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Off Flavor入門〜㉘H2S

前回からの続き
前回はホップ由来のオフフレーバーであるオニオン/ガーリック(O/G)でした。アメリカンスタイルのホップフォワードビールの特徴香でもあるのでオフフレーバーとしての扱いは難しいですが、複数の硫黄化合物で構成される臭気です。
今回も硫黄化合物です。H2Sは、実はダイアセチルやDMSに匹敵するメジャーな存在でもあります。

化合物としての特徴

H2Sの構造と静電ポテンシャルマップ

H2S(Hydrogen Sulfide、硫化硫黄)は、硫黄原子に水素原子が2つついた単純な構造をしています。炭素を含んでいないので定義の上では無機化合物になります。(有機化合物の定義についてはこちら)構造としてはメタンやH2Oのような四面体に近い形をとりますが、H-S-Hの結合角は93.4度と正四面体の109.5度よりかなり狭いです。そのため非共有電子対はsp3混成軌道というより、p軌道に近いと言われています。静電ポテンシャルマップからわかるとおり、硫黄原子の分極率により極性分子となっていますので、水によく溶けます。弱い酸性を示し、pKaは6.89。多くのカルボン酸よりは弱く、フェノールよりは強い酸といった感じでしょうか。硫黄化合物の一般的な性質に関しては、過去回(メルカプタンDMSなど)も参照ください。
分子量34、沸点-60.7℃ということで揮発性が高いです。水分子のように水素結合して沸点が高くなっているということがありません。

臭い

H2Sの典型的な官能的説明は腐卵臭、下水、排水溝の匂いです。日本に住んでいる人にとっては温泉の匂い、火山ガスと言ったほうが分かりやすいかもしれません。低いレベルで存在する限りは複雑なビールのフレーバーを形成する一要素に過ぎないですが、閾値を超えるとオフフレーバーとなります。
揮発性が高いので、少量ならグラスをスワリングすると消滅します。
なお、イングリッシュ・ペールエールなど伝統的なビアスタイルの中にはバランスを崩さない程度であればH2Sの存在を許容するものもあります。

閾値と分析方法

H2Sの官能閾値は4ppbとする文献と、10-20ppbとする文献がありました。いずれにしても非常に低い閾値で、ごく少量存在するだけでオフフレーバーとなることがわかります。
分析方法は、訓練された官能評価員によるパネルが最も効果的とされます。GCで定量化することも可能ですが、硫黄化合物に対する選択的高感度検出器(SCD)を組み込む必要があります。ASBCでは分析方法は規定されていないようです。

生成とコントロール

生成

酵母による硫黄代謝の過程で生成されるものと、汚染によるものがあります。

SRSにおけるH2Sの生成

H2Sの生成は硫黄還元の機構(Sulfur Reduction Sequence、SRS)の中で理解する必要があります。酵母が生体内に硫酸イオン(SO4 2-)を取り込んで、それを元にメチオニンやシステインといったアミノ酸を生成する一連のシステムです。SRSの過程で硫化物イオン(S 2-)が余剰となると水素原子2つで還元し生体外に排出される副産物、これがH2Sです。ちなみに以前に紹介したメルカプタン(メタンチオール)はメチオニンが余剰になると生成される化合物です。
H2Sの生成量は酵母の種類や発酵環境に応じて変わります。どの酵母株(品種)がH2Sの生成が多いのか文献で見つけることはできませんでしたが、H2Sが気になるようなら酵母を変えてみるのは一つの手だと思います。発酵環境に関しては、窒素の量が少ないとH2Sの生成は増えます。逆に窒素が多ければ硫化物イオンがメチオニン、システインの材料として活用されるのでH2Sは生成されにくくなります。酵母の健康も生成に影響します。死滅率が高かったり、活性が弱い酵母が多いとH2Sの生成は増えます。また、オーバーピッチ/アンダーピッチいずれもH2Sの生成は増えます。
発酵経過の中では、出芽の時期とH2Sの生成量には相関があります。分裂前の出芽のタイミングではH2Sの生成は減ります。発酵によるCO2の活発な放出時期においてはH2Sは(プレッシャーを開放していれば)蒸散されます。分子量が少なくて揮発性が高いためです。発酵終盤で糖が少なくなると、今度は酵母によるH2Sの再吸収が起こります。再吸収量は酵母の活性度合いや量に依存します。
汚染が原因でH2Sがオフフレーバー化する場合は、その原因菌はペクチネイタス属(Pectinatus)やメガスファエラ属(Megasphaera)の場合が多いです。これらは偏性嫌気性菌で、大気レベルの濃度の酸素に暴露すると死滅しますが、pHなどの環境が合致するとビールの中は良い生育環境になってしまいます。ペクチネイタスが主に混濁と硫化水素をもたらすのに対して、メガスファエラは硫化水素とともに酪酸をはじめとする脂肪酸のオフフレーバーをもたらします。

コントロール

生成過程がわかればコントロールは自ずと決まってくるもの。下記の事項が重要です。

  • 適正な麦汁成分(特に十分な窒素量)

  • 適切な酵母の選択

  • 適切なピッチングレート、エアレーション(適切な出芽促す)

  • 活発な発酵(CO2でH2Sを蒸散させる)

  • 発酵終盤まで酵母が健康であること(必要に応じて亜鉛など)

  • 適切な熟成期間

あとはペクチネイタス属やメガスファエラ属の汚染対策になります。

次回へと続く

H2Sは、SiebelのIntermediate Off-Flavor Kit、FlavorActiveのEnthusiast Brewer Sensory Starter Kit、BAのOff Flavor Management Seriesのすべてに入っているメジャーなオフフレーバーです。この3つ全てに入っているのは他にはダイアセチルとDMSだけです。3大オフフレーバーと言ってもいいかもですね。
さて、次回はT2N(紙臭、カードボード臭、酸化臭)です。誤解の多いオフフレーバーだと思うので、書き方はちょっと工夫したいです。

お読みくださりありがとうございます。この記事を読んで面白かったと思った方、なんだか喉が乾いてビールが飲みたくなった方、よろしけばこちらへどうぞ。

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