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歴史から考えるクラフトビール〜②ビールの起源の諸説

前回からの続き
前回はイントロダクションということで、シリーズの展望を紹介しました。今回から本編です。まずはビールの起源に関する歴史観を考察すべく、古代ビールの話をしたいと思います。

ビールの起源の定説

様々な書籍でビールの歴史が語られていますが、ほとんどの文献にはビールの起源は古代メソポタミアと書かれています。紀元前3000年頃に、シュメール人によってビール醸造に関する最古の文字記録がくさび形文字で刻まれ、少なくともこの時代以前にビールが誕生したというのが通説です。紀元前8000年〜7000年頃にメソポタミアの肥沃な三日月地帯で穀類の農耕が始まったとされていることから、ビールは紀元前8000年から紀元前3000年の間のどこかのタイミングで、メソポタミアで誕生した可能性があります。
一方エジプトでも紀元前2700年〜2100年頃の古代王国の壁画にビール造りが描かれています。最初にビールが誕生したのはエジプトだとしても発見事実と矛盾はなさそうです。さらに近年では中国起源説も紹介されることがあります。どこが真の起源なのかははっきりとは分かりませんが、メソポタミアでもエジプトでもビールは人々に広く普及していたようです。シュメール人の文明の後に栄えたバビロニアのハンムラビ法典にはビールに関する詳細な規定が見られ、古代エジプトでもピラミッド建設の労働者にビールが配られたという記録があります。

古代ビールと現代ビールの連続性

メソポタミアなどの古代文明がビールの起源とする説には違和感もあります。現代のビールとの連続性が感じられないからです。メソポタミアで造られていた「ビール」は「シカル(またはシカリ)」といいますが、シカルの製法は現代ビールの製法とはだいぶ違います。シカルは発芽させた(もやしにした)穀物を使ってパンを焼き、それを水(お湯)に入れてそこに生えた酵母で発酵させたものです。パンを焼く過程では、エンマーコムギなど大麦以外の穀物も使われました。古代エジプトのビールも同様にパンビールです。これらの古代ビールにはホップも使われていません。
さらにいうと、これらの古代ビールと現代ビールの連続性が見つかっていません。歴史の中に埋もれてしまい現在当地では飲まれておらず、後述するゲルマン人のビールに継承されたという証拠もないようです。古代中国に存在したとされるビール的な飲み物についてはもっと早い時期に歴史から姿を消し、断絶しています。

ゲルマン人のビール

古代文明のビールの後に、ビールが歴史上に登場するのは紀元前500年頃のゲルマン人のビールです。こちらはパンビールではなく、麦芽を鍋で煮て造ったので、製法的に現代ビールの糖化工程と共通しています。しかも、ゲルマン人はその後の歴史の中でビールを発展させ、その系譜は現代ビールと連続的に繋がっていると考えることができます。しかしながらゲルマン人のビールはローマ人の歴史家によって観測される形でしか歴史に残っていません。例えば西暦98年に歴史家タキトゥスはゲルマン人のビールについて以下のように記述しています。

飲料には、大麦または小麦より醸造(つく)られ、いくらか葡萄酒に似て品位の下がる液がある

タキトゥス『ゲルマニア』第23章

ゲルマン人のビールがあまり知られていない理由は、ローマ人の歴史家によるもの以外に文字で記された歴史がなく考古学的なアプローチでしかその存在を発見しえないからです。考古学的にはスカラ・ブレイ(スコットランドのオークニー諸島の遺跡、紀元前3100年から紀元前2500年)で製麦や醸造の痕跡が見つかっており、ヨーロッパ地域でも古代文明に匹敵するビール造りの伝統があることが分かっています。ただしスカラ・ブレイについては、そこに住んでいた人がゲルマン人の系統なのかケルト人など他の系統なのか分かっていません。ここでは「ゲルマン人のビール」と言っていますが、ケルト人と呼ばれる人たちも含めて、ローマ帝国から見ると辺境の地の北ヨーロッパのビールやお酒全般を現代ビールの直系先祖と考えても良いかもしれません。
なにせ文字による歴史があまり残っていないので、ゲルマン人たちがいつ頃からどのようにビールの造りを発展させていったか詳細が分からないですが、少なくとも中世に突入するころには一般庶民も含めてビールがかなり浸透していたようです。当時は一つの糖化工程で複数の麦汁を取り出す方式が一般的でした。現在ではパーティガイル(Parti-Gyle)として知られる方式です。この中で2番麦汁以降にあたる麦汁だけで造ったスモールビールという低アルコールビールがよく飲まれていたそうです。当時のヨーロッパでは安全な飲用水の確保が難しく、煮沸工程を経て発酵させたスモールビールは水代わりに飲むのに適したものだったのです。
ワインは南のブドウの産地でしか飲まれず、北方で飲まれていたミード(蜂蜜酒)は高価で庶民には手が届かない存在になったため、スモールビールを中心としたビールがメインのお酒になりました。そしてゲルマン人の移動やバイキングの侵攻に合わせて、ビールはヨーロッパ中に広がることになります。

ビールの発展系統のイメージ

ここまでの話をポンチ絵にするとこんな感じ。ゲルマン人のビール以外の古代ビールは断絶してますが、ゲルマン人のビールはその後の世界のビールの本流に発展すると考えられます。これはホモ・サピエンスと過去同時期に存在したホモ・エレクトスやホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)が途中で絶滅した構図に似ているように思います。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが交雑したように、メソポタミアのビールとゲルマン人のビールは相互に影響を与えた可能性もあります。なんとも想像の域をでませんが、ロマンがありますね。

次回へと続く

今回はビール起源の諸説について。定説ではメソポタミア発祥と言われることが多いですが、実はゲルマン人のビールに着目したほうが現代ビールとの連続性が見えてきます。次回はそのゲルマン人のビールがさらに発展するきっかけとなったキリスト教とビールの関係について。

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