢は求められぬ状況にある。任務対象に気取られぬように、目立たぬように……且つ、現世の金銭問題ゆえに……。
フローライトは、深く震える息をひとつ。そして意を決したか、木目の目立つ割り箸を手に取る。完璧なバランスで二つに分かれる筈であったそれは、安価な材質のためか、歪に裂け離れた。彼女はもう一度呼吸を整え、苛立ちを完全に、粛々と、努めて冷ややかに抑え込んでケミカル・スシに漸く手をつけた。
何処のコメかもわからぬテラテラとしたシャリ。まず間違いなくオーガニックではない。そもそもコメかどうかも怪しい。箸に挟んだそれをショーユ(当然ケミカル・ショーユである。黒々とした液体には川の水面に浮かぶプランクトンめいた虹色が薄く広まっていた)に少しだけ漬ける。初め、フローライトは所作に則ったスシの食べ方を行おうとしたが、やめた。あまりに役不足だ。
ショーユに僅かに染まるシャリ。その上に積載されるは、否応なしに目を惹く毒々しい蛍光色の合成トロ。トロ……トロのはず。兎角、何らかのスシネタを模した、エナジーを醸す七色の光に包まれたそれが、その輝きが爛々と。フローライトは屈辱感を任務遂行の誉れのヴィジョンで塗り潰し、口元に運んだケミカル・スシをヤバレカバレめいて……一口で食べた!
(((……これは!)))フローライトは口元を手で覆いながら、静かに、尚且つ迅速に咀嚼を進めた。(((……これは……何……?スシ?これが?))) およそ味わったことのない、ギラギラとした化学の味。もっちりとした謎めいた食感。ああ、もはや侮蔑の感情すら湧いてこない。下賤ここに極まれり。
合成化学飲料に合成トロを一晩中漬けに漬けたような……尤も彼女にそのような感想を抱く経験及び背景はないが……咀嚼の度に口内に広がる、卑しく品のない出鱈目な胡乱味覚イメージ。オヒガンの狭間に居る間に口にした、味のしない虚無のスシの方が余程美味に思えた。
……ただそれでもスシはスシだ。彼女のニンジャとしての肉体が、胸の底から僅かに、ほんの僅かにトロ成分を感じ取り、この冒涜的な蛍光色の何かがスシであると告げている。……屈辱だ。
神経質そうに眼を細め、屈辱感と不快感、戸惑いを、安物の温いチャで喉の奥に流し込む。一気に流し込む。……味わう価値などありはしない!フローライトは無言で席を立ち、無愛想な店主に金を払った。一銭の価値すらないと考えはしたが、だからといって面倒事を起こすのは億劫である。悪目立ちするわけにはゆかぬのだ。眉を顰めるフローライトに対し、店主は何も言わずに金を受け取り、申し訳程度の曖昧な会釈を見せて店の奥へと引っ込んでいった。
深く熱い溜息を吐き捨てて、フローライトは店外へ出る。幽玄なるキョート城を離れ、今彼女は猥雑なるネオサイタマの地にいる。……これから先、斯様な合成スシや下品な食事、その他諸々に蔓延る混沌の街の風俗に晒されていく予感に、フローライトの顔に憂いを帯びた翳りが差した。
才気豊かな若きザイバツ・ニンジャの遥か上の空で、砕けた月が宵闇を揺蕩う。フローライトはキルゾーンの方角を見やり、現世に縛り付けられた幽玄なるキョート城の姿を胸中に浮かべた。無意識のうちに己の首に装着したチョーカーに手を触れる彼女の頬と髪を、近代科学由来の生暖かいネオサイタマの夜風が、嘲笑うように流れていった。
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