海苔焼きマシーン!って知っている?
旅館の朝食の定番の一つ味付け海苔。でも焼海苔を出す所は少ない。海苔を焼くのには熟練した人でも難しいのです。つまり旅館の朝食で焼海苔が出て来る所は特別だと思います。その理由を説明します。
海苔に興味を持ったきっかけ
ある時、先生(無方庵 綿貫宏介氏)に「海苔のデザインをして欲しい」とお願いしたことがあります。先生はすぐに作ってくれたので、海苔屋さんに出した所、このデザインは出来ないデザインの変更をして欲しいと頼まれたのです。
先生に言うと「海苔屋を変えろ!」の一言。
当時、阪神淡路大震災で全国の旅館仲間から支援を頂いたので、お礼方々よく東京に行っていました。その時に超一流の海苔屋に行こうと日本橋の山本海苔に行ったのです。
山本海苔は全旅連青年部の認定業者でしたが「旅館の人が初めて訪ねて来てくれた。」とものすごく歓迎してくれました。
何故?山本海苔さんが訪問を歓迎してくれたか!
付き合っていた海苔屋さんが先生のデザインの海苔袋を作れなかったというのは当時の海苔業界はしんどい商売で設備投資が出来なくて、旧態依然の包装機を使用していた為です。どこで切れても良いようなデザインのモノしかダメだったのです。旅館が扱うもので味付け海苔は非常に安価だった。その為に山本海苔さんが扱っているような海苔を使用する旅館が無かったという事だったのです。
山本海苔さんで海苔の歴史を教えてもらって、ピンとキリの海苔を試食させてもらいました。良い海苔は口に入れるとスーッと融けて行きます。
山本海苔さんのHPをご覧下さい。海苔の歴史がよくわかります。
焼立ての海苔の香りは特別でした。
山本海苔さんはデパートの催事などでも販売するのですが、その際に“海苔焼きマシーン”を持っていくそうです。
いくら熟練した職人さんでも海苔を焙るのは至難の業だそうです。そこで開発されたのが海苔焼マシーン。約180℃の鉄板で海苔を一定時間焼くと出来上がり。
香りが別格だった。
その海苔焼マシーンを分けてもらいました。
ナンバー33ですので、50台ぐらいオリジナルで山本海苔さんはつくったのではないかな?
この機械まで分けてもらえたという事は、よほど気に入られたという事です。お金は払ったよ!
以来20余年。機械は修理を重ねながら使い続けています。
ある時、外側も錆も出て来たし、汚くなったので“海苔の缶色”に塗り替えました。
神田の蕎麦屋へ
そして焼海苔を出す器の話になり、東京の蕎麦屋さんでは特殊な容器に入れて出すそうです。営業マンは「行きましょう!」と神田の蕎麦屋に案内してくれました。
でもそこで海苔を頼んだのですが、問題の器は出て来ませんでした。営業マンさんは恐縮して大阪でいう道具屋町に案内してくれました。そこで海苔の器を購入しました。
中は炭が入れられるようになっていて、竹製のスノコの上に和紙を引き、その上に焼いた海苔を乗せるのです。
購入した器は1人前用。御所坊で出すには少し小さい。
2~3人前入る大きさにする為に、1.5倍ぐらいの大きさでつくったのです。
何処でつくってもらったら良いかな?
結局、有田の器屋でつくってもらいました。陶器の入れ物に桐の箱を使用するので、そのルートでつくったのです。
明石の海苔と明石浦漁港
「浅草海苔」というのが有名だったんですが、羽田空港をつくる時に海苔の養殖技術が日本各地に移り、干満の差が大きい有明海の海苔を山本海苔さんは使っている。
海に海苔網を浮かべて養殖する技術を明石の林崎漁業の鷲尾圭司さんが確立したのです。ある時、食の集まりで鷲尾さんに出会いました。
その鷲尾さんに紹介してもらったからこそ御所坊は明石浦漁港に直接買い付けに行ける唯一の宿となったのです。明石浦漁港は瀬戸内の一番良い魚が水揚げされるという漁港で、魚を活きたままセリにかけるのが特徴です。大阪の黒門市場や京都の錦市場の魚屋さんが買い付けに来る所です。
海苔もその後、明石の海苔を使用しています。
焼海苔用焙炉(ほいろ)
そして、その海苔を提供する器を作りました。